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~サッカーを中心に日々の雑感など~

日めくり万葉集(71)

2008年04月17日 | 万葉集
日めくり万葉集(71)は志貴皇子(しきのみこ)の読みやすい歌。選者は画家の安野光雅さん。鮮やかに情景が目に浮かび、印象深いお話だった。

【歌】
石走(いはばし)る
垂水(たるみ)の上(うへ)の
さわらびの
萌(も)え出(い)づる春に
なりにけるかも

  巻8・1418   作者は志貴皇子(しきのみこ)

【訳】た
岩を叩き、しぶきを散らす、滝のほとりのわらびが芽を出し始める春になったんだ

【選者の言葉】
あー、春になったんだなあと、春が来たんだ。ただそれだけの歌。57調のせいか、言葉の並べ方か。音を立てて流れていく中に春が来たという印象がよく詠われているという気がする。

(戦後間もなく若かったころは)絵なんかで食えやしないが、どういうわけか谷川へ行って絵を描きたいという気持ちになった。ほとんど衝動的な意味しかなかった。練習でもない、勉強でもない、なんだろうか。

谷川の中に入って、静かなところで絵を描いていると気持ちがいい、生活の一部だった。そういうことをするのがうれしかった。田舎の教員をしていたそのころ、クラスの中に一人、まったくものを言わない子どもがいた。

体操だろうと国語だろうと、一切受付けない。なにもしない。その子が道の傍で遊んでいたとき、私は絵を描きに行った。日曜日だったと思う。「おまえ、ついて来ないか?」と訊くと草履を履き替えて付いてきた。

その子はずっと付いてくる。普段しゃべらない子が付いてきたから、多少うれしい気がしていた。「待ってろ!」と言って私は絵を描いていた。(その子は)石ころをはがしてみたり、沢蟹(さわがに)を捕まえてみたり。

そうしているうちにその子が見えないところで「鳴くな~小鳩よ~心の妻よ~」と歌っている。彼の声をはじめて聞いた。それを聞いてうれしかったが、それきり、ついに彼の言葉を聞くことはなかった。まもなく東京に来てしまった。渓流についてでは、彼のことが忘れられない。

【檀さんの語り】
和歌に秀でた皇子(おうじ)、志貴皇子が詠んだ歌。山がちで滝や渓流の豊かな国、日本。安野さんも戦後間もない若いころ、その魅力に取り付かれスケッチに熱中していたことがあった。

【感想】
志貴皇子のこの歌は声を出して読みやすい歌。流れるような言葉のつながりがどこか洗練されたものに感じられた。安野さんの話はまるで映画のシーンのようでもあり、目の前で動いている姿が想像できる。

楽しそうにスケッチをする安野さんの姿からは、教壇に立っている「先生」とは別人として、飾らない人間性が溢れていたのではないだろうか。山の中の自然に触れてその「子ども」も警戒心が薄れ、のびのびと気持ちが開放されたのだろう。

戦後間もないころという説明には、誰もが食べていくこと、生きることに懸命で、なにか屈託を抱えている子どもの声に耳を傾けている余裕がないという、時代の空気が感じられた。

淡々とした語り口の安野さんの言葉からは、余計な説明がない分、かえって聞き手の想像力を駆り立てるものがある。その子はどういう人生を生きたのだろうか。

【調べもの】
○たるみ【垂水】
垂れ落ちる水。たき。