『ぷくぷく、お肉』
赤瀬川原平 他31名 著 河出書房新社 2014年
新しい年を迎え、早半月。それでも、まだまだ気持ち的には「新春」という言葉が私の頭をかすめる。そのような状況で出会ったのが本書。私の中で勝手にイメージする「新春」は「美味しいもの」。人によって「美味しいもの」というのは異なるが、本書を読み終わった頃には、タイトル通り「お肉」がその筆頭に来るように上書きされてしまうのが、本書の最大の恐るべき点である。
本書は「お肉」に関して32名の作家がそれぞれ綴ったエッセイのアラカルトである。しかも、すでに歴史上の人物にすらなっている作家から、現在もバリバリに活躍している作家までと幅が広い。しかしである。どの作家が語る文章を読んでもそこに時代を感じさせない。例えば、「すき焼き」が、当時関東では「牛鍋」と言っており、次第に「すき焼き」に浸食されていったという古川緑波の随筆も掲載されているが、それすら古臭さがなく、昨日、今日語られた文章のようである。みんな「お肉」に対する愛は横一線である。それでも、一口に「お肉」と言っても、細かいところでは好みが分かれるようで、「すき焼き」について語る人、「ステーキ」について主張する人、「焼き鳥」、「豚肉」と枝葉が分かれてくる。それでも、どの「お肉」に関しても、一文字追うごとに、読み手は口の中に唾液が広がってくることは間違いない。
この32名の「お肉」の話の中で、私がいちばん何度も唾液を飲みこんだのは、実はエッセイではなく、唯一の漫画で描かれている園山俊二の「ギャートルズ」。私と同年代以上の人なら記憶にあるかも知れないが、原始時代の生活を描き、かつてアニメにもなったあの作品である。主人公の一家やその周辺の仲間たちが、マンモスを追いかけ、それを輪切りにして木に串刺しにして焼き、大胆にほおばっているその姿は、かつて幼稚園児だった私に、素直に「食べてみたい」という古代(マンモス)に憧れを抱かせ、かつ未だに「美味しい」記憶として強烈にインパクトを残している(もちろん、マンモスなど実際に食べたことはない)。それに再会した喜びと、色あせぬ記憶にいたく感動した。しかも、マンモスを直火で「焼く」という印象しか残っていなかったが、ここでは、何と、マンモスを「煮る」という行為が描写されている。私にとっては、あの作品に初めて出会ってから数十年後の今、マンモスの新たな「美味しい」記憶が追加されることになった。
しかしながら、これだけ「お肉」で埋め尽くされると、途中でお腹いっぱいどころか、消化不良を起こしても何ら不思議ではないのだが、まだまだ腹八分目で読了となってしまった。大好きな「お肉」に対して角田光代は「わくわくする。やっぱり愛だなあ。普遍の愛だなあ」と記し、東海林さだおは「おかず一筋。この道一筋。その一途なところもいとしい」とし、菊地成孔は「一羽全部食べ終えてフーッといって点を仰ぐと店員が力強くウインクした。力強い秋の到来だ」と締めている。32名の「お肉」に対する貫く愛だけで、身も心もほっこりとできる1冊である。
======= 文責 木村綾子
赤瀬川原平 他31名 著 河出書房新社 2014年
新しい年を迎え、早半月。それでも、まだまだ気持ち的には「新春」という言葉が私の頭をかすめる。そのような状況で出会ったのが本書。私の中で勝手にイメージする「新春」は「美味しいもの」。人によって「美味しいもの」というのは異なるが、本書を読み終わった頃には、タイトル通り「お肉」がその筆頭に来るように上書きされてしまうのが、本書の最大の恐るべき点である。
本書は「お肉」に関して32名の作家がそれぞれ綴ったエッセイのアラカルトである。しかも、すでに歴史上の人物にすらなっている作家から、現在もバリバリに活躍している作家までと幅が広い。しかしである。どの作家が語る文章を読んでもそこに時代を感じさせない。例えば、「すき焼き」が、当時関東では「牛鍋」と言っており、次第に「すき焼き」に浸食されていったという古川緑波の随筆も掲載されているが、それすら古臭さがなく、昨日、今日語られた文章のようである。みんな「お肉」に対する愛は横一線である。それでも、一口に「お肉」と言っても、細かいところでは好みが分かれるようで、「すき焼き」について語る人、「ステーキ」について主張する人、「焼き鳥」、「豚肉」と枝葉が分かれてくる。それでも、どの「お肉」に関しても、一文字追うごとに、読み手は口の中に唾液が広がってくることは間違いない。
この32名の「お肉」の話の中で、私がいちばん何度も唾液を飲みこんだのは、実はエッセイではなく、唯一の漫画で描かれている園山俊二の「ギャートルズ」。私と同年代以上の人なら記憶にあるかも知れないが、原始時代の生活を描き、かつてアニメにもなったあの作品である。主人公の一家やその周辺の仲間たちが、マンモスを追いかけ、それを輪切りにして木に串刺しにして焼き、大胆にほおばっているその姿は、かつて幼稚園児だった私に、素直に「食べてみたい」という古代(マンモス)に憧れを抱かせ、かつ未だに「美味しい」記憶として強烈にインパクトを残している(もちろん、マンモスなど実際に食べたことはない)。それに再会した喜びと、色あせぬ記憶にいたく感動した。しかも、マンモスを直火で「焼く」という印象しか残っていなかったが、ここでは、何と、マンモスを「煮る」という行為が描写されている。私にとっては、あの作品に初めて出会ってから数十年後の今、マンモスの新たな「美味しい」記憶が追加されることになった。
しかしながら、これだけ「お肉」で埋め尽くされると、途中でお腹いっぱいどころか、消化不良を起こしても何ら不思議ではないのだが、まだまだ腹八分目で読了となってしまった。大好きな「お肉」に対して角田光代は「わくわくする。やっぱり愛だなあ。普遍の愛だなあ」と記し、東海林さだおは「おかず一筋。この道一筋。その一途なところもいとしい」とし、菊地成孔は「一羽全部食べ終えてフーッといって点を仰ぐと店員が力強くウインクした。力強い秋の到来だ」と締めている。32名の「お肉」に対する貫く愛だけで、身も心もほっこりとできる1冊である。
======= 文責 木村綾子