京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート『五色の虹』

2024年08月04日 | KIMURAの読書ノート

『五色の虹』
三浦英之 著 集英社 2015年

今回も三浦氏の著書をお届けする。前回取り上げた著書の内容について全く知らず、自分の無知さを痛感したのだが、今回もまた同様である。

1932(昭和7)年、日本は満州事変をきっかけに満州国を建国する。この時期の満州はすでに、漢民族、満州族、朝鮮族、モンゴル族など民族が入り混じり暮らしており、日本人は総人口の2%であった。そのため、政府は圧倒的に多民族が多いこの国で、日本人が創設したとは言え、日本人がこの国を支配することは困難であると判断し、新しい国づくりが必要と実践したのが「五族協和」であった。その一環として設立されたのが満州国最高学府「建国大学」である。ここでは、日本、中国、朝鮮、モンゴル、ロシアの各民族から選び抜かれた学生が6年間共同生活をしながら学ぶ、日本初の「国際大学」であった。実際、戦況下でありながら、学内では言論の自由が保障され、学生たちは昼夜問わず、議論を重ねていた。事実、日本政府を公然と批判することも認めていたり、日本では発禁本となっている本も閲覧が許可されていた。しかし、本書の言葉を借りれば「同世代の若者同士が一定期間、対等な立場で生活を送れば、民族の間に優劣の差などないことは誰もが簡単に見抜けてしまう。彼らは、日本は優越民族の国であるという選民思想に踊らされていた当時の大多数の日本人のなかで、政府が掲げる理想がいかに矛盾に満ちたものであるのかを身をもって知り抜いていた、きわめて稀有な日本人でもあった(p23)」。この大学は1945(昭和20)年満州国崩壊(つまり、日本敗戦)と共に閉校となる(実際は、なし崩しになくなる)。そして同時に日本政府はこの大学に関する資料のほとんどを焼却してしまう。

この建国大学のことを知った著者は、卒業生の足取りを調査したものが本書である。国際大学だっただけに、その調査は国内だけでなく、中国(大連、長春)、モンゴル、韓国、台湾、カザフスタンと広い。ここで分かったことは、卒業生の出身国によって、自国に戻っていった時の扱いが様々であったということである。多くの国では敵国の日本が創立した大学で学んだということで「日本帝国主義への協力者」とみなされ、自国の政府から厳しい糾弾や弾圧を受け、不遇な生活を送ることとなっていた。とりわけ、中国においてはこの調査が行われた時点でも、様々な妨害により、直前に取材がキャンセルになっている。その中で唯一卒業生ということで寛大な扱いで国家の中枢に組み込んだのが韓国であった。また日本人であっても、敗戦時にどこにいたかということで、その後の運命が大きく変わっていることが本章では記されている。

この記録を読んで、もし「建国大学」の創立が戦時中でなかったらと思わずにはいられないし、あの満州国だったからこそ、現代であれば誰もがうらやむような国際大学が創立したと思うととても皮肉なことだとも感じる。

本書は著者の個人的企画であったにも関わらず彼の上司が海外出張を許可してくれるようにあちこちに便宜をはかってくれている。それは「この手の話はあと5年で聞けなくなる」という理由であった。敗戦時に焼却された資料に及ばないまでも、「建国大学」という最高学府があったという記録を少しでも復元した本書を次の世代にも繋いで欲しいと切に願った。今年あれから79回目の夏を迎えた。

=====文責 木村綾子


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KIMURAの読書ノート 『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』

2024年07月18日 | KIMURAの読書ノート


『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』
三浦英之 著 集英社 2022年

「その不可解なメッセージが私の短文投稿サイト『ツイッター』に投稿されたのは2016年3月だった。〈朝日新聞では、1970年代コンゴでの日本企業の鉱山開発に伴い1000人以上の日本人男性が現地に赴任し、そこで生まれた日本人の子どもを、日本人医師と看護師が毒殺したことを報道したことはありますか?〉」(p8)

上記は本書の冒頭に記されていた文章である。著者は朝日新聞のアフリカ特派員で当時南アフリカのヨハネスブルクに駐在していた。その著者のツイッター(現エックス)のアカウントに直接送られてきたのが上記のメッセージである。このメッセージにはその情報ソースの動画が貼り付けてあり、著者がそれをクリックすると動画はフランスの国際ニュースチャンネル「フランス24」のニュース映像であることを知った。それは約10分半にも及び、日本人男性との間に生まれた子どもと思われる人や元鉱山労働者、そしてコンゴの国会議員など多数の人のインタビューが映し出されていた。しかも、すでに子どもたちは組織を作り、救済を求める活動に乗り出しているという。この動画の配信元はフランス政府が所有する国際放送統括会社の傘下にあるニュース専門チャンネルでかつ取材者の名前も表記されていることから、決して眉唾なものではないと思う反面、「信憑性」に関する疑問や「報道姿勢」に対する疑念が著者の中で浮かび上がってくる。このことがきっかけとなり著者はこの事件について本格的に取材することとなった。

コンゴには「日本カタンガ協会」という団体が存在。活動しているのが日本人である田邊好美ということを知り通訳をお願いする。そしてコンゴに渡った著者は田邊の口から日本人残留児(日本人男性との間に生まれた子)が数十人から数百人実在するところまでは事実であることを知らされる。田邊は子ども達が立ち上げた団体のサポートもしていた。田邊の紹介で子どもたち(以下、日本人残留児)にあった著者は一目で彼ら・彼女らがコンゴ人とは異なる容貌をしていることを理解する。田邊たちの話によると、「フランス24」が報道する3年前に日本大使館に日本人残留児のリストと要望者を持って出向いたということであった。そしてその時の大使館側の回答が「東京に問い合わせてみたところ、この件は民事事案なので政府としては対応できません」というものであったという。また著者以外にもかつて日本人のフリーカメラマンやテレビクルーが取材に来たことがあるが、カメラマンは子ども達や母親の写真を撮ってそれっきり。テレビクルーの番組は子ども達のことには触れない酷い内容で日本のBPOに審査の申し立てをしている状況であるという。結果的にこの一連のことが日本では表舞台に出てきていないということになる。

結論を述べれば、日本人残留児に関して言えば事実であり、「嬰児殺し」に関しては誤った情報であると言える。実際に2022年に「フランス24」の映像は削除されている。しかし、それ以外のことは何も解決しないままである。つまり、日本人残留児は今尚コンゴで不遇な生活を続け、何も支援が入っていない状態なのである。そして、なぜこのような悲劇が起きたのか。これが最大の問題であり、日本の闇の部分であると言える。当時コンゴに鉱山を持っていた日本鉱業の労働者の宿舎は劣悪なものだったという。そのため日本人労働者の多くが性病にかかっており、かつこの時の指導の1つが「現地人と性行為をした後は力いっぱい小便を一気に出すようにしたら、病原菌も一緒に流れ出る」というものであったようである。これも一つの要因になったという。しかし、相手のコンゴの女性の多くはまだ13~14歳のいわゆる「女の子」であったということもここに付け加えておく。

