もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

171010 「安倍的」なるもの 家業3代目、究極の世襲 青木理さん(ジャーナリスト)/傍観者でいるとツケ ノンフィクション作家・保阪正康氏

2017年10月10日 13時36分18秒 | 時代の記憶
10月10日(火):
朝日デジタル「安倍的」なるもの 家業3代目、究極の世襲 青木理さん(ジャーナリスト) 2017年10月4日05時00分
  長期政権を築き、戦後日本の「かたち」を変えようとしている首相「安倍晋三」とは何者なのか。父方の祖父で戦前、戦中の衆議院議員、安倍寛(かん)、そして父である元外相、晋太郎の周辺を地元、山口県で徹底して取材しました。
  寛は、1942年の選挙で大政翼賛会の推薦を得ず当選しました。古老たちは、寛が東条英機内閣の方針に反対し反戦を貫いたと証言しています。だが、彼は終戦翌年に病気で亡くなりました。
  安倍首相は生前の寛に会ったこともなく、今何かを語ることはほとんどない。元首相で母方の祖父、岸信介のことは、誇らしげに口にします。岸は幼い頃の安倍首相を大変可愛がり、週末は箱根の旅館で一緒に過ごしたそうです。
  安倍首相は、東京の私立成蹊学園に小学校から大学まで在籍しました。学友や恩師、神戸製鋼社員時代の上司らに話を聞くと、みな「彼が政治的なことを語ったのを聞いたことがない」「いい子だったが、あまり印象に残っていない」と口をそろえるのでした。
  おそらく安倍首相には、もともと強固な右派思想などなかった。根本にあるのは岸信介への憧れと敬愛、そして岸を批判した左派への反発といった程度の感情でしょう。若いころを知る元上司は「子犬がオオカミの群れと交わり、オオカミになってしまった」と表現する。政界に入り右翼政治家やイデオローグと付き合い、強い影響を受けたのでしょう。首相自身、それが時代の空気に合っているという打算があったかもしれない。
  突き詰めれば、政治をなりわいとする名門一家の3代目として、立派な政治家をいかに演じるか。つまり安倍首相を形作った縦軸は、大きな志もなく家業を継いだ単なる世襲政治家。横軸には中国や韓国を敵視し、時に蔑視し、「強い日本」の復活を夢見る、社会の薄っぺらな風潮があり、相互に共鳴もしている。
  斜めの軸があるとすれば、北朝鮮の存在でしょうか。特に日本人拉致問題で日本は戦後初めて朝鮮半島との関係において“被害者”になった。その拉致問題を熱心に取り上げ、政界の階段を駆け上がった。今回も「国難突破解散」と称して北朝鮮への対応を争点にしようとしています。
  現在、衆議院議員の2割以上が世襲です。自民党や閣僚になると、さらに比率は上がる。老舗の和菓子屋や歌舞伎の世界とは異なり、政治は公のものです。3代目ともなれば地元の選挙区から離れ、東京で育つことも多い。安倍首相は世襲の究極系です。
  代議制民主主義は、政治家が民意をくみとり、政治に反映させるもの。世襲ばかり増え政治を牛耳れば、民主主義をゆがめます。世襲議員の立候補に一定の制限を設けることを真剣に考えるべきでしょう。(聞き手・桜井泉)
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 あおきおさむ 66年生まれ。共同通信社でソウル特派員などを経てフリーに。著書に「安倍三代」「ルポ 国家権力」など。


毎日新聞傍観者でいるとツケ ノンフィクション作家・保阪正康氏  2017年10月9日 東京朝刊
  今回の衆院解散で、安倍晋三首相は「国難突破解散」と述べた。私は「国民愚弄(ぐろう)解散」だと思う。森友、加計両学園の問題で何の説明も議論もないまま、臨時国会を平気で冒頭解散した。以前、安倍首相は国会の答弁で行政府の長である自分を「立法府の長」と述べた。間違いだが、これまでの国会運営を見る限り、本当にそう信じているのではと思わざるを得ない。
  戦前の軍部独裁は、軍が行政を握り立法と司法を従えたもの。軍部がない現代でも行政による独裁はあり得る。私たちはそれを知るべきだ。
  選挙の争点の一つが北朝鮮の問題。安倍首相は、「必要なのは対話ではなく圧力」ということを強調している。核実験やミサイル発射を繰り返す北朝鮮に圧力が必要だとしても、それだけでいいのか。相手がどんな国であれ、対話の道も確保しなければならない。
  もう一つは憲法改正だ。9条に第3項を付け加えると安倍首相は言うが2項との整合性がとれない。改憲するとしても何をどう変えるのか、またそのプロセスも大事だ。そもそも自民党が掲げる憲法が国民主権なのか、国家主権なのかを見極める必要がある。
  これまでの自民党長期政権を振り返ると、最後は多数の力で採決するにしても、手続きを踏んで、それなりに時間をかけていた。今の内閣にはそういう知的な営みが感じられない。こんな内閣を持っていたら、私たちは50年、100年後の国民に指弾されるだろう。
  与野党の国会議員と話す機会がある。よく勉強して、社会に通じ、人の話を聞き議論ができる。国民のことを思う。そういう議員もいる。しかしなかなか主流にならない。要領がよくて風ばかりみている政治屋が多い。立法府の役割を果たしているのか、と疑問だ。しかしそういう政治屋を抱えていることは我々の責任でもある。
  前回衆院選(2014年12月14日)の投票率は小選挙区で52・66%、戦後最低だった。「どこに投票しても同じ」「こんな政治はダメだ」などと傍観者でいるとそのツケは我々に来る。【聞き手・栗原俊雄】

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