京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURAの読書ノート 上級国民/下級国民

2019年10月01日 | KIMURAの読書ノート

『上級国民/下級国民』

橘玲 著 小学館 2019年8月

今春、池袋の横断歩道で高齢の男性が運転する車が暴走し、母子が亡くなった事故が起きた。そしてその2日後、神戸では市営バスの運転手が同様に2人をはねて死亡させるという事故があった。この時、前述の男性は現行犯逮捕されず、後者の運転手は現行犯逮捕されている。その後前述の男性は元高級官僚で、退官後も業界団体の会長などを歴任していたことなどという肩書きから、事故直後に逮捕されなかったのではないかとSNSでは話題に上がり、この時、「上級国民」「下級国民」という言葉が流布したことは、ご存じの方も多いのではないだろうか。本書はまさにこの「上級国民」と「下級国民」にスポットあて、論じているものである。

本書は3つのPARTで構成されており、PART1では、平成の労働市場が「下級国民」を生み出したとし、それを説明している。PART2ではこの「上級国民」「下級国民」が「モテ」と「非モテ」につながることを論じ、そして最後のPART3ではこれらのことが日本だけでなく世界中で起きており、その背景について考察している。

そして、本書の読みどころはこれらが論じているエビデンスとしてなかなか目にすることのできないデータ、しかし、実はかなり身近なところで行われていたという調査を紹介しているところである。例えば労働市場を調査する上では、働いている人だけでなく、そうではない人についても調査をしなくてはいけない。内閣府でもそれを調査し、結果を公表しているが、調査方法はアンケート方式によるものである。しかし、秋田県の藤里町ではすべての世帯に対して訪問調査をしていることを本書では取り上げ、その結果から導かれたのは、内閣府の調査結果のその5倍は現実として働いていない人がいるのではないかということであった。また、大阪ではフリーターに対しての調査が行われているが、これも当事者の聞き取りによるものである。そしてそこから見えてきたことは、多くが高卒以下の学歴であるが、大学や高校に進学しなかった、もしくは中退した若者の多くの理由が、経済的なものではなく、「授業が分からなかった(本当に勉強についていけなかった)」ものであることが分かってくる。そしてそこから更に見えてきたものは、著者の言葉を借りれば「ここからわかるのは、『すべての子どもが努力して勉強し、大学を目指すべきだ』という現在の教育制度が、学校や勉強に適応できない子どもたちを苦しめているという現実です(p105)」。
 

本書より見えてきたことは、調査を行う時により正確さを求めるならば、現場の声というのがあくまでもその近似値になりうるものなのであろうということ。一般社会においてもよく「現場の声が上に届かない」と言う事はよく耳にするが、全国で行われている調査もまさにそのようなことが起きているのではないかということ。ともすれば、政府が調査結果を踏まえて行われているであろうと思われる改革も実は現場の現状とはちぐはぐなものになってはいないだろうか。それが今回のテーマとなる「上級国民」と「下級国民」を生み出しているとしたらとぞっとする。しかし、1億人以上いる国民の生の声というのをひとつずつ吸い上げることは現実問題として難しい。それでも、「生の声」を吸い上げようとする姿勢が今の政府にも必要とは思われる。筆者は「民主政治では、有権者の総意≒ポピュリズムでこの問題に対処する以外ありません」とし、そして、「それはユートピアなのか、ディストピアなのか、私たちはこれから『近代の行きつく果て』を目にすることになるのです(p217)」と本書を締めくくっている。ここから私は「絶望」という言葉が浮かび上がってしまったのは、深読みのし過ぎであろうか。


====文責 木村綾子

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