実は今日は珍しく朝から夕方までネットから離れていた。
帰宅後メールを開けたら、サブジェクトがそのひとのハズバンド名というメールが入っていた。
しかし、メールアドレスと名前は彼女、宮迫千鶴だった。
信じられない。
とてもショックを受けている。
お互いの執筆の友となり友情を切り結んだ時期があった。
ゆったりとした大きな字でコトコトこととファックスが届いた。
そのまま原稿になるような評論文だった。
3年前に大阪で再会している。
着物の話題で大いに湧いた。着物談議もメールでやっていたことも思い出した。
そのひとが、もういないなんて。
同世代の友の死は堪える。毎日にトップに出たので、メールでのお知らせを信じないわけにはいかなくなった。
そして、つぎつぎ読売、 asahi,com にも出た。ああ、やっぱりそうなのだ。
伊豆高原まで飛んでいきたい気持ちながら、告別式の日には珍しくラジオの生放送が入っている
朝日ジャーナル、家庭画報などで一緒に仕事をした。彼女の個展も京都でやった。
バブル期に成城の家も訪れている。あの時の彼女の格好いいことったら。
ノーマカマリを教えてくれたのも千鶴さん。一緒にショーウインドウを覗いたよね。
伊豆高原に引っ越されてからは谷川さんとはじめたアートフェスティバルに若草ものがたり3女のかなさんと訪れて、
ご夫妻に案内してもらった。美味しいカツオのタタキをいっぱいごちそうになった。
伊豆の干物も何度か送ってもらった。
子どもは産まなかったが、子どもを育てた千鶴さんだった。
「ママハハ物語」を上梓されたあと、アケミさんは3児のナマハハだからって、尊敬してもらった。
[受容]ということをこの本で学んだ。
同じ頃ダイエットもやっていたし。。。着物にも関心が出て。。。。
千鶴さんの着姿を拝見せずに永遠のお別れしたのが悔やまれる。
同世代の分かり合えたひとがこの世からいなくなるという不幸。
早すぎる死に心が痛い。
私の部屋にある絵(布コラージュ)をここに掲載してただただご冥福を祈るのみ。
今ググっていて素敵な笑顔の千鶴さんにに出会いました。
美しい明るい樹です。
帰宅後メールを開けたら、サブジェクトがそのひとのハズバンド名というメールが入っていた。
しかし、メールアドレスと名前は彼女、宮迫千鶴だった。
信じられない。
とてもショックを受けている。
お互いの執筆の友となり友情を切り結んだ時期があった。
ゆったりとした大きな字でコトコトこととファックスが届いた。
そのまま原稿になるような評論文だった。
3年前に大阪で再会している。
着物の話題で大いに湧いた。着物談議もメールでやっていたことも思い出した。
そのひとが、もういないなんて。
同世代の友の死は堪える。毎日にトップに出たので、メールでのお知らせを信じないわけにはいかなくなった。
そして、つぎつぎ読売、 asahi,com にも出た。ああ、やっぱりそうなのだ。
伊豆高原まで飛んでいきたい気持ちながら、告別式の日には珍しくラジオの生放送が入っている
朝日ジャーナル、家庭画報などで一緒に仕事をした。彼女の個展も京都でやった。
バブル期に成城の家も訪れている。あの時の彼女の格好いいことったら。
ノーマカマリを教えてくれたのも千鶴さん。一緒にショーウインドウを覗いたよね。
伊豆高原に引っ越されてからは谷川さんとはじめたアートフェスティバルに若草ものがたり3女のかなさんと訪れて、
ご夫妻に案内してもらった。美味しいカツオのタタキをいっぱいごちそうになった。
伊豆の干物も何度か送ってもらった。
子どもは産まなかったが、子どもを育てた千鶴さんだった。
「ママハハ物語」を上梓されたあと、アケミさんは3児のナマハハだからって、尊敬してもらった。
[受容]ということをこの本で学んだ。
同じ頃ダイエットもやっていたし。。。着物にも関心が出て。。。。
千鶴さんの着姿を拝見せずに永遠のお別れしたのが悔やまれる。
同世代の分かり合えたひとがこの世からいなくなるという不幸。
早すぎる死に心が痛い。
私の部屋にある絵(布コラージュ)をここに掲載してただただご冥福を祈るのみ。
今ググっていて素敵な笑顔の千鶴さんにに出会いました。
美しい明るい樹です。