1970年代と言えば、高度成長で日本はあの戦後から立ち直り、先進国の仲間入りをしたと言われた時代である。この出来事だけでも果たして日本は先進国の仲間入りをしたと云えていたのであろうか。著者は取材を始めてから出版まで6年の時間を要している。それだけ取材は困難を極めたともいえる。そして、かつ朝日新聞の社員でありながら、個人的な取材をすることで社内ではペナルティも与えられている。そのような中で本書が書店に並んだことは奇跡に近いのではないかとも思う。著者はこの本が世に出ることで子ども達の存在が社会に知れ渡り、救済の光が当たることを望んでいる。是非一人でも多くこの本を手にして欲しいと願う。そして、最後に当時のコンゴ日本大使館は大使館としては子ども達に何も出来なかったが、あまりにも不遇な立場に追い込まれた子ども達に個人的に支援していたこともここに付け加えておく。

======文責 木村綾子


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KIMURAの読書ノート『お寺の掲示板 諸法無我』

2024年07月03日 | KIMURAの読書ノート

『お寺の掲示板 諸法無我』
江田智昭 著 新潮社 2021年

お寺の門前にある掲示板が急に気になり始めたのは今から遡ること3年前、2021年のことである。プロ野球広島東洋カープのファンの面々がSNSでお寺の掲示板に貼られた言葉を投稿したのである。次から次へと流れてくるタイムラインでその言葉は埋め尽くされた。それが、「カープのファンでいることは、修行である」。広島市内にある超覚寺の住職が掲示板に張り出した言葉であった。当然私もこの世に生を受けて以来カープファンであるので、住職が言わんとする深い意味を理解することができ、そして爆笑させてもらった。と同時にそれまでお寺の掲示板に書かれている言葉というのは「仏陀の言葉」もしくは「御仏の言葉」と思っていたため、このように仏陀が語った言葉でなくても構わないのかということに初めて知ったのである。それ以来お寺の掲示板を目にすると、思いのほか自由にかつ端的に書かれていることに気付いた。

そして、このお寺の掲示板の言葉を集めたものが本書という訳である。本書を書店の書棚で目にした時思わず「あるんだー」とまさにつぶやいてしまったが、ただこれは掲示板の言葉を集めただけに収まっているものではない。ここに掲載された言葉の背後にはどのように仏教との関りがあるのかというところを著者は説いているのである。例えば、鹿児島県の東本願寺鹿児島別院の掲示板「今月のことば 老いることも 死ぬことも 人間という 儚い生き物の美しさだ 鬼滅の刃 煉獄杏寿郎」(p11)。人気を誇るマンガの登場人物の台詞をそのまま掲示板に載せている。この言葉を踏まえて著者はお釈迦様も「老」や「死」の問題に関して深刻に悩んでいたと記し、そこからお釈迦様がこの問題に対してどのようにして向き合っていったかということが綴られている。

東京の妙円寺の掲示板は「お釈迦様を嫌いな人もいた 『誰にも嫌われたくない』なんて思わなくていい」(p36)と言う言葉を掲示している。実際に初期仏教の記録によるとお釈迦様やそのグループが迫害された歴史が残っているらしい。ここから著者はお釈迦様が『法句経』の中に残した言葉を紹介し、掲示板の言葉について論じている。

本書に取り上げられている掲示板の言葉だけをここに幾つか列挙するが、これら全てが仏教と通じるところがあるというのが不思議でもある。
・「隣のレジは、早い。」延立寺(東京都)
・「ボーッと生きてもいいんだよ」恩栄寺(石川県)
・「ご先祖になるまでが人生です!!」龍岸寺(京都府)
・「拍手されるより 拍手した方が ずっと心が豊かになる 高倉健」鳳林寺(静岡県)
・「セカンド7番で死んでいく。 芸人オードリー若林」超覚寺(広島県)
など。
 
最後の言葉は最初に紹介した「カープ」に関する言葉を記した超覚寺である。本書でも取り上げられていたのかと思わず突っ込んでしまったが、この掲示板界隈で有名なお寺であることを本書で知った。因みにこの超覚寺の他のカープネタには、「つまづいたっていいじゃないか カープだもの」。というのもある。かなりファン心理をついた言葉である。そして、我が家にいちばん近いお寺の本日の掲示板「かみそめまみれの日常」。こちらはアニメ『SPY×FAMILY』オープニングテーマ曲の一節である。

お寺は「仏教」という戒律の厳しい世界のように思っていたが、これらの掲示板から想像以上に自由で弾けている世界であると感じた。そして、その掲示板から発せられる言葉を見ていると、殺伐とした世の中になっているようで、実は掲示板を通してお寺がとても温かい目で見守ってくれているということを感じるのであった。

 

文責 木村綾子


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KIMURAの読書ノート『空飛ぶ山岳救助隊』

2024年06月16日 | KIMURAの読書ノート


『空飛ぶ山岳救助隊』
羽根田治 著 山と渓谷社 1998年

「登拝」という形で私が山に入るようになって2年が過ぎた。最初は「山に入る」ということが全く分からず、登山道(参道)に足を踏み入れようとした瞬間にその場にいたトレッカーから止められるという経験もした(山に入るには軽装すぎた)。今ではそこそこ「山に入る」ということが分かり始め、「登山」をしているという意識は未だにないが、山岳保険にも加入し、山の情報が常に入るようにしている。そのような中で「山岳救助」に関しておススメする本として紹介されていたのが本書である。

本書は山岳救助に民間のヘリコプターを活用しレスキューに命を懸けた篠原秋彦の半生を綴ったものである。彼がレスキューにヘリコプターを活用するまでは、民間のヘリコプターの役割は林業や山小屋で仕事をする人のための物資などの運搬や山に建設する送電線やパラボラアンテナの工事や、整備事業にそれを使っていた。篠原が当初入社した東邦航空も例に漏れずそのような仕事を請け負っていた。篠原は長野県で生まれ育ち、幼い頃から家業の手伝いとして山に入り、高校生の時には学校の規則を破り八ヶ岳を縦走。山が身近な存在であり、一般の人よりは山を熟知していた。東邦航空に入社し、しばらく経ってから年に2,3件山小屋への荷揚げのついでに、山小屋にいる病人やケガ人を下ろすようになっていた。ある日のこと、とある山小屋に一般登山者から登山者が滑落したという情報が入り、山小屋のスタッフが遭難現場に向かう。遭難者を発見し、警察に連絡、ヘリコプターを要請。この時東邦航空のヘリコプターが初めて遭難現場に出動、搭乗していたのが篠原であった。この当時(1970年代)の山岳遭難事故が発生した場合、一報は所轄警察署に届けられるものの、捜索にヘリコプターを使う場合、民間のヘリコプター会社に依頼するしかなく、警察所有のヘリコプターは導入されていなかった。しかし、このような場合の民間のヘリコプター出動は「仕事外のボランティア」であり、会社からしてみれば、本来の業務でない危険を伴うレスキューには後ろ向きであった。これをきちんとした仕事として確立していったのが篠原なのである。

