もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

170903 沖縄への無知を確認!【論壇時評】沖縄と本土 「自らの現実」はどこに 歴史社会学者・小熊英二

2017年09月03日 21時24分16秒 | 時々刻々 考える資料
9月3日(日):  
朝日デジタル【論壇時評】沖縄と本土 「自らの現実」はどこに 歴史社会学者・小熊英二                    2017年8月31日05時00分
  世上の沖縄論は「平和の島」「癒(いや)しの島」などの定型句が目立つ。かたやネット上には「基地で潤っている」「補助金泥棒」といった偏見もある。この種の沖縄論は、なぜかくも空疎なのか。
  理由の一つは、単なる知識不足だ。米軍基地の7割が集中する沖縄だが、県民総所得に占める基地関連収入は5%にすぎない。基地返還跡地を再開発した地区では、直接経済効果が返還前の平均28倍であり、基地はむしろ発展を阻害している〈1〉。国からの財政移転は都道府県中12位で、特段に高くはない〈2〉。
  一方で沖縄の貧困は深刻だ。1人当たり県民所得は最下位非正規雇用は45%で全国一沖縄に多いコールセンターや観光業、飲食業は一般に賃金が低い。本土労働者の典型像は「年収三〇〇万~四〇〇万」の製造業従事者だが、沖縄のそれは「年収五五万~九九万」の飲食・宿泊業だ〈3〉。沖縄在住の作家である仲村清司は、「子どもの貧困率が全国平均の2倍に達し、3人に1人が貧困状態」と述べ、貧困に起因する家庭内暴力や不登校、いじめの頻発を指摘する〈4〉。
  また沖縄戦で住民の4分の1が死に、1972年まで米軍の軍政下で基地が膨張した。多くの沖縄論は、これが単なる歴史ではなく、現在でも癒えない生傷であることを踏まえていない。
  新聞記者の木村司が2015年に取材した女性は、高校2年生の1984年に米兵3人に乱暴された〈5〉。「被害を家族にも話せなかった。事件を再現させられると聞き、警察に被害届も出せないまま、原因不明の体の痛みに耐えてきた」。95年に女子小学生が米兵に暴行された事件をニュースで知ったこの女性は、「明かりをつけるのも忘れ、真っ暗な部屋で泣き続けた」。そして「こんな幼い子が犠牲になったのは、私があのとき黙っていたから」と考え、抗議集会に参加した。
  木村はこのほか「人知れずアメリカ兵の子どもを産んだ知人がいる」「苦しみが癒えてきたと思う頃にまた事件が起きる。忘れたくても忘れられない」といった声も紹介している。こういう事例は沖縄では珍しくなく、「現場を歩けば、驚くほど、何らかの『経験』を身辺にもつ人に出会う」と木村はいう。こうした事情が、思想信条を超えた反基地感情の背景にあることは、いうまでもない。
     *
  だが一方で、沖縄の現実は、「平和の島」という定型句には収まらない。
  前述の仲村は、沖縄の若い世代の関心事は貧困問題なのに、年長論者は基地問題に傾斜しており、そのギャップが「沖縄問題を語る大人への無関心と無視」を招いているという。国仲瞬は、沖縄の若者にみられる基地容認論の背景に、形骸化した平和学習への反感があると指摘する〈6〉。もっとも仲村は、そうした世代間対立の背景は「莫大(ばくだい)な金と利権をばらまくことによって沖縄の不満を抑え込み、沖縄内に既得権益層とそうでない層の間に著しい経済格差を作りだしている政府の存在」だとも述べているのだが。
  外部の来訪者は、こうした状況に戸惑うことも多い。ネットニュース編集者の中川淳一郎は、沖縄の訪問体験を記している〈7〉。基地反対を明確に唱える人もいるが、「昔から基地のある生活が普通でした」と語る人もいる。本土から基地建設への抗議にくる人を「なんでナイチャー(本土の人間)が来て、混乱させているんだ」と否定的に見る人もいる。
  以前の中川はネット上の言説を読み、「沖縄に対しては右派的論調を取っていた」。それは単なる偏見だったが、「平和の島」というだけでもない。今では、「本土の人間は本当に沖縄のことを知らずに勝手なことを言っていた」「この問題は複雑すぎて生半可な気持ちでは取り組めない」と思うようになったという。
  定型の沖縄論の空疎さを脱しようとする姿勢は評価できる。だが、私は思う。沖縄の状況は複雑だろうか。
  考えてみよう。貧困、性暴力、平和学習の形骸化、迷惑施設をめぐる葛藤などは、各地でみられる現象だ。沖縄も自分と同じ生身の人間が生きている土地だと考えれば、理解可能なはずだ。それが複雑に見えるとすれば、沖縄に関する知識不足以前に、もともと社会の現実に向きあう姿勢が欠けているのではないか。
     *
  そもそも私たちは、沖縄以前に、「本土」や「東京」を知っているか。20代単身転入者の平均年収が241万円にすぎない豊島区や、地上戦の遺骨が何千も残る硫黄島も「東京」だ。東京を含む空襲被害者救済法も止まっている〈8〉。米軍基地も60年代より前は本土の方が多かった。沖縄まで行かずとも、類似の問題は「本土」や「東京」にすでにあるのだ。
  こうした問題以外でも、理不尽な抑圧や不本意な沈黙には、誰もが直面している。だが、自らの現実に向きあい、それを打開する努力を無意識に避けようとする人間は、他者の苦痛にも目を閉ざしたり、抑圧的にふるまったりするものだ。それこそ、沖縄の現実にも想像力が及ばず、定型句に流れる原因ではないか。
  親川志奈子は、沖縄問題が伝わらないのはなぜかと問い、「ひとえに『当事者性の欠如』だと考える」という〈9〉。自分の現実に向きあう勇気がないとき、人は他者を語ることに逃避し、安易な期待や勝手な偏見をその他者に投影する。それこそ、多くの沖縄論が空疎である最大の理由だ。まず、自らの現実の当事者になること。それが「沖縄」と「本土」の境界を壊すことにつながるはずだ。
     *
 〈1〉照屋剛志「欠かせない『基地依存』誤解の解消」(Journalism8月号)
 〈2〉「(よくある質問)沖縄振興予算について」(沖縄県庁ホームページから)
 〈3〉前泊博盛「四〇年にわたる政府の沖縄振興は何をもたらしたか」(世界2012年6月号)
 〈4〉仲村清司「埋めるべき溝、沖縄内部に」(Journalism8月号)
 〈5〉木村司「本土に広がる『沖縄疲れ』の空気」(同)
 〈6〉国仲瞬・インタビュー「修学旅行生と平和教育」(同)
 〈7〉中川淳一郎「『本土の人間』として反省を込めて思う」(同)
 〈8〉NHKスペシャル取材班『縮小ニッポンの衝撃』/栗原俊雄『遺骨』(15年5月刊)/記事「全国空襲連のつどい 救済法の早期実現を」(本紙8月15日〈都内版〉、http://digital.asahi.com/articles/ASK8G447PK8GUTIL018.html?rm=415#Continuation)
 〈9〉親川志奈子「植民地・沖縄を前に、日本人の選択は?」(Journalism8月号)
     ◇
 おぐま・えいじ 1962年生まれ。慶応大学教授。近著『誰が何を論じているのか』は、本紙・論壇委員として2013年からの3年間に執筆した毎月の論壇メモと本紙コラムなどを収録。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

