京都で、着物暮らし 

京の街には着物姿が増えています。実に奥が深く、教えられることがいっぱい。着物とその周辺について綴ります。

KIMURA の読書ノート『これから戦場に向かいます』

2018年11月02日 | KIMURAの読書ノート
『これから戦場に向かいます』
山本美香 写真・文 ポプラ社 2016年

3年4か月シリアで拘束されていたジャーナリストの安田純平さんが解放されたというニュースが先月飛び込んで来た。その後、彼の行動に関して様々な論議が飛び交っているが、その最中、2012年同じくジャーナリストで、シリアで糾弾に倒れた山本美香さんの本を手にする機会を得た。それが本書である。

表紙をめくった前見返しにはバグダッドのジャパンプレスのオフィスに佇む彼女の姿が写し出されている。おそらくオフィスと言ってもホテルの一室ではないかと想像する。幾つかの撮影をするための機材とパソコンとファックスがざっくりと並べられ、外の世界が明らかに無機質で空虚なものであることがそのまま投影されているようで、それだけで息を飲んでしまう。そして、ページをめくると爆撃された噴煙と灰色に煙った空の写真。嫌でもそこが戦場であることを思い知らされる。しかし、ページを更にめくるとその荒れた中にカラフルは色があることを彼女のカメラは教えてくれる。灰色でくすんだ世界だけが戦場でないことをそれは伝えているが、決してそのカラフルな色が幸せをもたらしているもの
ではない。ただ、そこには市井の人の日常が存在していることを改めて知らしめてくれるのである。彼女がインタビューした女性はこのように応えている「戦争は、どちら側が正当かわたしにはわからない。でも、ひとつだけわかっていることがあるわ。わたしたちが犠牲者だってことよ(p22)」

2003年3月20日。彼女はイラク戦争開戦日を首都バグダッドで迎えている。そしてその18日後の4月8日。彼女をはじめ世界中のジャーナリスト達が拠点としていたホテルを米軍の戦車によって砲撃され、カメラマンが亡くなっている。これに関しては、日本にもその映像が報道され、記憶にある人も多いのではないだろうか。ジャーナリストとは言え武器を持たない一般の人すら狙われるのが、戦争であることを思い知らされた一件でもある。彼女達はジャーナリスト故にこのことを報道することができたが、もし彼女達が現場に全く入っていなければ、「戦争」に一般人が巻き込まれているという事実をもしかしたら知らない、いや実感として持てなかったかもしれない。所詮軍隊同士がやっているだけという錯覚に
陥ってしまったり、対岸の火事のように感じていたかもしれない。

彼女の取材に常に同行し、彼女がシリアで命を落とした時も側にいたカメラマンの佐藤和孝さんがあとがきに代えて次のように記している。
「ジャーナリストという仕事に、ときに無力感をいだき、彼女が思い悩む姿を何度も見てきました。しかし、戦場で目撃したことを伝えることが、視聴者や読者の人たちにとって、少しでも世界の現実と向きあい、考えるきっかけになることを信じて、ふたりで戦場の取材をつづけてきました(p48)」

そしてこの後、後ろ見返しに彼女のメモが写真に残されていた。そのメモには「外国人・ジャーナリストがいることで最悪の事態をふせぐことができる。抑止力」と書かれてある。

このメモを見て、改めて安田純平さんのことを考えた。彼が拘束されていた年月、しばし彼が脅迫されているところがニュースに取り上げられ、少なからず私たちはその狭間からシリアの状況をうかがい知ることができた。彼の行動の是非は私には正直分からない。しかし現場の人にしか分からない肌感覚と、彼女の言葉を借りればそれだけで、何かしらの抑止力がそこに働いたのかもしれない。そして、ただただ、今は「無事で良かった」と思うだけである。

===== 文責 木村綾子

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