本書の半分は篠原が関わった遭難事故に関するものであるが、やはり読み応えがあるのは、篠原が確立していったヘリコプターによるレスキューの歴史であろう。もともと山ヤだった篠原が地盤を築き、彼と同じレベルの山ヤや有能なヘリコプターの操縦士をパートナーにし、遭難者を救うことでレスキューをすることの意味に説得力を持たせ、会社をはじめとする関係者を納得させる過程は半端なものではない。そして、今では警察も山岳救助に対するヘリコプターを導入し、民間の会社と協力体制を敷いて、現在も二人三脚で山岳救助をおこなっている。本書の最後では1998年に行われた冬季長野オリンピックにおいて、レスキュー用のヘリコプターをスタンバイさせていたことにも触れている。
 

近年、登山者が増え、それ故に遭難者も増加。無事に命を救ってもらえるのは、篠原が築き上げた山岳救助における歴史の積み重ねがあるお陰である。しかし、私自身実際に山に入って分かったことがある。いくら万全に装備し、注意を払いながら山に入っていっても、遭難する時にはしてしまうのである。遭難した全ての人が軽率な行動によるものではないことだけは伝えたい。それだけ「山」は危険な場所なのである。古代先人たちは山を「神」の住まうところと崇め、修験者は修行のために山に入っていくのは、やはり危険な場所だからに他ならない。そのような場所に私が入っていくのは、先人たちの足跡をただただ辿ってみたいからである。本書を読み改めて気を引き締めながら週末は山に入る私である。

=======文責 木村綾子


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KIMURAの読書ノート『川のほとりに立つ者は』

2024年06月03日 | KIMURAの読書ノート

『川のほとりに立つ者は』
寺地はるな 作 双葉社 2022年

原田清瀬のスマートフォンが振動した。電話に出ると、とある病院からのものであった。「松木圭太」という男性を知っているかという内容。松木圭太は清瀬が半年前に分かれた元彼であった。病院に到着した時には、圭太は集中治療室の中で意識が戻らない状態。歩道橋の下でもう一人の男性と共に倒れていたということであった。圭太は何も持っていなかったが、唯一ポケットから出てきたのが圭太が住んでいるアパートの鍵。その鍵についていたホイッスルの中から出てきたのが、自分自身の氏名や住所などの個人情報を書く欄と緊急連絡先を書いた小さな紙片であった。そこに清瀬の番号が書いてあったのである。病院から圭太との関係性を聞かれ、つい「婚約者」と応える清瀬。一緒に階段下に倒れていた男性もまた集中治療室の圭太の横で意識を取りもどさずにたくさんの管につながれていた。圭太の鍵を持って、アパートに向かった清瀬。部屋に入ると自分の知っている圭太の部屋ではなくなっており、そこにはホワイトボードや折り畳みの机と椅子が置かれてあった。そして机の上には小学生が使うような大きなマス目のノート。そこには圭太のとは異なる幼い字が並んでいた。これらのノートの束を自分のカバンにしまい、机の上にあった圭太のスマートフォンを拾い上げる。そこから圭太の家族に連絡を入れるものの、そっけない返事。振り返れば元彼のことを清瀬は全く知らないことに気が付いた。なぜ、圭太は階段下にもう一人の男性と倒れていたのか。そしてノートの持ち主は誰なのか。圭太はアパートで何をしていたのか。たくさんの疑問が清瀬に襲いかかる。

この作品は圭太が持っていた『夜の底の川』という本の一節をあらゆる場面で用いつつ、清瀬と圭太の日記風の文章が時間軸を交錯しながら物語を展開している。そして、登場人物の清瀬と圭太だけでなく、そこでは様々な人間模様が繰り広げられている。その中で清瀬が圭太のアパートで持った疑問が一つ一つ明らかにされていくのであるが、決してそこでは明らかにされたことが全てではないという余韻を持たせた幕引きとなっている。物語の最後には『夜の底の川』での一文「川のほとりに立つ者は、水底に沈む石の数を知り得ない。」と綴られ、読者はノックアウトさせられる。ただただ、重い宿題を提示させられただけの感覚すら持ってしまう。

この作品をあらすじで示すときに、作品そのものに登場人物の背景まで盛り込ませてはいけないという無言の圧力を感じる。なぜなら、その登場人物を最初からその背景の視点のみの先入観で読者が見てしまうからである。もともと持っている背景だけでは語れないその人物を読者視点できちんと見て欲しいというのが、作者の本来の意図のように受け取っている。そして、読者自身が、何が正しくて、何が間違っているのかしっかりと自分の視点を持って登場人物や物語を理解することにより、先にあげた「川のほとりに立つ者は、水底に沈む石の数を知り得ない。」という言葉の重みに気付かされる。

清瀬が圭太に関する謎を解くという意味においては、ミステリーにカテゴライズしてもおかしくはないが、一般的にイメージするミステリーと比較するととても地味で作品そのものも派手さは全くない。それでも、2023年本屋大賞にノミネートされ、かつ京都市内の図書館では2024年5月23日現在、予約人数が123人と未だ書架に並ぶ気配がない。私自身、この作品の存在を知り京都市図書館で予約したのが、昨年の6月。そして手にしたのが先月5月の半ばであり、ほぼ1年後ということとなった。作品そのものは目立つ要素を完全に排除したものなのであるが、密かに人気本であるらしい。    

======  文責 木村綾子


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KIMURAの読書ノート『ルビーの一歩』

2024年05月16日 | KIMURAの読書ノート

『ルビーの一歩』
ルビー・ブリッジズ 著 千葉茂樹 訳 あすなろ書房 2024年1月

1冊の本を手にする度に自分の無知さ加減が露わになる。本書もその1冊。著者はアメリカの公民権運動家。それすら知らなかったのであるが、ページを開いた最初に書かれていたのは、「わたしは、地元のニューオリンズにあるウィリアム・フランツ小学校に入学することになったのですが、そこは白人だけが通う学校でした。その学校に、はじめて入学するただひとりの黒人の生徒に選ばれたのです(p3)」。この一文の最後「選ばれた」とはどういうことなのか。すでに頭の中にクエスチョンマークがいっぱいになる。ページをめくるといちばん下に小さく注釈として「1954年、アメリカの最高裁は『ブラウン対教育委員会裁判』において、学校での人種分離政策を違憲とする判決を下した(p4)」とあったが、それでもよく実情が分からない。そのような訳で、「選ばれた」とこの裁判についてページをめくるのをやめて調べることとなった。

ルビーは1960年に「選ばれて」いるので、先に1954年の裁判について調べてみた。そこで分かったのは、これよりも前は、アメリカにおいて白人と黒人は公立学校において別学だったということであった。それに対して最高裁が違憲を出したのがこの裁判という訳である。1954年と言えば、日本に置き換えると戦後の話。日本は戦争に敗れて、GHQの指導の下でとりあえず男女平等になり、言論の自由などかなりの部分で社会的文化を今となっては良い方向へ変わらせている。そのアメリカは男女に対しては平等に扱っていながら、黒人への差別はあからさまに残していたということに呆然としてしまった。それでは「選ばれた」というのはどういうことなのか。1954年にこの判決が出たからと言って、すぐに社会の意識が変わるわけではなく、ルビーの住むヴァージニア州のとある地域では5年間も公立学校をクローズしたらしい。更には州知事までクローズさせようとしたところを大統領からストップがかかり、白人が通学する学校を2校ピックアップし、統合するように命じる。その1つがルビーが通うこととなる小学校なのだが、この学校に通学する意志を黒人家庭に調査したところ、多くの家庭に意志があったため、何と黒人の希望者はテストが課せられたのである。目的はもちろん黒人を排除するためである。そして合格したのがルビーを含め3名の子ども達。つまり「選ばれた」という訳である。

