FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

舞台『ディファイルド』

2004年12月18日 | Weblog
WOWOWでやっていた舞台中継を見て。新聞に大沢たかおのインタビューが載っていた時から、見たかった舞台。生で見るようなわけにはいかないけど、もう1人の登場人物、長塚京三との二人芝居の迫力が素晴らしく、難しいテーマながら、2時間の舞台を息もつかせず堪能させてくれた。

図書館員に務めていたハリー(大沢たかお)は、図書目録カードが破棄され、コンピュータにすべて変えられてしまうことに反対し、建物を爆破して自分も死ぬと立てこもる。警察から送り出されてきた交渉人の刑事ブライアン(長塚京三)は何とか阻止しようと話を聞き、懸命に説得するが・・・。

どちらも背が高く、大沢たかおは声も最後までよく通り、長塚京三とともに舞台映えがする役者だなあと感心した。映像での仕事が多い二人が舞台の仕事を選択したということ自体が、手作りの仕事のぬくもりや汗をかくという人間の労働の基本を実感している証拠。

ごまかしのきかない2時間の肉体労働そのものが舞台役者の仕事だからだ。こだわりの中でもがき続けて折り合いをつけられない若者と、現実の中でそうはいっても何とか方法をみつけて生き抜いていきなさいという刑事は、社会の縮図なのだろう。

大沢たかおは純粋でちょっと間抜けなところもあって冷酷さを感じない立てこもり犯で、そういう意味ではファンのイメージを壊すことなく舞台を演じられたのでは。

ブライアンの奥さんと電話で話しをしていて、ハリーが「スターバックスになってしまう前に(故郷へ)帰りなさい」という言葉が象徴的。地方で頻発している子どもの事件を見ても、全国いたるところにコンビニが存在し、かつての田舎の風景は失われつつある土壌と無縁ではないだろう。

最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あまり覚えてないけど (ONEE)
2004-12-24 02:36:32
ディファイルド、もう今となっては覚えていないけど、伏線というか、話が全部つながってるんだなと思ったのは覚えてる。

刑事が奥さんが入れてくれたコーヒーを持ってきて、たぶん犯人の心を開くきっかけにするつもりだったんだろうけど、飲ませる。すると、犯人は奥さんが入れたコーヒーの味をほめ、刑事は奥さんが料理がうまいことを自慢する。その話から犯人の親が金物屋で、買いに来た人の説明できないような商品でもぴったり探してみせるという。ベテランで要望を当ててくれる金物屋、奥さんだけが入れられる美味しいコーヒー、そういう替えの効かないもの、人間的なもの、一つしかないものを犯人は守ろうとし、刑事の奥さんにもスターバックス(どこにでもできる、チェーン店)になる前に故郷に帰れという話をする。コーヒー一つで、オリジナリティ、自分というものを失うなというメッセージにまで、つながるんだなとハッとした。

しかも、刑事が使おうとしたコーヒーという道具が、逆に犯人の説得材料になって逆転するのも、面白いと思ったところ。



刑事が、図書館カードは結局なくなるんだから楽しく旅行にでも行け、と言う。すると、犯人の説得のため、犯人の元彼女から電話がかかってくる。元彼女はすでに大学当時の夢は諦め、結婚して旅行代理店に勤めている。旅行というものが逃避の手段や結果であるという象徴なのかな、と思わせる。現実に生きることでもなく、理想を追求するわけでもない、一時的な逃避。犯人は一度その逃避の提案を受け入れるように見せつつ、自分が大切に思うものの価値をわかってくれてきていたと思った刑事が、やはり上司や組織という現実に戻ってもう一度逃避を提案したことに絶望する。旅行に行くことだけでは、現実の問題は何も解決しない。結局はその問題に向き合わないと何も変わらないのだということに、気づかされる。それでも、現実を生きる人にとっては逃避ももちろん必要だけど。

最初は皆刑事と犯人としか見ていなかったのが、現実と理想、社会と個人、そういう対比の対象になっている。理想を守るためには結局現実と折り合いをつけることはできないのか・・という諦めもあり、殆どの人は現実の中で生きて、その楽しさも苦しさも知ってもがいているので、その人に、ものわかりのいい大人になったつもりになるな、大切にするもの、人間として守りたいものを忘れるなというメッセージが、スターバックス、手作りのコーヒーや旅行、旅行、10年?も長く同じところに留まって勤めるということ、本が教えてくれる情報、パソコンで調べる不便さ、金物屋、チェーン店、そういう色々なものを通じて感じられた。多分、仕事や組織というものに馴染んできて、利益を生み出すビジネスと創作するというクリエイティブという両方を考えなくてはいけない今だから、メッセージが感じられる繰り返しの対比エピソードに何度も考えさせられたのだと思う。



お芝居に出てくる本のタイトルなどにも確か意味があったのだけど、外国の本なので、忘れてしまった。本の名前などもパンフレットにはどういう意味でこだわって選んでいるのか載っていた気もするけど、それは探さないと。

返信する
なるほど・・・そういう意味があったんですね (henry)
2004-12-24 18:09:44
コメント有難うございました。実は、この舞台は一回目は眠ってしまい、2回目にようやく全部通しで見たという代物です。つまり難しかったのです。色々な対比に小道具を使っているということ、刑事にいったんは打ち明けたものの、やっぱりこの人は組織の一員として送られてきた交渉人でしかなかったのか、という絶望感。それとものわかりのいい大人になったつもりになるな、というのは痛切なメッセージですね。そして、利益を生み出すビジネスと創作するというクリエイティブと両方を考えなければならない立場に立っているということが、尚更切実にこの舞台のメッセージを受け止められた所以ではないでしょうか。うーん、上っ面しか見ていなかったような気がするので、録画が残っていたら(消してしまっていたら駄目ですが。)もう一度じっくりセリフを考えながら見てみますね。そこまで自分の人生や生活に照らし合わせて考えてくれたら、脚本を書いた作家もとても嬉しいのでは・・・と思いました。
返信する
もう一度見てみました (henry)
2004-12-26 01:54:02
録画のときタイトル入力をしていて消去されていなかったので、もう一度見てみました。理想と現実、組織と個人という対比で描いていますね、確かに。この脚本を書いたのはアメリカ人ー?人間は有史以来記録をしてきて、書くことが出来るようになると飛躍的に発展してきたとハリーがいってましたが。こういうセリフはホントはもっと年数のたった図書館員がいうようなセリフですよね。手作りの集大成ともいうべき図書目録カード。営々と築き上げてきた仕事がデータベースに入っちゃうともうなんの痕跡もなくなってしまう。こういうのは、どちらかというと40代、50代の人たちの仕事の悲哀に似てるのではと思いましたが。彼らの自殺率が異常に高いというのも、経済的なことと相まって、仕事への誇りというべきものが急激な変化で失ってしまったというところもあるのではないでしょうか。さらに、ハリーがアメリカっぽくなる前にとか、画一化されるとかいっているのは、アメリカを中心とするグローバリゼーションのことではー?だからイタリアだってそうなるんだと警告してますよね。多国籍企業ばかり世界中を侵食して、地元に密着したような小さい企業は淘汰されてしまう。そういうことのまえに、競争力などでははかれない物があり、それは守らなければならないんだと訴えているのでしょうね。日本でも職人は軽視されるようになり、彼らは中国にいって、その技術を伝える仕事をしていると新聞か何かで読んだことがあります。この舞台が訴えている事は現実の問題になっていて、日本は長い時間をかけて磨き上げてきた技術を失ってきているんです。
返信する