《栄華を極めた頃の面影が残る釜屋》
分類・地歴
かつて、いわき市平5丁目に創業が元禄13年(1700)という老舗があり、鍋・釜・農機具など何でも販売していたから今で言うとスーパーの先駆けみたいな店舗ではありました。
それが「釜屋」で、近郷近在の人たちに知らない人はいないぐらいの大きな商売をしていました。後に「諸橋金物株式会社」、建設資材卸会社「諸橋」と名称が変わって営業していましたが、残念な事に惜しまれながらも平成14年2月に自己破産しました。
現在は、その由緒ある建物は市内の有力者が買い受け、壊さずに改造して多目的ホールをメインとした複合施設に生まれ変わって「SARON de 蔵」として店蔵は、見本市や物産展、ミニコンサート、美術展などが開ける多目的ホールで、袖蔵にバー「KURA BAR」、両蔵をつなぐ石張り建築部分には焙煎喫茶「香楽(からく)」が出店しています。
《喫茶店や多目的ホールとして使用されている釜屋(旧)の全景》
鹿島村(現・いわき市鹿島町)は終戦の農地解放以前までは、かなりの農地が小作地で、特に「釜屋」所有分だけでも相当な面積を有していました。
鹿島に小作者が多くなった理由は、明治の末期から大正時代にかけ生計を立てるために止む無く、農民は小作権を持つことを条件にして土地を手放し、自分の土地だった水田を小作するようになったのだと伝わっています。
小作者が毎年「釜屋」へ納める小作米(上げ米)は、一反歩(300坪)につき一石(2,5俵=150キロ)が一般的のようでしたが、田圃には上田、中田、下田というような差があるので、そこは耕作地によって小作米の量も微妙に違っていました。
耕地整理前で、水はけの悪かった御代・船戸地区の小作地は一石よりも下回ったようです。
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