FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

試されるとき

2007年04月21日 | Weblog
少し気温が上がった週末には造園に行ってみる。いろとりどりの苗を見ると、思わず買ってきて植えてみたくなるが、やっぱり五月の連休まで待つことにした。雪印の苗センターにもバラを何本も注文しているしね。そのうち玄関先まで、トラックで運んでくるのだそうだ。

明日には市議選の投票日。選挙カーからはお願いしますの声がひびき渡る。告示があってから誰にしようかを考えるというのでは遅いわけで、市議会の場合は地域密着だから政党で選ぶのと違う基準があってもいいんだし。

4月18日の北海道新聞の夕刊、作家の高村薫さんの~思考停止は格差の是認~という見出し。統一地方選、現状維持でいいのかという記事。

「現職の圧倒的優位も、立候補者の顔ぶれの無難さも、むしろ変革を避けんとする有権者の意識を映したものだといえる。ただし、こうした現状維持の選択は、政策提案も行政の監視もしない地方議会の是認につながり、一部に生まれてきた地方議員の意識の変化の芽を摘むことになるであろう。」

「地方選挙は、地域の生活に密着している分、本来は必ずしも国政の政党図と重ならないのであるが、地方分権が進んでいないこの国では、地方選挙といえども国政選挙の縮図になる。」

「地方分権を積極的に求めるどころか、国政との一体化で地方自治を維持せんとする彼ら首長たちへの信任は、私たちの思考もまた高度成長時代で停止していることを示している。」

「格差は、経済の市場原理がもたらしたものであり、先進国主導のいびつなグローバル経済が富の一極集中をもたらすことは、いまや世界の認識である。格差は、景気のよしあしにかかわらず、一定の再分配でしか是正されないのであるが、いまだに市場経済による成長を目指す国への追従は、地方が自ら格差を是認して勝ち組を目指すということである。これが現状維持の選択の意味するところである。」

ほんとにー。地方が勝ち組を目指すなんていう発想自体が、なんだかおかしいような気がするよ。人口比も経済力もはじめから土俵が違うというのに。経済力がないから老人しか住めないところにしていいのか、ということだよねえ。明日はそういう意味でも地方に住む有権者の意識が試されるとき・・・。

アメリカバージニア州のバージニア工科大学で起きた乱射事件には度肝を抜かれた。32人も犠牲になるとは。マイケル・ムーア監督「ボーイング・フォー・コロンバイン」のコロンバイン高校での同じような事件を思い出す。今度の犯人はその高校での事件のことを口にしていたようだ。

あの映画の中でのアメリカの人々が持っている恐怖感が強いという指摘はあってるのだろう。だから銃で武装するのだろうと。しかもその銃が簡単に手に入るというのが、そもそもこわい社会だ。話し合いなんかより、銃で相手を抹殺してしまえという空気がいまだにあるということが。

アメリカほど銃は簡単には手に入らないという安心感があるはずの日本で、アメリカの事件の直後に起こった長崎の伊東市長に対する銃撃事件。市長は至近距離からの銃弾により、搬送された病院で亡くなった。何か思想的なものがあるかと疑われたが、そうではないようで、市道工事現場での自動車事故を巡るトラブルがあったことから、というものらしい。

何か意味づけするのももどかしいような、単純にキレたことによる、ということのようだ。日本も暴力団などから銃が手に入るようになり、腹が立つ相手は問答無用に殺してしまえという風潮になってきたかと。広島市と長崎市は太平洋戦争末期の8月にアメリカから原爆投下された。長崎の伊東市長は広島市長とともに被爆した市民を代表して核廃絶へ向けて全世界へのアピールをされていた方だけに、こんな亡くなりかたは悔しいし、ほんとうに残念・・・。

謹んでご冥福をお祈りいたします。















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