6月17日(土):
副題「アフガンの大地から世界の虚構に挑む」
377ページ 所要時間8:50 アマゾン706円(449+256)
著者61歳(1946生まれ)。ペシャワール会現地代表、PMS(ペシャワール会医療サービス)総院長。福岡県生まれ。九州大学医学部卒業。医師。国内の病院勤務を経て、1984年パキスタン北西辺境州(現パクトゥンクワ州)の州都ペシャワールに赴任。以来ハンセン病を中心とした貧民層の診療に携わる。1986年からはアフガン難民のための医療事業を開始、アフガン東部山岳地帯に三つの診療所を設立。98年には基地病院PMSをペシャワールに建設。2000年以降は、アフガニスタンを襲った大干ばつ対策のための水源確保事業を実践。さらに02年春からアフガン東部山村での長期的復興計画「アフガン・緑の大地計画」を開始、03年3月からは灌漑水利計画に着手、現在約1万6千ヘクタールの農地を回復。さらに事業を継続。
【目次】
序章 9・11事件とアフガン空爆/第一章 爆弾よりパンを/第二章 復興支援ブームの中で/第三章 沙漠を緑に/第四章 取水口と沈砂池の完成/第五章 第一次灌漑の実現へ/第六章 沙漠が緑野に/第七章 人災と天災/第八章 第一次工事13キロの完成/巻末資料
著者は、現代日本で俺が尊敬し憧れている人物の一人である。浅ましい口先だけの儲け話ばかりが優先され、賢い生き方とされる時代にあって、「この人を見よ! ここに本物の人間がいる!」と言える人である。本当は、そういう地の塩のような生き方をしている立派な人はたくさんいるのだろうが、今の時代はそういう人が見えにくいし、評価されていない。本当に浅ましい時代である。録画してあった著者に関するNHKのドキュメントを5月に繰り返して観ていて、著者の本が読みたくなったのだ。
もともと著者は、パキスタンからアフガンにかけて医療活動に従事していたのだが、折からの大干ばつの現実に接して、いくら丁寧に医療活動をするよりも、たった一本のしっかりした用水路をひくことによって何千倍の医療効果がある、と考えて聴診器やメスを、クレーン車のハンドル・レバーに持ち替えて、大河川クナール川からの取水、用水路建設に取り組むのだ。驚くべきは、著者は医者ではあっても、土木技術には全くの素人であり、その著者を助けるまともな技術者がいない。図面引きから、すべて著者が一から学んで取り組んでいるのだ。
用水路工事に取り組み始める直前、著者は日本に残していた10歳の次男を手の施しようのない脳腫瘍で亡くしている。NHKのドキュメントでは語られることのない事実である。
本当に人間としてやらねばならないことを、本当にただひたすらやっている著者の地に足の張り付いた確かな眼差しで日本や世界のあり方を見た時、そこで語られる歯の浮くような「国際協力」「グローバリズム」「テロリスト」「平和維持活動」などの言葉がすごく安っぽく、浅く見えるだけでなく、アフガニスタンの人々の現実と真逆に障害として作用しているのがわかる。
日本国内の恐ろしく高価で、近代技術の粋を尽くした用水路工事などアフガンの現地で行うのは全くもって不可能であり非現実的である。効果を最大限上げる方法をずっと考え続けている。資金、技術、時間、スタッフなどあらゆる面で限られた条件の中で、しかも日本では考えられないアフガンのスケールの大きい、とてつもなく厳しい自然と向かい合わねばならない中で、著者は計画を立て、率先して体と頭を動かし、忙殺の中で走り回りながら考え続ける。
PMS(ペシャワール会医療サービス)の現地代表の著者の全身全霊の取り組みも、すさまじいの一語に尽きるアフガニスタン、クナール川の雪解け水の自然の猛威の前にもの凄い苦闘の連続で、出来上がった水路や取水口や調整池などが繰り返し繰り返し崩れるし、塞がるし、全く一筋縄で進まない。順調に進まず、失敗を繰り返し、追い詰められて弱音を吐きそうになりながらも立ち止まることすらできない。