今でも黒人差別があるのは感覚的に漠然と知っている。しかし、それは庶民の間で持ってしまう内面的な差別だと思っていた。しかし、それが政治的にもあからさまであったということに衝撃を受けてしまった。誰もがアメリカに行けば、自由を獲得し大きく飛躍できるという「アメリカンドリーム」という言葉がかなりうそぶいていることを知ってしまった感じがする。この言葉の裏側には「白人限定」という注釈が盛り込まれていたということになる。

本書はルビーが小学校に入学してから何が起こったのか、当時の写真と共に語られている。たかだか学校に行くために護衛が4名付き、教室は白人の子どもたちと別室で先生と1対1の授業。学校の外では彼女を退学させようと躍起になる大人たち。それは小学1年生に向ける大人の態度とは思えない暴力的なものばかり。ここまで人は狂暴になれるのかという1例をまた知ってしまったのである。

現在NHK朝の連続テレビ小説では男女不平等と戦う女性初の弁護士を主役としたドラマが放送されている。なぜ意味もなく差別されてしまった人がそれに対して戦わなければならないのか……。釈然としない思いばかりが積もってくる。
     ======== 木村綾子


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KIMURAの読書ノート『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』

2024年05月04日 | KIMURAの読書ノート

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』
ブレイディみかこ 著 新潮社 2021年

2019年12月の読書ノートに同タイトルの本を紹介している。本書はその第2弾であり、すでに3年前に刊行されていたのだが、ようやく手にすることができた。第1弾のその後ではあるが、かなり濃厚に書かれているため時間的にはそこまで進んでおらず、著者の息子の中学生時代の話題である。第1弾で感じたのが、息子の発言はかなり的確で大人のようであるということ。そこからわずかな時間しか経過していないにも関わらず、息子の発言は以前にも増してより客観的に深いものとなっていることに驚かされる。なかなか今の日本の中学生と会話をする機会がないため、比較することはできないが、少なからず自分の中学生時代にこのように示唆に富んだ発言をしていたかと振り返ると皆無である。これは、著者の家族の環境的要因なのか、それともイギリス全般にこのような傾向が見られるのか、もしかしたら日本の中学生もこのようになっているのかは分からない。しかし、彼だけの発言として捉えるのではなく、ティーンエイジャーがこのような考えを持ち、時に大人を厳しい目で見つめているということは肝に銘じておく必要があるとしみじみと感じた。

第1弾同様にイギリスの社会制度、教育制度が著者の家族を通して語られているが、その中で今回いちばん目を惹いたのが、高校生に進級するための進学制度である。イギリスではGCSEという中等教育修了時の全国統一試験を受けるようである。大学進学を希望している生徒はこの試験で一定以上の成績を収める必要があると記されている。この試験には日本でいうところの主要五科目(国語、数学、外国語、理科…本文では科学、社会…本文では歴史、地理)が必須。ここまではなんてことはない、日本と同じなのである。日本と異なるとしたら、イギリスは全国統一で、日本は公立だと各自治体、国・私立だと各学校によりテスト問題が異なるという点のみである。しかしである。ここから大きな違いがある。著者の言葉をそのまま引用する。

「シティズンシップ、経済、コンピューティング、芸術&デザイン、ダンス、映像、エンジニアリング、宗教、音楽、演劇など多種多様な科目を選んで受験できることになっている(英国政府のサイトで確認したら32科目あった)。(p81)」

これを1つの学校が全て教える訳には行かないので、学校によってこの選択科目の指導は微妙に変わってくるらしいのだが、それでも、大学進学予定の生徒たちは10科目ないし13科目は受験する。と言うことは、1つの学校で32科目全てを開講しないにしろ、生徒が「選択する」ということを考えると最低でも20科目近くは開講しているということになる。世界中で1日の持ち時間は24時間で、1週間は24時間×7日のはずである。同じ時間を日本でもイギリスでも共有しているはずなのに、このカリキュラム運営の差はどこから来るのであろうか。また、大学試験に目を向けてみると日本では近年総合型試験にシフトしようという動きが出ているが、イギリスの制度から見ると学力が「有りき」の上でそれらが成り立っていると感じる。学力を決してそれ以下には考えていないだけでなく、個人の関心や活動の幅を広げるための科目も学校で用意されているのである。そして、その授業内容は本格的である。例えば著者の息子はミュージックコースを選択しているが、作曲や演奏や理論的なことだけでなく、音楽を商品化するというビジネスサイドのことも学ぶようである。そうして、この授業で課せられたことがコンサートのプロモータになったつもりで、クライアントに会場の提案をするためのプレゼン資料の作成である。その会場は架空のものではなく、実在のようである。そのため、その会場に使用料や機材を搬入するための決まり事などを直接その会場に連絡を取り、教えてもらうのである。この位の授業レベルなのである。これを踏まえた上での総合型の大学入試なのである。ちなみに彼が通っている学校は地元の公立学校である。

日本でここまでの授業を行っているかというと皆無とまではいかないが、多くが私立学校ではないだろうか。私立学校に進学するか否かは親の経済力の差と言われているが、公立でこのような授業が行われていないとなると(現在日本でも入試制度を総合型入試にシフトチェンジしようとしているが)、総合入試のために「お金」でその力をつけていくという、より一層親の経済力を必要とすることになるだろう。総合型入試にシフトチェンジするならば、その母体をしっかりと造っていかなければ、これまでと同様に中途半端な入試制度になり、かつ経済格差が子どもたちの教育により影響を及ぼすのではないかと、ますます心配になってきた。 

            文責 木村綾子


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KIMURAの読書ノート『古鏡のひみつ』

2024年04月17日 | KIMURAの読書ノート

『古鏡のひみつ』
荒井悟 編著 河出書房新社 2018年

去る3月30日~4月7日まで橿原考古学研究所附属博物館で昨年奈良市の富雄丸山古墳で発見された蛇行剣が一般公開されたため、見学してきた。この蛇行剣は国宝級の発見と言われているが、この古墳で発見された国宝級のものはこれだけではない。もう1つが「盾形銅鏡」で現在は「鼉龍文(だりゅうもん)盾形銅鏡」と名づけられている。という訳で今回も考古学の本を取り上げる。残念ながら見学した「剣」に絡むものではなく、今後一般公開をしてくれるであろうと期待している「鏡」に関するものである。

