鉄道アーカイブスVol.1で取り上げた0系新幹線。
ついに営業運転終了が近づきました。「夢の超特急」として日本を支えてきた0系。
私が初めて新幹線に乗車したのは小学校に入る前だったので3歳くらいだったかと思います。
乗車したのは新大阪-京都間の往復。祖母と父親に連れられて「こだま」に乗りました。100系が登場したかその直後で、メインは0系だったかと思います。そう、0系からバトンタッチが始まる前の時期だったのです。

↑JR西日本0系新幹線R61編成
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↑車内の様子
予定よりも遅れて登場した100系ですが、その5年後に300系も登場。丸みを帯びたデザインはスピードを求める時代の変化にはついて行けなくなました。そして山陽新幹線の「こだま」として余命をすごしてきました。0系より高速・長距離での運転で先に引退していく後輩の姿を見ながら、ここまで時代を超えて40年前のデザインの車種が残ってきたことがすごいことです。

↑JR西日本色のころのR61編成
JR西日本色の0系。Rail Starに合わせた外板色に塗り替えられていました。
駅に止まっていてもたいして人が振り向いてなかったころですね…。この色の0系もしっかり見納めときました。
現在、引退前に登場時の塗装に戻され脚光を浴びております。

高度経済成長期の象徴であり、日本高速鉄道のさきがけとなった姿は、しっかりと記憶の中に留めておきましょう。
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