信じられ、支えてくれる現地スタッフや日本人ワーカースタッフも数が少なく、著者のもがいている姿、煩悶する姿は、痛々しい。見通しを維持し、道を見失わない努力だけは忘れないようにして、後は背水の陣をしいて、ただひたすらやるべきことを手探りしながらやり続けていくのみ。NHKの放送で観た穏やかな風景、現地の人々との信頼関係や交流の風景とは全く別のものスゴイ苦闘の連続である。部族間の対立や、別の用水路流域民からのSOS、「そんなのは政府に言うべきだろう」と思いながらもぎりぎりの中でできることはやってやる。
本書はアフガン農民を干ばつから救うための、クナール川(川幅1kmの大河)から、取水口を造って、全長13kmのマルワリード(真珠)用水路を4年にわたって建設する話が、延々と続く。著者を理解したいという意思をもてない読者には、おそらく「何をわかりづらい用水路づくりの話をくどくどと書き続けてるのだ」と思ってしまうだけかもしれない。
しかし著者の思想は、まさにその長年にわたる試行錯誤と失敗を繰り返しながらもへこたれず諦めない。行き詰まりを繰り返すたびごとに、多少の強引さも含めて著者がめぐらした思考や思考の方法が記されていて、そこにこそ著者の思想は表現されるのだ。著者の思想は、机上で展開されるまとまりの良い理屈ではなく、「アフガンの人々の(医療の)ために」という至上命題を基にして、著者が取り組んでいる用水路造りの様々な障害、衝突、行き詰まりの中で、とにかく出口を探し出す、少しでも前進できる実のある対策をどういう風に考えるか、と常に具体的な問題を前にして、時に矛盾し、時に惑いつつ、総体として示される思考として表わされる。
米軍の活動も、それを後押しする日本政府の「テロ対策特措法」のナンセンスも、タリバンも、パキスタン政府もすべての判断基準は、「現地アフガン農民のためにどうあるべきか」という不動の軸がある。医者である著者が、「患者本位」という軸の延長であるのと同じ。著者にとって自分自身の判断基準と著者以外の障害となる勢力のどちらが正しいのかは、著者には明らかである。目の前のアフガンの人々の命をつなぐ農業用水路のことから常に考える著者の思考の正しさは動かない。人はパンのみにて生きるにあらずだが、まずパンを確保するしかないという著者の考え方は理屈なく澄み切っていて正しい。中村哲、やっぱりこの人、格好いい!
人間の存在を重く大切に考える著者と同じ日本人であることが誇らしい。そして、人間の存在を見下し軽視する安倍晋三が総理大臣である日本人であることが、恥ずかしい。
【内容紹介】
「100の診療所より1本の用水路を!」パキスタン・アフガニスタンで1984年からハンセン病とアフガン難民の診療を続ける日本人医師が、戦乱と大旱魃(かんばつ)の中、1500本の井戸を掘り、いま、全長13キロの用水路を拓く。白衣を脱ぎ、メスを重機のレバーに代え、大地の医者となった著者が、「国際社会」という虚構に惑わされず、真に世界の実相を読み解くために記した渾身の現地報告。
【書評1】
旱魃に立ち向かう驚くべき行動力 養老孟司
著者はもともと医師である。二度ほど、お目にかかったことがある。特別な人とは思えない。いわゆる偉丈夫ではない。
最初にお会いしたとき、なぜアフガニスタンに行ったのか、教えてくれた。モンシロチョウの起源が、あのあたりにあると考えたという。その問題を探りたかった。自然が好きな人なのである。
そのまま、診療所を開く破目になってしまった。診療所は繁盛したが、現地の事情を理解するにつけて、なんとかしなければと思うようになった。アフガン難民を、ほとんどの人は政治難民だと思っている。タリバンのせいじゃないか。それは違う。旱魃による難民なのである。二十五年間旱魃が続き、もはや耕作不能の畑が増えた。そのための難民が、ついに百万人の規模に達した。それを放置して、個々人の医療だけにかかわっているわけに行かない。
海抜四千メートルほどの山には、もはや万年雪はない。だから川も干上がる。しかし七千メートル級の山に発する流れは、いまも水を満々とたたえて流れてくる。そこから水を引けばいい。水を引くといっても、医者の自分がどうすればいいのか。