古墳からの出土品に鏡が出てくることはしばしあることは知識と知っていたし、これまでも博物館で数多く目にしてきた。しかし、その役割というのを深く考えたことはなかった。ましてや、鏡の裏の数々の文様に意味を持たせているということなど、はなから意識の中に組み込まれてさえいなかった。ただのデザインとしての意味合い程度だったというのが正直なところである。そのため、最初の小見出しに「実用品とは違う『鏡』の姿」というのを目にした時、言葉につまってしまった。私としては「姿見」とまでは思わなくても、グリムの昔話「白雪姫」に出てくる「魔法の鏡」程度、つまりどのような場面であれ「人を映す」というのが第一番の使い道だろうと思っていたからである。本書によると古代の人たちは鏡面以上に鏡背(鏡の裏側)に神秘の力を感じていたという。この言葉を枕にたくさんのカラーで掲載された鏡が余すとところなくページを埋めている。そして、説明書きを見なくとも、鏡背の文様がここまで異なっているのかと見せつけられる。

鏡の歴史としては4000年前の新石器時代の中国、斉家(せいか)文化まで遡るらしい。そして、殷周時代を経て春秋戦国時代に精巧な金属製の鏡が制作されるようになったと説明されている。この金属製が太陽の光を浴びて輝くため、このことが古代の人々は神秘の力と感じ取ったようである。日本には弥生時代前期に大陸からもたらされ、弥生時代中期に日本列島各地の社会に広がっている。
 
本書は中国で出土した鏡と日本で見つかった鏡それぞれを歴史と共に行きつ戻りつしながら、説明されており、それは古代だけでなく、中世に入っても神格化された鏡としての位置付けにまで考察は及んでいる。そして、それは19世紀後半まで続いていたということを史料から読み取ることができると本書では説明されていた。

が、それは説明文を読まずしても掲載されている数々の鏡の文様を目にするだけで、鏡が特別な存在であったということが分かる。そして、その文様はただただ「素敵」という言葉ひとつで片づけても何らおかしくなく、今の日常からは考えられない程、精密で丁寧で独特のデザイン性を持っており、どれも魅了されるものばかりである。

さて、日本における四世紀は国内でも、大陸でもその記録がない「空白の四世紀」と言われている。富雄丸山古墳から発見された数々の出土品はその四世紀の時代のものである。今年の3月時点の情報では出土された鏡についてはまだ背面が確認されていない(クリーニング作業が終わっていない)状況だという。もし、この背面に何かしらの文字や意味を示す文様が刻まれていたらと思うと、今からわくわくした気持ちが抑えられない。調査結果と一般公開が待ち遠しい。


========文責 木村綾子





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KIMURA の読書ノート『考古学者が発掘調査をしていたら、怖い目にあった話』

2024年04月04日 | KIMURAの読書ノート

『考古学者が発掘調査をしていたら、怖い目にあった話』
大城道則 芝田幸一郎 角道亮介 著 ポプラ社 2023年7月

現在、古代日本についてどっぷり、沼にはまっている私ですが、小学生の頃は古代日本よりは世界の古代遺跡にどっぷりとはまっていました。正確に言えば、「世界のミステリー」と銘打った本を読み漁っていましたので、その中にはマチュピチュやイースター島、イギリスのストーンサークルなどの記述があり、知らず知らずのうちにその世界を妄想していたという訳です。もちろん、現在も関心は薄れてはおりません。日本の古代遺跡のように、歩き回ってフィールドワークということができないので未だ知識ばかりを詰め込んでいますが、関連した本に出合った時は家にお連れするという状況です。という訳で、今回はまさにそれに関連する1冊です。

3人の著者は大城氏が古代エジプト、芝田氏が南米ペルー、角道氏は中国殷周時代がそれぞれ専門分野。彼らが現地で発掘調査をしている際に起こった出来事がエッセイ風に綴られています。「怖い目」というと、「幽霊」にあったとか、「強盗」にあったなどをうっかり想像してしまいますが、考古学者ならではの「怖い目」はそれだけではありませんでした。
 
例えば、かつてツタンカーメンの発掘調査に関わった人が、次々と死亡したということを引き合いに出し、現在も地下での発掘調査を行った後に1カ月熱が下がらなかったこととか、やはり地下での発掘調査で、2週間その地下にこもって人骨と共に過ごしたこと。別の現場では共に過ごしたどころではなく、地下に閉じ込められた話。笑えるけれど深刻なトイレの事情。食文化から伝統神事に関して日本ではありえないこと。何よりも海外で発掘調査を行うために申請する書類が100ページを超えること。この中には全く命にはかかわらない話題もありますが、どれもこれも考古学者にとっては「怖い目」。まさに聞いてみないと分からない話ばかりです。

しかし、最後に執筆を担当している芝田氏のエンディングはまさに身の毛のよだつような「怖い目」。未だ科学的には解明されていないことです。そのようなことって本当にあるのだと、ただただ読みながら呆然としつつ、やはり、さもありなんか……と思ったりもします。そして、私が幼き頃の読んでいた「世界のミステリー」にそれがつながっていく不思議な感覚がありました。これだからこそ、古代遺跡から関心を外すことができないのだなーと一人で納得した次第です。

本書はこれだけに特化したものではなく、全体的には世界を飛び回る考古学者の仕事はどのようなものなのかということがエッセイの中で綴られていて、そこには全く想像のできなかった世界(業務内容)が広がっております。そして、読了後に思ってしまったことは「この職業、気力、体力、時の運の3拍子揃ったものを持っていないと務まらないな」ということ。この3拍子を持ち合わせた考古学者なしには、私たちが果てしない世界の歴史を見て妄想することができないのだ思うと、ただただ頭が下がったのでありました。

=====文責 木村綾子


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KIMURAの読書ノート『災害にあったペットを救え』

2024年03月18日 | KIMURAの読書ノート

『災害にあったペットを救え』
高橋うらら 著 小峰書店 2019年

今年のお正月に能登半島で巨大な地震が起こったことは誰もが知っていることである。そして、地震が起こった直後すぐに派遣されたのがDMATである。DMATは「災害派遣医療チーム」のことであり、被災した人達の生命を守るために被災地に駆けつけ救急治療を行う団体である。この団体に関しては多くのメディアで報道されていたので、知っている人は多いと思われる。しかし、このチームだけでなく、DHEAT(災害時健康危機管理支援チーム)、JRAT(大規模災害リハビリテーション支援関連団体協議会)など、表で報道はされていないが、多くの専門支援団体が直後から現地に入って活動を行っており、そしてそれは震災から3ヶ月近くたった今も継続している。これら専門団体は、1995(平成7)年に起こった阪神淡路大震災や2011(平成23)年の東日本大震災の反省を踏まえた上で、国や行政などが組織的に創設したものである。と、ここまでは人間に対する専門支援に関することである。

翻って今や「家族」として認知されつつある犬や猫はどうなっているのだろうか。実は東日本大震災をきっかけに動物たちを救助・保護する団体が各自治体の獣医師単位で結成されていた。それがVMAT(災害派遣獣医療チーム)。そして、本書はこの医療チームが立ち上がるまでの軌跡を綴ったものである。

