いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
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鹿島歴史の会 城跡視察

2016-07-06 12:19:03 | Weblog
                                           分類 ; 催
                                   鹿島歴史の会 : 鹿島公民館内
   平城跡と大舘城を視察
 鹿島歴史の会(志賀信弘会長)は毎月第1火曜日に鹿島公民館で講師を招き、鹿島町及び市内近辺の歴史を学んでいるサークルだが年2回の研修旅行がある。
 春は日帰り、秋は1泊の特別研修となるが、この2回に限っては教室から飛び出して県外も含め、多岐に亘って様々な情報や知識を身に付ける機会にしている。しかし、会が長年続くと日帰りでは巡り歩く範囲が限定されてきてコース選定に頭を悩ますようになってきた。
 そこで、今回(7月5日)は小休止を兼ねて遠出をやめ、近隣の歴史と文化を再認識するという意味で 「春の野外散策コース」 と銘打って磐城平城と飯野平城(大舘城)を見て回ることに決定した。


              《焔硝櫓(えんしょうやぐら)があった附近の石垣の一部》

 交通手段はレンタカーのマイクロバスを利用して、案内役を小野佳秀(元・いわき市暮らしの伝承郷館長)先生と、山本秀吉(自然と史跡の会々長)先生にお願いして、会員(参加者19名)が梅雨の合間をかいくぐって散策を楽しんだ。 
 磐城平城は堅牢な段丘崖を利用した曲輪が顕著なので石垣が少なかったと言われるが、今に残る石垣は要所要所で見ることができる=写真上。
 Q 城はなぜ大舘城から平城に移ったか?

 A 大舘城の岩城貞隆の時、兄の佐竹義宜に従い家康の上杉征伐(1600年)に参加しなかった為に、関ケ原の戦いのあと慶長7年(1602年)に大舘城を没収された。その後、関ケ原戦いの前哨戦である「伏見城攻防戦」で討死した鳥居元忠の戦攻により、次男の鳥居忠政が磐城平10万石を与えられた。
 飯野平城から磐城平城へ移築したが、築城された場所は飯野八幡宮があったところで、現在の飯野八幡宮は移設された場所である。



     《安藤家の菩提寺良善寺では気さくな住職さんが、境内を懇切丁寧に案内してくれた》

 いわき市内にある安藤家の墓所は、2代・信馨(のぶきよ)から7代・信勇(のぶたけ)までの墓が良善寺(旧・善昌寺)にある。
 ※初代・信成(のぶひら)の墓は定恵院(東京都品川区)にある。

 △ こうして春の研修(散策)1日コースの企画は、鹿島公民館⇒平城跡⇒長源寺⇒良善寺⇒イタリアンコート(パシフィコホテル2F)で昼食⇒大舘城⇒鹿島公民館⇒を経て、無事終了した。

 

  
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