もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

122冊目 青木新門「納棺夫日記(増補改訂版)」(講談社文庫;1993)  評価5

2012年01月12日 07時24分37秒 | 一日一冊読書開始
1月11日(水):

227ページ  所要時間5:00

著者56歳。「納棺夫」は造語。本編「納棺夫日記」(155ページ)に、「『納棺夫日記』を著して」を加えて文庫化したもの。アカデミー賞受賞映画「おくりびと」の原作として有名だが、序文を吉村昭が、解説を高史明(コ・サミョン)が書いてるのに、驚いて買った。

当たりだった!久しぶりにクリーンヒットのようにストンと腑に落ちる本に出会った感じである。映画「おくりびと」をまだ見てないが、良い作品に目を付けた俳優の本木さんもすごいと思った。    「

「納棺夫日記」は、第1章 みぞれの季節/第2章 人の死いろいろ/第3章 ひかりといのち、から成る三部構成。人間「の死という最も当たり前の事実を忌むべきものとして隠蔽することの上に成り立っている現代社会に対する強い批判が底流に流れている。      

もともと著者は、5年前のあるきっかけから、将来出版する見通しもないまま、心に突き動かされるように、ジャンルも自伝、小説、詩論、死生観、宗教論他、どのようにまとめるかもあまり意識せず、書き続けてきたものを、富山の小さな出版社からの出版にこぎつけた。その後の反響の大きさなど予想だにしておらず、全く自分のために書きたいように思いを込めて書いたのが良かったようだ。          

内容的には、第1章と第2章を前半、第3章を後半と二分した方がよいと思う。          

第1章・第2章は、期せずして死(死体)に体当たりで接する仕事につき、自身戸惑う様子と、その納棺夫の仕事に頼りつつ、奇異の視線を送る死者の親族の姿を厳しく描き、世間で強く差別視される職種であることを冷静に観察し、そのタブーの不条理を見つめながら、それでもそれを続けなければならない自己の人生の断章と、思索の記録を記す。著者の、文章は詩的で珠玉のような言葉で綴られ、思索や感じ方・見方が斬新で、読むのを中断して、立ち止って味わいたい誘惑にしばしば捉えられた。   

次に、第3章になると、宗教教祖の生涯での生涯のある時点での<ひかり>との出会いに注目。その最も優れた解説を親鸞の『教行信証』に求める。そして、「教行信証」



ちょっと体力の限界、あすもう少し書き足します。お休みなさい。


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