VMATが創設された時、あちこちから「VMATの理想としてはすばらしいけれど、災害が起きたときは人命優先にあるから、実際にうまく活動するのはむずかしいんじゃないか(p146)」という声があちこちから聞こえたようである。確かに人命が優先されるのは当たり前なのであるが、例えば、DMATはあくまでも人への治療が目的で支援に入るが、倒壊した家屋から治療しなければならない人を救助するのはDMATではなく、消防隊や自衛隊の人たちである。なぜなら、それが彼らの専門だからである。先に挙げたDHEATもすぐに現場に向かうがそれは避難所などの衛生を保つためであったり、薬がない人たちの対応をするためである。そして、JRATは避難所で日常の生活ができず体を動かすことが困難な状況に置かれた被災者がそれに伴い死亡(災害関連死)するのを予防するために支援する。全ての専門団体が治療をする訳ではなく、それぞれの専門性のある分野で支援していくわけである。そうなると、獣医師が被災現場に入った場合、もちろん人間を診察できるわけではないので、動物を支援していくというのは理にかなったことなのである。逆に現場にいる医師や保健師、理学療法士の人が目の前にけがをした動物たちがいても、治療できる術をもっていない。また、動物を支援していく理由は他にもある。本書でこのように記されている。「動物の死体が山積みになり、のら犬やのらネコがふえ、伝染病がはやり、状況はますますひどくなり、すべての復興が終わるまでに、よけい時間がかかってしまうのです(p147)」そして、続いて「ペットを助けることは、飼い主を助けることにつながります。人間を救うのは人間をみる医師ですが、獣医師は、動物をみることで、飼い主の精神的ショックをやわらげることができます。緊急時には人命優先が当然とはいえ、今後VMATが全国で組織され、出動するしくみが整えられれば、きっと多くの飼い主が救われるにちがいありません(p148)」

本書は2019年に刊行されたもので、東日本大震災後に起こった熊本地震での支援活動については記述されている。今回の能登半島地震での活動については、その報告を待つばかりである。そして、VMATではないが、今回の地震では多くの動物保護団体が被災地に入り、迷子になった犬や猫の捜索にあたっている。そして震災から1ヶ月以上経ってからも、無事に救出した嬉しい報告がSNS上に流れてきている。また、環境省も早々に動物対策本部を立上げ、 各市町の避難所において、置き去りにされたペットの存在等の課題を把握するようにしていた。

先月の読書ノート『福田村事件』で私自身「被災者の行動様式の変容には大きな進化があることをこうして対比するものがあるからこそ気付くことがある」と書いたが、支援する側も間違いなく大きな進化が見てとれる。しかし、まだ復興には長い時間がかかると思われる。少しでも被災者とその家族としての犬や猫が安心して生活できるように祈るばかりである。
=======  文責 木村綾子


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KIMURA の読書ノート『ざんねんな万葉集』

2024年03月02日 | KIMURAの読書ノート

『ざんねんな万葉集』
岡本梨奈 著 飛鳥新社 2019年

何匹目のドジョウを狙う気なのかとお𠮟りを受けることは、簡単に想像ができましたが、やはりあまりにも可笑しくて、しかし、人間味有りすぎて、ここに紹介しなければもったいないと思ってしまいました。かつてのドジョウの言葉を借りれば、今回は『万葉集』の「超現代語訳」。しかも、本書はこれまでとは異なり、教科書では「絶対」と言い切っていい程、登場することはない歌ばかりが掲載されています。本書で出逢わなければ、どこで出逢うのと言っていい程のものばかりです。これを上梓した著者は冒頭でこのように説明しています。「万葉集は日本最古の和歌集で歌の収録数は日本最多の4516首!もはや、集めすぎたと言っても過言ではありません。ですから微妙な歌もたくさんあって、カスな奴らが、身勝手なイタい歌を詠んでいたりするのです(p5)」

そして、いちばん最初に登場する歌が作者未詳のこちらとなります。
「愛しと 我が思ふ妹は はやも死なぬか 生けりとも 我に寄るべしと 人の言うはなくに(うるはしと あがおもふいもは はやもしなぬか いけりとも あれによるべしと ひとのいはなくに)」
これの一般的な現代語訳は次のようになります。
「美しいと 私が思う愛しいあの娘は 早く死なないかなぁ 生きているとしても 『私になびくだろう』と 誰も言ってくれないので」
現代語訳ですら、すでに不穏な空気が流れてきており、と言うか、超現代語訳は必要ないと言っていい程十分に詠み人の意図は伝わります。そして、そこに風情も優雅さもありません。それでも、とりあえず超現代語訳ではどうなるのか。
「付き合ってくれないなら死ね」

「春の園 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つをとめ」
こちらは万葉集を編纂した人の1人とされている大伴家持の歌で、私が中学生の時の教科書に掲載されていた歌でもあります。私が記憶する限り、桃の花の可愛さを描写することにより、その下に立っている少女の可愛さが更に強調され、雅な歌の1つとして学びました。しかし、本書によると、彼は当時かなり女性からもてていたようで、この万葉集に女性からもらったラブレター、つまり家持宛の歌を数多く載せたそうです。それだけならまだしも、それらに対して自ら以下のような歌を詠んで、しかも自身でちゃっかり掲載させたというのです。
「なかなかに 黙もあらましを なにすとか 相見そめけむ 遂げざらまくに」
(現代語訳:いっそ黙っていればよかったなぁ。どういう理由で逢いはじめたのだろうか。最後まで愛しぬくなんてできないであろうに。超現代語訳:口説いた女がめんどくさい)
更に家持は自身が編者であることを良いことに、この万葉集に自らの歌を479首載せているそうです。つまり、1割以上が家持の歌。

更に付け加えておきますと、同じく編者である山上憶良に関してもかなり目の当てられない歌を詠んでいます。教科書では貧窮問答歌を詠んだ、弱い者に対して目を向ける社会派的な人として教えられたはずなのですが、「超現代語訳:一万円あげるからこの子を天国へ」。もう、学校で学んだことは木端微塵。本来の和歌ではどのように詠んでいるのかは是非本書を手にしてみて下さい。超現代語訳が突拍子ではないことが一目(一読)瞭然です。

本書はここ最近の古典ブームに乗っかって刊行されたのかと思っていたのですが、6年前に元号が「令和」に変わった時、その出典が万葉集からということで、より身近に感じるようにとその時に刊行したようです。令和になって以降の「超訳」としては先駆的な本でもありました。それにしても、「万葉集」という和歌集は編纂することにより、ずっと読み継がれるであろうということは編者たちには分かっていたはず。それでも自らの危ない歌を掲載してしまう辺り、よほどナルシストだったのだろうかと想像してしまいました。ただ、これらが残ることで現代も1300年前も人間臭さというのは何も変わらないということをここでも教えてもらうのでした。

=======文責 木村綾子


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KIMURAの読書ノート『48歳で認知症になった母』

2024年02月15日 | KIMURAの読書ノート

『48歳で認知症になった母』
美齊津康弘 原作 吉田美紀子 漫画 KADOKAWA 2022年

原作者、つまりこの作品の主人公である美齊津氏の経歴は一見華々しく見える。1973年福井県出身。防衛大学卒業後、実業団のアメリカンフットボール選手として活躍。その後介護の道に進むのであるが、彼が防衛大学校に入学することになったのも、タイトルにもなっているようにお母様の認知症が大きく関わっていることを知ると驚くのではないだろうか。本書は母親の認知症発症時から現在までの様子をコミックエッセイという形で表された作品である。

