もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150203 閲覧数33万超え:池澤夏樹さん

2015年02月04日 22時31分42秒 | 閲覧数 記録
2月3日(水):記録ですm(_ _)m。ブログの開設から1214日。

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(終わりと始まり)ムスリムとフランス社会 「赦して」先に進もう 池澤夏樹 2015年2月3日16時30分

 「イスラム国」による日本人二人の誘拐と殺害は宗教ではなく政治に属することだ。ブッシュ元米大統領がイラク戦争で力の空白地帯を作ってしまい、その後の中近東の政変、なかんずく独裁シリアの崩壊があの悪逆非道の擬似国家を生み出した。
 それに対してシャルリー・エブドへの乱入と漫画家たちの殺害はまずもってフランス社会の問題である。
 先日、東京の広い道を歩いていたら、前から自転車が来た。スカーフを被ったムスリムの若い女性がケータイで喋(しゃべ)りながら自転車を漕(こ)いでくる。それが東京の風景に溶け込んでいることに爽やかなものを感じた。異人排斥の国がここまで来たかと思ったし、代々木上原にあるモスク「東京ジャーミー」内部のあの敬虔(けいけん)な明るさを思い出した。
 フランスにムスリムは多い。ぼくはフランスに五年住んだが、子供の親友がムスリムで、家に食事に来た時にうっかりソーセージを出して「これは私は食べられません」と言われてあわてて鶏料理に換えたことがあった。
    *
 フランスという国の基本方針として徹底した政教分離がある。ライシテと呼ばれるこの原則によって国家は教会の影響力を排除してきた。信仰は個人の心の問題であり、それを束ねて政治に利用することは許されない。清教徒が築いたアメリカのような宗教国家とは違う(アメリカの硬貨には「我ら神を信ず」と書いてある)。
 フランス革命の標語「自由・平等・友愛」は美しい。その一方でフランスは北アフリカなど海外に植民地を作り、住民を搾取した。そこに「平等」の原則は適用されなかった。
 第二次大戦後、植民地は戦って独立を獲得した。フランスは安い労働力を求めて旧植民地の人々の移住を認め国籍を与えた。一世は黙々と働いたが、二世三世は自分たちはフランス人だと思っている。しかし現実には差別があって二級の国民として扱われる。大都市の郊外の劣悪な住環境に押し込められ、失業率も高い。
 五百万のムスリムをフランス社会に迎えるための努力をフランスは怠ってきたとぼくは思う。一例を挙げれば、今やマルセイユの人口の三割はムスリムなのにモスクがまだ三つしかない。
 信仰に貧困が重なると信仰は過激になる。
 シャルリー・エブドの殺戮(さつりく)は歴然たる犯罪である。表現の自由は民主主義フランスの原則の一つだから、全国で大規模なデモが起こったのもわかる。
 その一方、フランス人は一人一人が勝手なことを考える。「私はシャルリー」には「我思う、ゆえに我はシャルリーなり」とか変化形がたくさん生まれた。テロを阻止しようとして殉職したムスリムの警察官アハメド・メラベを思って「私はアハメド」もあった。
 諷刺(ふうし)の精神は大事、笑い飛ばす、洒落(しゃれ)のめす、からかう……紙と鉛筆でなら何をしてもいい。
 しかし、という意見が出る、諷刺というのは本来は強者に向けられるものだ。今のフランスでムスリムは弱者である。シャルリー・エブドはキリスト教の権威をからかうのと同じ姿勢でくりかえしムスリムをからかい続けた。
 イスラム教は偶像を認めない。アッラーはどこまでも抽象的であり、ムハンマドの肖像も描かない。この姿勢がイスラム美術のあの美しいアラベスク模様を生んだ。諷刺漫画にムハンマドが描かれてからかわれるのはムスリムにとっては侮辱であり精神的な苦痛なのだ。
    *
 日本のメディアの無理解も問題。
 事件後に発行されて何百万部も売れたシャルリー・エブドの表紙はアラブ風の服装と容貌(ようぼう)の男性が「私はシャルリー」と書いた紙を手にして泣きながら立っていて、その上に Tout est pardonne というメッセージが書いてあった。
 日本の新聞の多くはこれを「すべては許される」と訳した。描きたい放題?
 とんでもない誤訳とパリ在住の翻訳家関口涼子は言う。これは直訳なら「すべてを赦(ゆる)した」であり、過去にいろいろあってもそれは終わったこととして先に進もうであり、敢(あ)えて意訳すれば「しょうがねーなー、チャラにしてやるよ」である。
 彼がそう言っている相手は殺戮の犯人とその背後の怒れる若いムスリムだけではない。この事態を利用しようとする政治家たちから興奮してデモに参加したフランス大衆まで含まれる。描かれた男がムハンマドだとしても、彼は怒っているのではなく泣いているのだ。誰にとってもこれは泣くべき事態なのだ。ここからの再出発をシャルリー・エブドは提案した。
 あっぱれだと思う。
 関口涼子さんの記事は――
 http://synodos.jp/international/12340


もうひとつ!

