■Cisco Kid / War (United Artist / 東芝)
1970年代初頭、サンタナの大ブレイクによって火がつけられたラテンロックの流行では、マロやアステカといったサンタナの弟分バンドをはじめ、同系の音楽性を持ったグループが幾つも注目されました。
例えば本日ご紹介のウォーも、黒人メンバーが主体とはいえ、やっていた基本は丸っきりラテンロックであり、さらにはファンクやジャズ、ブルースやフォークロックまでも包括的に融合したフュージョンサウンドで一世を風靡しましたですねぇ~♪
しかも歌詞の中身に相当なメッセージ性が強く、「ウォー」というバンド名が逆説的に平和を希求する意味合いになっていたところも侮れません。
そして彼等の最初のメジャーな出発的が、アニマルズを解散させたエリック・バードンのバックバンドであったという事実も、これまた重要ポイントかもしれません。
実は当時のエリック・バードンは芸能界引退を考えていたらしいのですが、周囲の勧めによって黒人バンドを率いての活動を企図!? そんな折にLAで発見されたのが、ウォーの前身であったナイトシフトだったと言われています。
また同じ頃、エリック・バードンが歌うステージで共演していたのが、デンマーク人のリー・オスカーと名乗るハーモニカ奏者で、そんな諸々の関係者が一堂に会し、1969年に結成されたのが、エリック・バードン&ウォーでした。
メンバーは前述のリー・オスカー(hmc,vo)、ハワード・スコット(g,vo)、ロニー・ジョーダン(key,vo)、B.B.ディッカーソン(b,vo)、ハロルド・ブラウン(ds,vo)、チャールズ・ミラー(fl,sax,vo)、そしてパパ・ディー・アレン(per,vo) の7人組で、当時のステージ進行は前半がウォー、後半がエリック・バードンの入ったガチガチネチネチのライプでしたから、1970年には最初のアルバム「宣戦布告 / Eric Burdon Declares War」を作り、シングルカットした「Spill The Wine」が大ヒットしたのも不思議ではありません。
しかし告白すれば、その頃のサイケおやじは、日本でもそれなりに流行っていた件の「Spill The Wine」をラジオで聴いても、何かイマイチ……。何が悲しくて、エリック・バードンが中途半端なラテンロックを歌うのか!?
そんな不遜な気持になっていたんですから、お笑い下さいませ。
もちろん、問題なのは、その「中途半端」なところだった事を後に知るわけですが、まあ、それはそれとして、とにかく順調なスタートから作られた2ndアルバムが「エリック・バードンの黒い世界!! / The Black-Man's Burdon」という物凄い邦題が付されたLP2枚組の熱血盤なんですねぇ~~~~。
この内容については何れ、あらためての掲載を予定していますので、今は端折りますが、ひとつだけ特筆しておきたいのが、カパー曲以外を作ったのがウォーの面々だったという事です。
さらにジャケットもエロいデザインが潜んだ問題作であり、中身は激しいラテンロックとネクラなモダンジャズの化学変化ばっかりなんですから、後は自ずと進む道が知れようというものです。
なんとっ! 驚くなかれ、主役のエリック・バードンがグループを投げ出したというか、巡業の真っ只中に疾走(?)もどきの脱退騒動が勃発し、以降のツアースケジュールは全てウォーの単独ステージになったそうですが、そのライプが所謂元祖ジャムバンドであった事から、結果オーライ♪♪~♪
こうしてウォー単独での活動が認められ、1971年には最初のアルバムが制作発売されたのですが、ここまでの経緯をサイケおやじが知り得たのは、もちろんリアルタイムではなく、本日掲載したシングル盤A面曲「Cisco Kid」が大ヒットして以降、つまりウォーが我国でも注目されての後追いです。
それが1973年の事で、最初はFEN=米軍極東放送のラジオから流れまくっていた記憶から、とにかく調子が良くて、さらにヘヴィなピート感はイントロから全開! ピアノとエレキベースの蠢きにワウワウのギターが絡んでいく展開には心底、ゾクゾクさせられましたですねぇ~♪
さらにボーカル&コーラスが野性的なグルーヴを発散し、どこか猥雑なフィーリングがワイワイガヤガヤのファンクなノリに変質していくんですから、たまりません♪♪~♪
う~ん、これぞっ! ラテンロックの真髄!!
