FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

『カナリア』

2006年05月13日 | Weblog
2004年/132分/塩田明彦監督。カルト教団から児童相談所へ送られた12歳の男の子が、そこを脱走し別れて暮らしている妹と行方不明の母親を探す旅に出る。そこへ援助交際から命拾いした、同じ12歳の女の子が家に帰りたくないと加わった。塩田明彦監督は是枝監督の「誰も知らない」と並ぶような衝撃的な映画を作り出した。

12歳の岩瀬光一(石田法嗣)は児童相談所を脱走した。迎えに来た祖父が光一の引取りを拒否。4歳年下の朝子を連れて帰った。母親は事件の実行犯として指名手配され、連絡も取れなかった。この二人にどうしても会いたい一心だった。途中で援助交際の相手と車に乗っていた12歳の新名由希(谷村美月)は、横転した車から這い出して命拾いしたところで光一と出会った。由希にも複雑な家庭の事情があり、一度は別れて家に帰ろうとしたが、やっぱり家には帰りたくない。誰かの役に立ちたいと光一と一緒に祖父のいる東京へと向う・・・

旅の映像の合間に、ニルヴァーナ教団での光一の生活、母道子や妹朝子とのやりとりが入ってくる。光一は教団内で母と別れて暮らし、朝子と二人、他の子供たちとともに毎日が合宿のような暮らしぶり。直接接した子供たちの教育係にぬくもりと影響を感じてきた。

一方の由希は母親も祖母もなくなり、父親からは愛情の薄い言葉しかかけられない。援助交際でお金を手にした経験から、光一に足りない鋭い現実感覚があり、お金はないしこれから泥棒ばかりするの?と再び援助交際をしようとするが、これは追っかけてきた光一に止められる。

路頭に迷うようにして町をさまよっているときに、かつての教団、ニルヴァーナで子供たちの教育係をしていた伊沢彰(西島秀俊)に出会う。光一は思わず伊沢に抱きつき泣き出した。教団の解体後、教団に残ったものもいるが、離れた元信者たちは肩を寄せ合うようにして仕事をし、生きていた。

ここでようやく、光一たちを生み出した大人たちの側の苦しみと現在に至る心境が語られる。「ニルヴァーナで修業することによって、自分を完膚なき迄作り変えて、いつか世界そのものを変えることが出来ると信じていた。だけど大きな間違いだった。ニルヴァーナもまた、一つの現実。この現実そっくりのもう一つの現実そのものに過ぎなかった。おまえはおまえだ。おまえ自身だ。それ以外の何者でもない。だからお前は自分が何者であるか決めなくてはならない。それはつらいことかもしれないが、その重荷につぶされるな。」

母道子も教団の中で言っていた。「来世でも来来世でも会える。今生解脱したら転生だって出来る。今、特別なワークをしているの。完璧にやり遂げたら、解脱できる。また光一や朝子を集めて一緒になれるのよ。」

児童相談所に来た祖父は「お前の母親は人間として失格だ。」と光一にいった。光一は祖父の首を絞めた。「この人を殺してもいい理由がある」と思った。道子は最後の電話で祖父に、「私はお父さんの魂を救うことは出来なかった」と言い残した。

自分を変えようとする宗教的な行為が尊師を筆頭とする教団ではハルマゲドン思想にすりかわり、社会に対する攻撃という形になった。地下鉄サリン事件だ。被害者たちは今も苦しみ、裁判は続いている。高い教育を受けている信者たちも殺人という行為を防ぐことは出来なかった。批判や疑問が封じられた後の人間の恐ろしい姿だ。

彼らは特別に異常でも弱い人間でもないだろう。真剣に生きようとした結果、大きな間違いを犯した。今でもこの現実に悩み苦しむ多くの人間が、カルトまがいの教団に飲み込まれていっている。光一役の石田法嗣と由希役の谷村美月は目に表現する力があって、いい役者になる可能性が感じられた。

重い内容の映画を最後まで引っ張っていく力量はすごい。「オウム真理教が起こした事件に関して、何らかの答え方を映画の側からしたいという思いはあった」という渾身の力作。塩田監督はカナリアのように危険の最前線に立たされた子供たちに精一杯の応援歌を送っている。








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