もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

171011 107万PV超: 今、すごく虚しい不思議な気分だ。立憲民主の躍進と希望からの集団離党、合流だけが<真の希望>だ。”リベラル”とは。

2017年10月12日 20時35分48秒 | 閲覧数 記録
10月11日(水):記録ですm(_ _)m。ブログの開設から2195日。  

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2017年10月11日 日刊ゲンダイの記事の一節、
立憲民主が躍進すれば、選挙のために嫌々、小池の「踏み絵」を踏んで希望に参加した、かつての仲間が集団離党し、戻ってくる可能性も出てくる。希望が分裂すれば、選挙後の政治状況は大きく変わる。立憲民主が40議席に届くのかどうか。届けば「安倍・小池」体制を阻止する可能性が、俄然高くなってくる。」

今は、この言葉に日本の未来への希望をつなぐしかない。そのためにも、立憲民主党の躍進と前原詐欺師に騙されて希望の党に移籍した旧民進党議員たちの健闘を祈り、応援する気持ちのみである。

それにしても、俺は相当に歴史に詳しいつもりだが、戦後72年間でこれほど愚劣な政治の5年間を知らない。しかも、その政治がさらに3年延長する可能性が濃厚になってきている。アベ・アソウほど知的に低劣で、人格的に卑しく尊敬できない為政者の存在が許された時代を知らない。彼らは知的に低いだけでなく、門閥を誇り、国民の生活を上から見下ろし、それに寄り添おうという意思が全くない。それでもアベ・アソウの自民党に投票する奴隷根性の日本国民が圧倒的に多数存在することを理解できない。

日本人が本当の平和ボケで、戦争の惨禍の実態を知らず、その知らないことを恥じない国民が急激に増えている。「憲法を変えて、実際に戦争できるようにしなければ、北朝鮮なんかに舐められるじゃないですか。」と無知を恥じずに平然と答える姿を観るたびに、「恐ろしく、情けない時代になった」とつくづく思う日々である。戦後72年間、そのうちの50年以上を生きてきたが、これほど日本人であることに誇りを持てない時代は、かつてない。 今、すごく虚しい不思議な気分である。

リベラルを理解できないということをよく耳にするが、1990年代後半(村山内閣頃か?)、自民党総裁の河野洋平が、某番組で「リベラル・自由主義とは、幸せだと思う人がたくさんいる国が良い国なのだ、という考え方である。これに対して、国家主義は、立派な国に住めてお前たち国民は幸せなんだぞ、だからお国のために尽くせ、という考え方である。すなわち、民(たみ:の幸せ)あっての国(くに)がリベラルで、国家(の尊厳)あっての民が国家主義である。ベクトルの向きが真逆なのだ私たちはリベラルでなくてはいけない。」という旨の説明をされているのを聞いたことがある。若い俺は非常に腑に落ちて得心し、それ以来俺の中でリベラル・自由主義の定義は揺らいでいない。

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