なぁ~んて、当時は強く思っていたサイケおやじではありますが、既に述べたようにウォーの作り出していた音楽にはラテンやロックの他にブルースやジャズ等々の黒人ルーツが明確にあって、そこが黒人主体のバンドである本領なのでしょう。
ステージではアドリブ主体の気持E~、それこそフュージョンをやっていた事は、後のライプ盤で証明されています。
ちなみに同じ頃にはスティーリー・ダンも「Do It Again」のヒットで、ラテンロック路線を狙っているとリスナーに思い込ませていたんですから、なかなか罪深い話……。
もちろん両者共にジャズファンクを包括したフュージョンの礎を築かんとしていたわけですが、それはまた後の話です。
ということで、一発で「Cisco Kid」にシビれたサイケおやじは以降、ちょいちょいとウォーのレコードを集めていく中で、前述したエリック・バードンとの共演アルバムに接し、ようやく目が覚めたというわけです。
皆様もご存じのとおり、ウォーはフュージョンバンドでもあり、真性ソウルグループでもありましたが、それゆえに1970年代後半からのディスコブームの渦中では精彩を欠き、取り残されています。
つまりウォーは実に複雑なグルーヴを易々と演じていたんですねぇ~♪
現在ではほとんど顧みられないバンドになっているようですが、ドロドロのライプ盤も含めて、1970年代に発表したアルバムは全てに聴きどころが満載されていますし、率直に言って、楽しいです。
本当に良いバンドでした♪♪~♪
かなりレベルが落ちてきますが、それまでは
粋のいいバンドでした。
臭いバンドが今は見向きもされないのが寂しいです。
1974年12月にコンサート行ったのですが、
リーのガンベルトみたいなベルトにハーモニカをいっぱい
さしていた光景が今でも印象に残ってます。
複数枚組かがあって、とても私はついていけませんでした(しつこくて、飽きちゃって)
この手の音楽はサンタナで十分じゃないですか?
コメントありがとうございます。
流石のレコード蒐集ですねぇ~♪
全く1980年代のウォーは落ち目がモロで、悲しかったですよ……。
>リーのガンベルトみたいなベルトにハーモニカ
そうでしたっ!
これは私も驚きましたですよっ!
最近はウォーもリバイバル活動しているようですが、主要メンバーの何人かが既に亡くなっているので、往年のサウンドはイマイチ出せないとか……。
それほど個性的なバンドだったと思っています。
コメントありがとうこざいます。
まあ、こういうバンドには、抜け出せない魅力があると思うんですよ。
一度好きになると、中毒してしまうんですねぇ(苦笑)。
それはサンタナにも共通しています。
エリック・バードン時代のアルバムは、些か重苦しい感じが確かにありましたですね。
それも好き嫌いは十人十色の世界まで到達していたような気がします。
http://www.youtube.com/watch?v=atT_Iz32N0Y
姉がシングルを買ってきて聞いていた記憶があります。
「黒い・・・」という邦題が凄いですね。今だったら問題化必至です。
とりとめのない話で失礼いたしました。
そのあたりはスティーリー・ダンにも近しいものがあるような気がして・・・両方とも大大大好きであります。
つい先日、夢と現実を彷徨う思春期の少年少女を描いた亜米利加映画を観たのですが、その中で彼らが「Why can't we be friends?」を歌うシーンに思いがけず出くわしました。
彼の地にあっては今も結構親しまれているみたいでね。
コメント&ご紹介、感謝です。
ふっふっふっ、実はそれも大好きなんですよ♪♪~♪
ニューソウルでもあり、ニューロックでもある物凄さがたまりません。
確かブルース・スプリングスティーンもカバーしていましたですね。
「黒い」云々は褒め言葉であって、彼等も誇りを持っていたはずですよ。
「ブラックロック」なぁ~んていう言葉も、その頃から使われ始めたような記憶です。
コメント感謝です。
その「ゆるさ」がクセモノなんですよねぇ~♪
本当に中毒症状ですし、なにもファンクはJBみたいに、ド派手に激しいばっかりの必要もないわけです。
ウォーの人気はアフロ系ばかりじゃ~なくて、南米系やアジア系のファンも夥しいはず! それだけ雑多なグルーヴが心地良く生成されていると思います。
スティーリー・ダンも狙いは同じだと思いますが、ライブ活動を一時中断した頃から、白人系現代音楽の領域に踏み込んだあたりで、道が分かれたのかもしれません。
急に両者の聴き比べをしたくなりました(笑)。