(終わりと始まり)隣人と認め合う努力 一緒に行きましょう 池澤夏樹        2015年1月6日16時30分

 もう去年のことになってしまって、パキスタンで子供たちがたくさん殺された事件などの蔭(かげ)に隠れたかもしれないが、その前にオーストラリアのシドニーの事件があった。
 十二月の半ば、繁華街マーティンプレイスで五十代ムスリムの男が人質を取ってカフェに立てこもり、十七時間後、突入した警察によって殺された。人質二人が犠牲になった。
 マン・ハロン・モニスというイラン出身のその男はイスラムの大義を掲げて、アボット首相との直接対話などを要求したらしい。
 実際にはイスラム国やタリバンとは何の関係もない、過去にさまざま問題ありの男の勝手な犯行である。
 しかし、この事件をきっかけに、シドニーにはムスリムに対する嫌悪の雰囲気が生まれた。ヒジャブ(ムスリムの女性が被〈かぶ〉るスカーフ)の女性に唾(つば)を吐きかける男がいたりした。
    *
 レイチェル・ジェイコブズは電車の中で、ムスリムの女性がそっとヒジャブを外すのを見た。迫害に対する恐怖。
 次の駅で降りた女性に続いてレイチェルも降り、追いついて言った――
 「それを被って。私も一緒に行きましょう」
 もしもそのムスリムの女性に迫害が及ぶなら並んで闘おうという意思表示。相手は泣き崩れ、レイチェルを長くハグして去ったという。
 「一緒に行きましょう I’ll ride with you.」はツイッターを通じて世界中に広まった。シドニーではハンドバッグにこの宣言を貼って通勤電車に乗る女性もいた。
 オーストラリアは元々は流刑囚を中心に作られたイギリスの植民地だ。戦後も長く白豪主義、すなわち白人優先を旨としていた。先住民は迫害され、他の民族も受け入れなかった。
 しかしそのままでは国として立ち行かない。そう気付いた彼らは大きく方針を変えて、移民を受け入れることにした。国というものは国民の総意によって様相を変えることができる、という原則の劇的な実例である。
 英語を知らないまま来た移民には、さしあたり話す必要のない市電の運転手などの仕事を与えた上で、英語の習得を義務づける。
 この融和・融合の姿勢の先に、レイチェルの「一緒に行きましょう」というメッセージがある。民族において、宗教において、異なる者に対する寛容の姿勢がある。敵対して排除するのではなく、お互い違う者と認め合った上で共生の道を探す。
    *
 このところ、『日本文学全集』を一人で編むという無謀なことをやってきて思うことがある。
 我々日本人はまこと幸運であった。
 古代、日本語という一つの言葉のもとに国の体制を作ってから一九四五年の敗戦に至るまで異民族支配を知らないで済んできた。世界史年表をいくら見てもこんな国は他にない。
 まずは大陸からちょうどよい距離だけ離れた島国であったこと。文化は到来するが大規模な軍勢を一気に渡すのはむずかしい。イギリス海峡とはそこが違ったし、元寇(げんこう)の時は幸運にも相手が自滅してくれた。
 (それに対して、こちらから朝鮮半島に出撃したことを忘れるべきではないだろう。白村江も秀吉の侵略も敗北に終わったのだが。)
 大陸では国境線とは勢力によって自在に動くものだ。民族はそのたびに混じる。血筋と言葉を共有せざるを得なくなり、殺し合いを含む辛(つら)い体験も珍しくない。隣人は違う人である。
 民族という概念は一方で結束によって力を生み、他方で敵対関係を作る。要するに徒党なのだが、それぞれに歴史があり、互いを認め合うには努力が要るが、努力はいつも足りない。イスラエルとパレスティナは最悪の例だ。
 我々日本人はそんなことを何一つ知らないままやって来られた。異民族である隣人との応対を知らずにきた。自分たちと異なる人と接する訓練をしてこなかった。だから現在に至るまで難民をほとんど受け入れていない。
 日本国内にも、数で言えば少ないが他者は居る。国とは本来そういう多元的なものなのだ。
 それがわからないから札幌市議会議員金子快之さんはアイヌの存在を否定し、在特会のみなさんは朝鮮半島系の人々の存在を否定し、安倍政権とそれを投票で支持した有権者(自民党は小選挙区で二四パーセント、比例で一七パーセントを得た)は米軍基地が集中する沖縄の負担を平然と無視する。
 先住民であるアイヌに対して、武力を背景に併合した朝鮮半島から来た、ないし呼び寄せた人々に対して、太平洋戦争で十五万人の死者を出した沖縄人に対して、我々には倫理的な負債がある。
 二〇一五年一月の今の時点で、あなたはそれを返済したと言えるか?

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