京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート『暁の宇品』

2021年10月01日 | KIMURAの読書ノート

『暁の宇品』
堀川惠子 著 講談社 2021年7月
 
7月下旬、私が購読している新聞に、とあるインタビュー記事が1ページの半分を割き、しかもカラーで掲載された。それが本書について語る著者である。そして、そこには興味深い一文があった。「以前の私を含め、宇品を軍港と思う人は広島でも少ない」。そう、私自身広島出身で小・中・高校と平和教育をどっぷり受けてきた世代であるが、宇品については一切触れられたことはなく、この一文を目にするまで全く知らない事柄であった。著者も同郷で且つ私と同世代であり、更には広島の放送局に勤務していたにも関わらず、このことを知ったのは10年前であったとこの一文の後に続いて語っている。私にとっての宇品は県内の島を結ぶ定期航路の港という印象しかない。宇品が軍港というのはどういうことなのか、いてもたってもいられなくなり、本書を手にした。
 
著者は取材の出発点が、「なぜヒロシマに原爆が投下されなくてはならなかった」という素朴な疑問を突き詰めることから始まったと序章に記している。なぜ著者はそのような疑問を持ったのか。それはアメリカが投下の候補地を選定する時、ヒロシマのみが最初から最後まで候補地として挙がり続けていたためである。なぜ「ヒロシマ」だけが終始「候補地」とされたのか。アメリカ国立公文書館所蔵の「目標検討委員会会議要約」に「重要な軍隊の乗船基地がある」と記述されているのである。これが広島市内の海辺にある宇品地区であり、日本軍最大の輸送基地(陸軍船舶司令部・暁部隊)だったのである。しかし、その実態については、現在に至るまでほとんど情報がない。その理由は終戦すぐに大本営から「機秘密書類を焼却する」という命令が下り、戦時中の記録が焼却し尽くされ、現在参考にできる史料がほとんど残されてないためである。その中で筆者はこの宇品で重要な役職に従事した3人の軍人の手記を発掘することに成功。その3人の手記を中心に暁部隊の全貌を明らかにしたのが本書である。
 
また本書は暁部隊のみならず、著者の言葉を借りれば「国家の意思決定の枠組み」にまで深く掘り下げ、日本の海洋輸送の歴史、上陸作戦の近代化、開戦に至る経緯、その最前線に立たされた船員たちの歩みに至るまで記されている。しかし、ページをめくればめくるほど、これはあの戦時中の出来事なのかという不思議な感覚を覚えてくる。というのも、当時の陸軍や国のトップの言動が今まさにコロナ禍における政府の言動と何ら変わりなく、全てがシンクロしているのである。兵器の開発を命令しながらも、予算は一銭も配分せず、責任を背負おうとしない参謀本部。日本の船舶問題の窮状を参謀本部や陸軍省に「意見具申」として宛てた中将は罷免され、その後、国力低下の報告書があがってもみんなで力を合わせれば「ナントカナル」という都合のいい戦争計画を立てる。ここに挙げる事例はほんの一握りで本書ではこのような出来事が随所に現れる。「歴史から学ぶ」という言葉があるが、戦後76年経った今、コロナ禍における非常事態において、国民の上に立つ人間が何も変わっていないのかということに暗澹たる思いを感じる。
 
しかし、悲観的なことばかりではない。広島では知られていることであるが、原爆投下のその日の午後には給水再開、投下2日後に山陽本線、その翌日にはチンチン電車を復旧など、かなり早くにインフラが整備されている(kimuraの読書ノート2019年5月『まんがで語りつぐ広島の復興』関連記事あり)。これは宇品最後となる中将が広島の原爆投下35分後から救援救護活動の陣頭指揮を執ったことによる。なぜ彼はこのような行動をとることができたのか。彼は陸大卒業後、参謀本部に配属されており、その9か月後に関東大震災に見舞われる。この時に救援救護活動を行った経緯があり、その経験がそのまま原爆投下の広島に活かされたのである。またこの時、彼は部下たちに記録を残すように重ねて促している。このことでこれが後に膨大な原爆犠牲者の記録となり後世に伝えられることとなる。「記録を残す」ことも含めて、これらの活動は中将が独自の判断で行っていることも注目すべき点である。現場とそこから離れた国との温度差をここでも感じることができる(陸軍は記録をほぼ焼却処分したことは前述した通りである)。


 あとがきに著者は「中将(司令官)という肩書を持つ将官であっても、与えられた歯車のひとつとなって邁進せねばならぬ不条理が滲んで見えた。その彼がたった一度、自身の判断で取った原爆投下後の行動は、軍隊と災害救助活動という現代的なテーマと重なって見えた。~略~ あの夏の10日間の陸軍船舶司令部の足跡は、軍隊という組織が何のために存在するのかという根源的な問いを包含している(p381)」と綴っている。それと共に私は国とそれを支える現場との乖離はいつになったら狭まるのだろうかという問いも本書から改めて感じた。国はこのことについて真摯に向き合ってくれているのであろうか。

    文責 木村綾子

 


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