日めくり万葉集(73)の作者は大伴三中。選者は精神科医の香山リカさん。長歌から抜粋された歌の内容は過労死を考えられるような、多すぎる労働時間によって、非人間的な生活を余儀なくされている現代人を思わせる歌。
【歌】
大君(おおきみ)の命(みこと)恐(かしこ)み
おし照る難波(なには)の国に
あらたまの年(とし)経(ふ)るまでに
白たへに衣(ころも)も干さず
朝夕(あさよひ)にありつる君は
いかさまに思ひいませか
うつせみの惜しきこの世を
露霜(つゆしも)の置きて去(い)にけむ
時にあらずして (抜粋)
巻3・443 作者は大伴三中(おおとものみなか)
【訳】
天皇のご命令を謹んで承って難波の国で年が経つまで、長い間衣も洗い干す暇もなく、朝夕忙しくお仕えしていたあなたは、どのように思われて、惜しいこの世を後に残して、逝ってしまったのだろうか。死ぬべきときでもないのに。
【選者の言葉】
万葉の時代の人々は日本人の心の故郷のような感じで、ゆったりしている、心が伸びやかというイメージを持っていたが、そんな時代にすでに自殺という状況があったのかということで驚いた。
“白たへの衣も干さず”というように。どうやら着ている物の洗濯をする時間がなかったのか、余裕がなかったのか、追いつめられた状況。診察に来ていたら、“うつ”状態と診断されたかもしれない。
過労状態になるとどうしても仕事の能率が下がったり、ミスが増えたりする。それは本人の能力とか努力に問題があるわけではなく、過労から来るストレスが影響を与えているのだが、真面目な人ほど、自分は疲れすぎている、ストレスが増えているとは考えない。
“私がいけないいんだ”というように自分を責めてしまう。それでもどんどんミスが多くなったり、仕事が溜まってくると、もう自分には仕事を続ける資格がないと考えてしまう。さらにこれが進むと生きていく資格がない。会社に迷惑をかけてしまうんだったら、もう死んでしまったほうが良い、と死を選んだりしてしまう。
多分、意欲満々で出かけて行って、自分の中でも頑張ろうという意欲が高かっただけに、途中でこれは無理だなあと思っても、出来ませんとか、忙しすぎますと言い出せなかったのかもしれない。その辺も現代人の真面目で頑張るビジネスパーソンと瓜二つという感じがする。
【檀さんの語り】
729年、奈良の都から大阪に赴任していた若い役人が業務多忙の余り、自ら命を絶った。そのときの先輩の役人が嘆いて詠った長歌の後半自殺した役人は、戸籍と課税の制度【班田収授法】の実施のために忙殺されていた。この役人は天皇に仕えることを名誉と思い、故郷に父母と妻子を置いて、単身赴任で仕事に励んでいた様子が長歌の前半から伺える。
【感想】
香山リカさんは働く女性たちについての1文をよく新聞に寄せている。ここでも働く人間の問題が詠われている歌を取り上げた。この長歌では過労死ともいえる状況が伝わってきて、とても1300年前の出来事とは思えない。
残された家族や両親など、その後の生活は当時はどうだったのかと気になる。現代でも多すぎる労働時間やストレスによって体調を壊したり、うつ状態になって休職したりなど。
香山さんのお話を聞くと、親元を離れて都会で働きながら頑張っている子どもたちの姿が目に浮かぶ。送り出した親の方は、社会人になればもう親の出番はないと思いながらも、絶えず心配しているものだ。
管理職といいながら、名ばかりで尋常ではない労働時間をこなしてきたというマクドナルドの店長や、残された遺族によって過労死に当てはまるのではないかといった、会社を相手取って争われている事例がある。払われなかった残業時間の支払いを求めて裁判を起こしたマクドナルドの例は、労働者の側からも抵抗し、声を上げ始めたということで、大変な勇気だと思う。
【歌】
大君(おおきみ)の命(みこと)恐(かしこ)み
おし照る難波(なには)の国に
あらたまの年(とし)経(ふ)るまでに
白たへに衣(ころも)も干さず
朝夕(あさよひ)にありつる君は
いかさまに思ひいませか
うつせみの惜しきこの世を
露霜(つゆしも)の置きて去(い)にけむ
時にあらずして (抜粋)
巻3・443 作者は大伴三中(おおとものみなか)
【訳】
天皇のご命令を謹んで承って難波の国で年が経つまで、長い間衣も洗い干す暇もなく、朝夕忙しくお仕えしていたあなたは、どのように思われて、惜しいこの世を後に残して、逝ってしまったのだろうか。死ぬべきときでもないのに。
【選者の言葉】
万葉の時代の人々は日本人の心の故郷のような感じで、ゆったりしている、心が伸びやかというイメージを持っていたが、そんな時代にすでに自殺という状況があったのかということで驚いた。
“白たへの衣も干さず”というように。どうやら着ている物の洗濯をする時間がなかったのか、余裕がなかったのか、追いつめられた状況。診察に来ていたら、“うつ”状態と診断されたかもしれない。
過労状態になるとどうしても仕事の能率が下がったり、ミスが増えたりする。それは本人の能力とか努力に問題があるわけではなく、過労から来るストレスが影響を与えているのだが、真面目な人ほど、自分は疲れすぎている、ストレスが増えているとは考えない。
“私がいけないいんだ”というように自分を責めてしまう。それでもどんどんミスが多くなったり、仕事が溜まってくると、もう自分には仕事を続ける資格がないと考えてしまう。さらにこれが進むと生きていく資格がない。会社に迷惑をかけてしまうんだったら、もう死んでしまったほうが良い、と死を選んだりしてしまう。
多分、意欲満々で出かけて行って、自分の中でも頑張ろうという意欲が高かっただけに、途中でこれは無理だなあと思っても、出来ませんとか、忙しすぎますと言い出せなかったのかもしれない。その辺も現代人の真面目で頑張るビジネスパーソンと瓜二つという感じがする。
【檀さんの語り】
729年、奈良の都から大阪に赴任していた若い役人が業務多忙の余り、自ら命を絶った。そのときの先輩の役人が嘆いて詠った長歌の後半自殺した役人は、戸籍と課税の制度【班田収授法】の実施のために忙殺されていた。この役人は天皇に仕えることを名誉と思い、故郷に父母と妻子を置いて、単身赴任で仕事に励んでいた様子が長歌の前半から伺える。
【感想】
香山リカさんは働く女性たちについての1文をよく新聞に寄せている。ここでも働く人間の問題が詠われている歌を取り上げた。この長歌では過労死ともいえる状況が伝わってきて、とても1300年前の出来事とは思えない。
残された家族や両親など、その後の生活は当時はどうだったのかと気になる。現代でも多すぎる労働時間やストレスによって体調を壊したり、うつ状態になって休職したりなど。
香山さんのお話を聞くと、親元を離れて都会で働きながら頑張っている子どもたちの姿が目に浮かぶ。送り出した親の方は、社会人になればもう親の出番はないと思いながらも、絶えず心配しているものだ。
管理職といいながら、名ばかりで尋常ではない労働時間をこなしてきたというマクドナルドの店長や、残された遺族によって過労死に当てはまるのではないかといった、会社を相手取って争われている事例がある。払われなかった残業時間の支払いを求めて裁判を起こしたマクドナルドの例は、労働者の側からも抵抗し、声を上げ始めたということで、大変な勇気だと思う。