原作者が小学5年生の時、母親の認知症が発覚。原作者は父親、母親、姉、兄の5人家族であったが、父親は会社を経営しており、その片腕として働いていた母親(妻)が病気になったため、全てを一人でやりくりをするため朝早くから夜遅くまで働くこととなり、家には寝に帰るような状態となる。姉はすでに結婚をし、夫の家族との同居で帰省するのもままならず、兄は高校生であったが、自室に引きこもるようになる。そのような状況下で自然と原作者が学校から帰ると母親の見守りをする立場となる。彼が中学生になると兄は県外の大学に進学。これまで以上に原作者に負荷がかかってくる。

今、社会問題となっている1つ、そして子どもに対する虐待という認識にもなってきている「ヤングケアラー」はまさに原作者自身のことであった。この作品には複数の視点が用意されている。ヤングケアラーとしての原作者の視点。認知症を患った母親の視点。会社を抱える父親の視点。家事を担うことになった叔母の視点。そして、原作者の姉、兄の視点。正直誰も幸せな未来を描くことも出来なくなっている現実がそこにあった。とりわけ当時は介護保険があった訳でもなく、身内が病気になった場合は身内でカバーするしかない状況は今とは比べものにならない程である。原作者は現在介護の道を選びケアマネージャとして日々奮闘しながら、「うちにもケアマネジャーがいたら僕たちは救われたかもしれません」と語っている。

しかし、今ヤングケアラーとして家族の介護をしている子ども達に、介護保険のことを知っている子はどれくらいいるだろうか。もし知っていたとしても果たして申請を子どもだけでできるのであろうか。そもそも親の病気が介護保険を利用できるものなのかどうか。多くの疑問が残る。周囲の大人が先に手を差し伸べなくては何も動かないのは、介護保険があろうとなかろうと変わらないのである。それを見過ごしてしまうとどうなるのか。それがこの作品の中の原作者の姿である。恐らく、現実の世界はこの作品で描かれている状況よりもかなり過酷なのではないだろうか。この作品を読んで、子どもがどのような現状に置かれているのかという一端を知るには大切な1冊であると感じる。と同時に、現在このような境遇に置かれている子どもたちをどうしたら早く各自治体の福祉につなげることが可能か、改めて考える必要性がある。

     ===文責 木村綾子


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KIMURA の読書ノート『福田村事件』

2024年02月04日 | KIMURAの読書ノート


『福田村事件』
辻野弥生 著 五月書房新社 2023年7月

昨年9月に公開された映画『福田村事件』。かなり話題になったのだが鑑賞する機会を得ることが出来なかったため、その基となった本書を遅ればせながら手にした。ご存じの方も多いだろうが、この「福田村事件」は関東大震災のあった5日後(1923‐大正12年9月6日)千葉県福田村(現在の野田市)で香川県から来ていた薬の行商の一行15人が地元の人たちに襲われて9人が亡くなったという事件である。正確には妊婦さんもいたためお腹の子を含めると10人が殺害されたことになる。

この事件の背後には明治政府がアジアにおける植民地支配競争に乗っかってしまったことにある。1910(明治48)年日本は大韓民国を併合し大韓民国は消滅。以降、35年間の日本の植民地支配となる(この時から「朝鮮」と呼ばれるようになる)。韓国を併合した日本が韓国における政策は「愚民化政策」とも言われるほどひどいものであった。そのため朝鮮では食べていけなくなった多くの人たちが日本に流れ込む結果となり、強制連行で日本に連れてこられた人たちも含むと230万人にものぼったという。そこで朝鮮人に待ち受けていたのが日本人の差別と偏見と悪条件による肉体労働である。それに対しての朝鮮人による激しい抵抗運動。日本国内は常に緊張状態となった。このような中で「関東大震災」が起きたことで誰ともなく流した「朝鮮人来襲」というデマが飛び交い、あたかもそれが真実のように人々の間に駆け巡ってしまう。そして、日本人を朝鮮人と間違えて殺してしまうという事件へと発展していくのである。

が、ここで間違えてはいけないのは、「日本人は殺してはならず、朝鮮人はいいのか」という論法である。当然、日本人であろうと朝鮮人であろうと殺してはいけないのは当然である。そして、ここには事件の背後にある朝鮮の人たちへの差別と偏見が明白なものであることが分かるのだが、更に別の差別が複雑に絡み合っていることが分かっている。これらの差別に関しての歴史や論考は本書を含めて多くの本が出版されているので、そちらに譲りたい。

本書を読んで私がいちばん驚いたことは実はこの差別ではなかった(差別を軽視している訳ではない。これまでにこれらに関する本を幾つか読んでいるため知識を少し持っていたためである)。私が驚いたのは関東大震災が起こった直後の被災者の行動様式である。被災者は大八車に荷物を載せて逃げたという。そして、地震発生がお昼時だったため、あちこちから火の手が上がったという。本書によると江戸時代から消火作業の妨げになるため、火事の場合家財道具を持ちだすことは禁止となっていたらしい。それでも、人々はそのことを守らず大八車にそれらを載せて逃げてしまったため、それら荷物に火の粉が移り大火災になったというのである。火事が原因での死者の割合は全体の55%になるらしい。また、𠮷原で働く女性は「商品」として扱われていたためこのような事態においても、女性が廓外に逃げ出さないよう、廓内に閉じ込めたという。

奇しくもこのお正月に能登で地震が起きた。沿岸部のスーパーの店長さんはその直後に従業員やお客さんたちを素早く高台に避難させた(車で来ていた人は車をそのまま放置させ手ぶらで)ことにより全員津波による被害から免れている。そして同様のケースが幾つか報道された。決してスーパーにとって貴重なお客さんだからと言って、店内に閉じ込めておくようなことはしていない。これは決して笑い事ではない。わずか100年前にはそれをやっていた事実があるのである。振り返れば、まだ関東大震災から100年しか経っていないのに被災者の行動様式の変容には大きな進化があることをこうして対比するものがあるからこそ気付くことがある。そして政府の動きもまさにそうである。大震災時はこのデマを政治利用して、巧みに日本人をあおり、朝鮮の人たちを悪者扱いにしているのである。しかし、今回の能登地震での政府の対応は目を見張るほどの速さだと感じている。人間どころかペットにまで心を配る対応をしてくれている。勿論それが十分であるとは言えないし、まだまだ復興には時間がかかるとは思う。それでも、今回の震災に関しては被災者も支援する側も歴史から学んだことが活かされていると感じる。そして政府は更に歴史から得るものを吸収して、この復興に全力投球して欲しいと願う。

       文責 木村綾子


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KIMURAの読書ノート『うちの犬(コ)が認知症になりまして』