驚くべき人である。寄付で資金を集め、故郷の九州の堰(せき)を見て歩く。現代最先端の土木技術など、戦時下のアフガンで使えるはずもない。江戸時代の技術がいちばん参考になりましたよ、と笑う。必要とあらば、自分でブルトーザーを運転する。この用水路がついに完成し、数千町歩の畑に水が戻る。そのいきさつがこの一冊の書物になった。
叙述が面白いも、面白くないもない。ただひたすら感動する。よくやりましたね。そういうしかない。菊池寛の「青の洞門」(『恩讐の彼方に』)を思い出す。必要とあらば、それをする。義を見てせざるは勇なきなり、とまた古い言葉を思い出す。
だから書評もごちゃごちゃいいたくない。こういうことは、本来言葉ではない。いまは言葉の時代で、言葉を変えれば世界が変わる。皆がそう信じているらしい。教育基本法を変えれば、教育が変わる。憲法を変えれば、日本が変わる。法律もおまじないも、要するに言葉である。「おまじない」を信じる時代になった。
外務省は危険地域として、アフガンへの渡航を控えるようにという。著者はアフガンに行きませんか、と私を誘う。危険どころじゃない、現地の人が守ってくれますよ。そりゃそうだろうと思う。唯一の危険は、用水路現場を米軍機が機銃掃射することである。アフガンでの戦費はすでに三百億ドルに達する。その費用を民生用に当てたら、アフガンにはとうに平和が戻っている。米国に擁立されているカルザイ大統領ですら、そう述べた。著者はそう書く。
国際貢献という言葉を聞くたびに、なにか気恥ずかしい思いがあった。その理由がわかった。国際貢献と言葉でいうときに、ここまでやる意欲と行動力の裏づけがあるか。国を代表する政治家と官僚に、とくにそう思っていただきたい。それが国家の品格を生む。
同時に思う。やろうと思えば、ここまでできる。なぜ自分はやらないのか。やっぱり死ぬまで、自分のできることを、もっとやらねばなるまい。この本は人をそう鼓舞する。若い人に読んでもらいたい。いや、できるだけ大勢の人に読んで欲しい。切にそう思う。
【書評2】
素人が治水工事6年半の記録 池田香代子 翻訳家
アフガニスタンで二十年以上医療に携わっている医師が、気候変動に伴う大旱魃に直面し、広大な土漠の一大灌漑事業に挑んだ。その六年半の記録である。開始は二〇〇一年九月。その翌月からこの国は、米国を襲った9.11テロへの「報復」として、攻撃にさらされることになる。
そんな戦争やいわゆる復興支援を含む国際政治を、著者は「虚構」と呼ぶ。そこには軽蔑と絶望、そして決意がこもっている。なぜなら、著者の前には、二千万国民の半数が生きるすべを失った現実が広がっているのだから。日本の振る舞いには気疎さが募るばかりだ。
巨大な暴れ川と過酷な気象を相手に、ずぶの素人が治水工事にあたる。資金は日本からの浄財のみ。機材も資材もごく限られている。著者は、出身地の九州各地を歩いて江戸時代の治水を研究し、現代アフガンにふさわしい技法を考案していく。現地が保全できない現代工法は採るべきではないとの考え方だ。非業の死を遂げた先人の多いこともさらりと書きしるす。水は諍(いさか)いの種だった。
著者も、治水を巡る対立の矢面に立つが、長年培った交渉術で味方を増やしていく。著者のまなざしには、石や土を相手の伝統的な技量をごく自然にもちあわせ、愚直なまでに信念を貫くアフガン農民への尊敬の念と、弱く愚かな人間への、ちっとやそっとでは断罪に走らない懐の深さとユーモアが感じられる。
「人を信ずるとは、いくぶん博打に似て」と達観する著者は、激高した老人に投げつけられる土埃にまみれながら、「おじちゃん、落ち着け! 話せばわかる」と声をかけるのだ。
去る者、終始離れぬ者。あるときは敵対し、またあるときは協力を惜しまぬ者。さまざまな人間たちのただなかに、著者は命がけで立っている。その姿は著者の祖父、玉井金五郎をほうふつとさせる。この名親分を小説「花と龍」に活写した火野葦平は著者の叔父。著者には、弱きを助けるという本来の任侠の血が流れている。
決壊また決壊、予期せぬ出水。重責を引き受けての難しい決断。過酷な労働。人はここまで捨て身になれるのか。土木工事の顛末を夢中で読んだのは初めてだ。