『なきむしせいとく』
たじまゆきひこ 作 童心社 2022年4月
今年沖縄が日本に返還されて50年である。その節目の年に絵本界の巨匠たじまゆきひこ氏が77年前の沖縄を描いた新作を発表した。
1945年国民学校の2年生になるせいとくは、いつも泣いていたため、みんなから「なちぶー」と呼ばれていた。せいとくの父親は30歳を過ぎて兵隊となり島を出ていき、中学生の兄も軍隊に入る。3月の下旬、アメリカの軍隊が島を囲んだということでせいとくの母親はせいとくと妹を連れて家を捨てることにした。昼は森に隠れ、夜飛行機が飛ばなくなってから安全な場所を探して3人は歩く。大きなガマを見つけた3人はそこに入ろうとした時、ガマの奥から日本兵に「じゃまだから」という理由でガマから追い出される。ある時アメリカ兵が海から上がってきても、日本軍はそこに隠れたまま身動きしない。それでもせいとくの母親は安全な場所を探してひたすら逃げる。ようやく大きなガマでたくさんの人が生活をしている場所を教えてもらい安堵するも、ガマの奥から日本兵が出てきて、大きな声で泣く赤ちゃんの母親に対して、「泣きやまないなら殺してしまえ」と赤ちゃんを奪い取ってしまう。せいとくたちはガマを出て再び安全な場所をもとめて彷徨い、焼け残った大きな家を見つけた時、艦砲射撃が命中しせいとくたち3人だけでなく、その家にいた大勢の人たちが吹き飛ばされ負傷する。そのような状況の中で日本兵が狂ったように日本刀を振りかざしていく。せいとくはその直後、アメリカ兵に助けられる。しかし、彼は左手を失っていた。
6月中旬、この新作に対する作者の講演があり、聴講してきた。たじま氏は自身が戦争を体験しているのにも関わらず、沖縄の戦争を描くことに40年かかったと語った。確かに広島・長崎の原爆、東京をはじめとする主要都市の大空襲を全く否定する気はなく、あの時の被害も筆舌に尽くしがたい。しかし、それでも沖縄は本土の被害とはまた異なる性質の犠牲をたくさん体験してしまったと話は続く。何よりも住民がアメリカの軍隊に、そして同じ日本人にも殺され、その数は亡くなった軍人の数よりも多い。そのような地上戦を経験した沖縄を描くことは困難を強いられたという。
講演会に先駆け、ギャラリーではこの作品の原画展も開催されていた。そこには何度も手直しを加えた原画が展示されており、作者の苦悩というのをうかがい知ることができた。戦争を体験していても、沖縄の戦争を体験している訳ではないことによる迷いや葛藤がそこにあった。それでも、沖縄の人たちの助言を受けながら、本作を完成させている。
あとがきに彼はこのように綴っている。「沖縄戦を描くというのは、困難な仕事だ。悲惨な戦争を子どもたちに見せて怖がらせる絵本を創るのではない。平和の大切さを願う心を伝えるために、沖縄戦を絵本にする取り組みを続けているのだ」
作品の最後は沖縄戦から10年経ったせいとくの姿を描いている。そこで語るせいとくの言葉と今現在の沖縄の状況。改めて「返還50年」という重み、何よりも「沖縄」が今も背負っているものをひしひしと感じ取った。
文責 木村綾子