2024年01月16日 | KIMURAの読書ノート

『うちの犬(コ)が認知症になりまして』
今西乃子 著 青春出版 2023年

これまで「猫」に関する本は幾度となく取り上げたことはありました。なぜならご存じのように2年前に看取った息子(猫)を溺愛していたことから、完全な猫派の信奉者となってしまったからです(もちろん現在進行形)。それでは「犬」はどうなのかというと、嫌いではなく関心がないわけでもありません。そもそもは犬派だったわけですので。ただ、猫に気持ちが持っていかれてしまっているので、優先順位が犬よりも猫なのです。しかし、その優先順位をすっ飛ばしてでも読みたいと思わせてくれる本が現れました。それが本書です。

タイトル通り、家族の一員として共に生活をしていた未来(犬・雌)が認知症を患い、その介護の記録をまとめたものです。猫に比べて犬の方が認知症に罹患しやすい印象を持ちますが、データ的には共に罹患率は50%のようです。しかし、猫よりも犬の方が圧倒的に早い時期から罹患するケースが多く、大型犬だと6~7歳で罹患すると言われています(猫は11歳以降)。また、犬種では日本犬が多く全体の30%。その中でも柴犬の占める割合は80%となっています。また、これは私の感覚なのですが、彼らが認知症に罹患した場合、その症状として夜泣き(夜鳴き?)があり、犬の場合は遠吠えになってしまうコも多く、その鳴き声が家の外にまで響いてしまうことが多いため目立ってしまう。そして、早いコだと6歳から発症するため必然的に介護生活が長くなり、結果犬の方が罹患率が高いという印象を持たせるのだろうと推測しています。

その未来はデータに反することなく柴犬でした。それでも老いの兆しが見え始めたのは16歳というのですから、人間に例えたら80歳。ある意味ここまで老いの兆しがなく生活をしていたのかと思えばとても立派なものです。しかも、彼女は著者と共に「命の授業」として我が身に降りかかった出来事を小学校などを巡回して話していた(「話す」のは著者ですが)というお仕事を14歳(人間だと72歳)まで現役で勤めています。我が身に降りかかった出来事とは、生後2か月(推定)以前(つまり保護されるまで)に、右目負傷、1つの脚が足首から下切断、もう一方の脚は指から先が切断と言う虐待を受けていたというもの。この状態で動物愛護センターに収容され、そこから著者の家族となっています。

人間で言うところの80歳なのですから、認知症になっても仕方ないよねーと思う反面、犬であろうと、猫であろうと、人間であろうと介護する側にとっては思った以上に死活問題です。しかも、人間でもそうですが、症状は個々によって違うために何が正解なのかという道筋が一切立ちません。未来の場合、トイレの失敗から始まり、徘徊、夜鳴き、昼夜逆転現象とまさに認知症らしい症状が次々と現れています。そして、夜鳴きに関しては著者がそれにより「鬱病」発症と、人間における介護者と瓜二つ。このような状況に介護者がなっても、被介護者(犬)の症状が治まってくれるわけではありません。そのような中で著者はどのように介護を行っていったのか、そして未来を看取った後の想いが丁寧に綴られています。

これは未来の認知症における介護記録ではありますが、前述したように未来はハンデを持って著者の家族となっています。そのため家族になった時点からそのハンデがあっても快適に生活できるために著者は未来に多くのサポートをしています。つまり、未来は認知症に罹患する以前からというか、著者の家族になった時点から被介護者(犬)なのです。その部分も簡単にではありますが、記されています。介護をするということはどういうことなのか、そして「命を預かった責任」というものを本書を通して今一度考えて欲しいと思いました。

====== 文責 木村綾子


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KIMURAの読書ノート『もしも徳川家康が総理大臣になったら』

2024年01月03日 | KIMURAの読書ノート

『もしも徳川家康が総理大臣になったら』
眞邊明人 作 サンマーク出版 2021年

新年あけましておめでとうございます。何年目に突入したか分からなくなってしまいましたが、こちらのコーナーで書く機会を頂き、軽く20年を突破。それでも尽きることなく本は出版されていますので、本年も変わらず継続させて頂きます。

さて、今年の目標ですが、2年間目標を立てても未到達ですので、さすがに今回は立てずに読書に励もうと思います。ただ、昨年同様に「山岳信仰」系の本を中心に突っ走っていくつもりです。こちらの方はこのコーナーで取り上げることができるかは定かではありませんが、読書以外にはじめて見つけた私の推し活はまだまだ枯れることがなく、本から得た知識をフィールドワークで確認し、更にはこの恩恵としての自分の筋肉の変化を感じ取っていきたいと思います。「山岳信仰」に関してはもちろん推し活ですので、先にも書いたように関連本は手放せませんが、それ以外にも関心事はてんこ盛り。その中から自分がより関心を持った本をここで取り上げていきます。皆さんに楽しさや面白さが伝わっているかどうかはわかりませんが、それでもみなさんに伝わるべく努力をしていきますので、今年もお付き合い下されば嬉しいと思っております。どうぞ本年もよろしくお願いします。

時は2020年4月1日。日本だけでなく海外でも新型コロナウイルスが猛威を振るっていたこの時期(いや、現在も沈静化は全くしておりませんが)、世界初のAIと最新ホログラム技術で復活した歴史上の偉人たちで構成された最強内閣の最初の閣議が行われました。この偉人たちの中にはお互いに生きていた時代に因縁の間柄となっている者もいますが、それに関しては、あらかじめこれらの因縁が思考や行動に影響を及ぼさないようにプログラミングされているばかりか、同僚となる偉人たちの経歴や事績、能力などもインプットされています。そのようにして構成された内閣はの任務は、コロナ禍において日本が危機的状況に陥ったのを救うため。前総理はコロナ感染のため命を落とし、感染を防ごうにも最初から後手に回り、国の統制がとれなくなっている状況がこの時期の日本でした。

コロナ禍での最強内閣が行った政策は、当時私たちが心の中でそうであって欲しいと考えていたことをそのまま実現させているようなものでした。例えば、国をロックダウンさせる代わりに行った補償金の支給。金額もさることながら、多少のミスや正しさは後回しにして、10日以内に全国民に支給してしまいます。もちろん、その方法が克明につづられている訳ですが、なぜ当時の政府はこれを行わなかったのか。これを担ったのは豊臣秀吉の家臣、石田三成。「不正があれば、後から正せばよい」と叫んでいます。他、織田信長、福沢諭吉、平賀源内、北条政子、緒方洪庵などなど。適材適所に偉人たちが活躍していきます。また後半はこの偉人たちは所詮プログラミングした人物。その中にプログラミングのバグがある偉人がいるということが突き止められます。このバグがどのように影響を及ぼしていくのかということが争点となっていき、物語はエンディングに向かって行きます。

この作品は今年の夏映画化されます。昨年の大河の「家康」は少々こけたみたいですが、この映画化では「家康」はどのような存在となるのでしょうか。今からわくわくと期待しています。自分たちが生きた時代と現代の社会との隔たりを理解していきながら、かなり大胆な政策を打ち立て国を立て直していく先人たちのパワフルさに新年から力を与えてもらえます。

====  文責 木村綾子


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