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サイケおやじの生活と音楽

この世じゃ~、誰もが逃亡者

2018-01-18 19:43:17 | 歌謡曲
愛の逃亡者 / 沢田研二 (ポリドール)

先日鑑賞した「ブレードランナー 2049」からの衝動を引きずりつつ、ついに昨夜は、その正篇たる1982年に公開の「ブレードランナー」のBDを自宅で再鑑してしまったんてすが、いゃ~~、何度観ても、観るほどに様々な感慨が湧きあがってきますねぇ~~♪
 
説明不要とは思いますが、物語は人造人間=レプリカントが人類に逆らい、それを始末する権力の手先から逃亡するという基本設定も、そこにあるレプリカントの寿命は4年間という逃れられない宿業が、実は自分達よりも能力が劣っている人類と大差の無い諸行無常の哀しみとして描かれているあたりが、深い深~い余韻を物語に与えていると思うわけですが、だからこそラストシーンの任侠がレプリカントを人類よりも人間らしい趣に感じられてしまうわけでして、いゃ~~、こ~やってそんなこんなを綴っていても、自らの筆の稚拙さに汗が滲むばかり……。

う~ん、これって2019年11月の出来事ですから、つまりは来年の話なんですよねぇ~~~!?

結局、この世の誰もが逃亡者であり、現実から逃避したいという気持ちはひとつなんでしょう。

でも、逃げ続けることは非常に難しいのも、また事実!

さて、そこで本日朝イチに針を落としたのが、沢田研二=ジュリーが昭和49(1974)年11月に出したシングル盤A面曲「愛の逃亡者」でして、これがなんとっ!

全篇が英語の歌詞で、しかも附されたメロディにはブリティッシュ系のポップな雰囲気が横溢し、さらに用いられたリズムが当時の最新流行だったレゲエ調なんですから、それまでのジュリーが歌ってきた歌謡ロック、あるいは歌謡ポップスという確立していた様式美から、ちょいとばかり離れた歌の世界は、これ如何に!?

まあ、今となっては当時の沢田研二は世界進出というか、中でも欧州あたりに狙いを定めた活動を目論んでいた意欲作が、この「愛の逃亡者」だったと言われているとはいえ、ど~にも日本国内では盛り上がりに欠けていたと記憶しています。

第一、その頃の沢田研二はテレビの歌番組へ出演する機会か少なくなっていたような印象も残っているんですよ……。

おまけに同時期に発売されたLPが、これまた英語詞の歌ばっかりだったというツライ現実も、なかなか突き放された感じでした。

ちなみに、このシングル曲も含めて、収められている全てのトラックはイギリスのスタッフから提供され、カラオケパートの演奏もロンドン録音で、当然ながらセッションプレイヤーも現地の面々という本格的な製作体制は、プロデューサーにあのルーベッツを世に出したウェイン・ピッカートンが起用されているクレジットにも顕著でしょう。

しかし、これは皆様にも聴いていただければ納得されるばすと思いますが、随所に入れらた意図的な東洋趣味に些か恥ずかしくなるのも、我々日本のリスナーの本音かもしれません。

う~ん、確かにカッコイイィ~~んですけどねぇ~~~~。

ということで、結果的にジュリーの海外進出は以降にフランス語の楽曲「巴里にひとり」も出したりしましたが、大きな成果も無いままに、いよいよ昭和50年代に入ると大衆的歌謡ロックの最前線へと復帰し、「時の過ぎゆくままに」「コバルトの季節の中で」、そして大傑作「勝手にしやがれ」等々のメガヒットの連発は、あらためて述べるまでもないでしょう。

とすれば、曲タイトルどおり、この時期のジュリーは、ある意味じゃ~逃亡者だったという解釈も可能かもしれず、それじゃ~~、何からの逃避なの?

なぁ~んていう答えの出ない問答が繰り広げられのは、ふっふっふっ……。
コメント
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