OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

デビュー当時の明菜が好きだった

2016-12-15 18:00:44 | 歌謡曲
スローモーション / 中森明菜 (ワーナーパイオニア)
 
今更なんですけど、毎年この時期になると思い出すのが中森明菜のあれやこれやです。
 
何故かと言えば、説明不要とは思いますが、平成元(1989)年7月の中森明菜自殺未遂事件から、当時は同棲していた近藤真彦との関係が噂を飛び越えて公然の事実となり、そんな騒動の謝罪を兼ねたツーショット会見が行われたのが同年大晦日でしたから……。
 
芸能界のドロドロした実情は百も承知の庶民にしても、正式な婚約発表としか思えない演出での「謝罪」というのは、その業界の「闇」というよりも「業」の深さを痛感させられた事件だったと思いますし、サイケおやじにしても、その意味不明な煮え切らなさには、あらためて呆れてしまった記憶が今も鮮明です。
 
もちろん、御両人には別々の思惑があったはずですし、関係各位にしても、それなりの算段がミエミエながらも「暗黙の了解」として認められるわけですが、でもねぇ……。
 
結局、その事件から今日まで、中森明菜という素晴らしい歌手が本来の輝きを失ったという事実は否めないでしょう。
 
しかし、それでも彼女のファンは存在し続けているようですし、歌謡曲やカラオケ愛好者等々は中森明菜の歌に惹きつけられ、また新しいファンに発見されているのも間違いの無いの真実!
 
ですから、中森明菜が昭和56(1981)年師走に放送されたテレビオーデイション番組「スター誕生」において、衝撃的な勝ち抜きを達成し、翌年に本日掲載のシングル盤A面曲「スローモーション」で本格的なデビューを果した瞬間から、それは決められた運命だったという諦観も、あながち的外れではないという説も流布されて久しいところのです。
 
なにしろ、来生えつこ&たかおの姉弟が作詞作曲し、船山基紀がアレンジを施した前述「スローモーション」の仕上がりの素晴らしさは、当時既に立ち位置が確立されていたニューミュージックのファンさえも虜にするほどでしたし、何よりもリアルタイムで業界が主導していた「ポスト山口百恵」の再燃、そしてトップアイドルに昇り詰めようとしていた河合奈保子や松田聖子の強力なライバルとしての存在感は、既にここに確立されていたと思うばかり!
 
告白すればサイケおやじはラジオから流れて来た「スローモーション」を聴いた瞬間、中森明菜本人よりも、まずは楽曲とボーカルの相性の良さにシビレてしまい、速攻で足はレコード屋へ♪♪~♪
 
そしてジャケ写に登場している彼女のポートレートに接して、必ずやスタアになれるという思いを強くさせられましたですねぇ~~。
 
ただし、発売される楽曲が少しずつ重くなってしまったのは個人的には好むところではなく、結局中森明菜のレコードでは、デビュー曲「スローモーション」が一番に好きであります。
 
ということで、四季折々に思い出される事象は様々でも、殊更年末のあれやこれやは強い印象になっているんじゃ~ないでしょうか。
 
某国営放送局での歌合戦なんてものにはすっかり興味も失せていますが、年の瀬は確かに流れ去っていくのですねぇ~~。
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