もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

121冊目 毎日新聞科学環境部「『理系』という生き方  理系白書2」(講談社文庫;2007)  評価4

2012年01月11日 04時31分54秒 | 一日一冊読書開始
1月10日(火):

243ページ  所要時間3:45

理系白書1の続編。今回は、テーマをかなり絞り込んで、取材がされている。読みごたえはあった。

目次:

第1章 文理分け教育 *高校カリキュラム(未履修も)の問題、理念無き受験教育。

第2章 破れ、専門の壁 *大学教育の問題

第3章 文系社会で生きる *就職先の問題

第4章 博士という「壁」 *ポスドク漂流の問題

※深刻な日本のポスドク(ポストドクター)漂流問題とは:
 文部省1990年代「大学院重点化」政策→大学審議会1991年答申「大学院生を2000年度までに少なくとも2倍にする数値目標」→政府1996年「ポストドクター等一万人支援計画」→1999年度にポスドク10000人超える→文科省人材委員会2002年「博士の量が増えて、質が低下」→2004年度<課程博士>が、10年前の約1.7倍になる(cf.<論文博士>は別)ほころび拡大→「博士になったのに、稼げず、就職口もなく、専門性は企業に嫌われる、本当に優秀な学生は修士で企業に就職する」のデフレスパイラル。解決策は、大学院合否判定を厳しくし、博士の多様な活躍の場を産学協力して保障すること。 

第5章 よみがえれ科学技術教育 *物理嫌い・物理知らずの小学校教師の卵、ゆとり教育、受験至上主義による文理分けの問題;一方で、科学五輪、高専(高等専門学校)、2007年ゆとり教育方針転換への期待

※左巻健男教授「科学を学ぶことは、山登りのようなものです。少々苦労しても頂上まで登れば、今まで見てきた断片的なシーンが全体として見渡せる。ところが今の理科教育は『大変だから』と登ることをやめ、山麓を慌しく散策するだけ。部分と部分のつながりが分からないから暗記することになり、最も大切な『理解と納得』ができないんです。」

あとがき「改めて強くかんじるのは、文理の壁が構築されるうえで、高校の文理分け教育が果たしてきた影響力の大きさである。そして、文理分け教育を是とする環境をつくりあげてきた大学入試制度の罪深さである」  
文庫紹介文「日本では、理系と文系の選択を高校でしなければならない。これは受験に有利だからだ。その結果、大人の科学知識は欠如し、日本企業の技術力は低下している。給与、待遇が有利だと文系職種を選んだ理系卒業者は、文系カルチャーのなかで、どう生きるのか。科学の意味を問う。<文庫オリジナル>」

※幸か不幸か、私は、生物・地学・物理・化学をすべて授業で受けている。しかし、不幸なことに、後ろ2つは教師がひど過ぎた。いくら学費の安い公立高校とはいへ絶望的なひどさだった。そのため、受験のために化学Ⅰは、兄の使った教科書(数研)で、すべて独学して共通一次試験を受験しなければならなかった。授業をコントロールして、きちんと教える能力のない教師は、ある意味、罪深い<犯罪者>だと思う。
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