170903 再掲:150803 滋賀4区の恥、武藤貴也衆院議員。次回の総選挙で必ず落選させる!忘れないことが我々の闘いだ!

2017年09月03日 13時37分31秒 | 時代の記憶
9月3日(日):ちょっと怒りがよみがえってきたので、選挙も近いし、こっちも再掲する。

再掲:「150803 滋賀4区の恥、武藤貴也衆院議員。次回の総選挙で必ず落選させる!忘れないことが我々の闘いだ!」     2015年08月03日 22時06分29秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」

(2015年)8月3日(月):
  安倍の尻を舐める無恥な若造、この顔と名前を忘れない!次の総選挙で必ず落とす!
 軽々しく憲法を貶めるほんとに汚らわしく腹立たしい馬鹿者だ。この期にこれだけの馬鹿なKY発言をして、ファシスト安倍からどんなおほめの言葉を欲しているのか。若いのにこんなに歪んだあほな政治屋がいるとは。まずお前が戦場に行け! 

 滋賀4区の武藤貴也衆院議員は<滋賀県の恥>だ! 滋賀県の人々は、天(憲法&SEALDs)に唾を吐きながら、安倍に尻尾を振るこの馬鹿者を選んだことを大変な恥と知るべきだ。次回の総選挙で必ず落選させる!落選運動を起こす。「忘れないこと」が我々の闘いだ!

日刊ゲンダイ自民・武藤貴也議員 「憲法が日本精神を破壊」の暴言で大炎上  2015年8月3日
 安倍チルドレンにまともな議員はいない(武藤貴也議員のHPから)
「マスコミを懲らしめろ」発言の自民党3国会議員といい、“安倍チルドレン”にはホント、ロクな人間がいない。自民党の武藤貴也衆院議員(36=滋賀4区)が、安保法案に反対するデモ活動を行っている学生たちの「SEALDs」を「極端な利己的考え」などとツイッターで批判し、大炎上している。
 問題の書き込みは7月30日。武藤議員は「SEALDs」のデモに対し、こうつぶやいたのだ。
〈彼ら彼女らの主張は『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心、極端な利己的考えに基づく〉〈利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ〉
 呆れるほど、トンチンカンで低レベルな書き込みだが、仰天書き込みはこれだけじゃない。7月23日のブログでは〈日本国憲法によって破壊された日本人的価値観〉と題し、憲法の三大原則(国民主権・基本的人権の尊重・平和主義)を批判。〈戦後の日本はこの三大原理を疑うことなく『至高のもの』として崇めてきた。(略)私はこの三つとも日本精神を破壊するものであり、大きな問題を孕んだ思想だと考えている〉と持論を展開しているのだ。
 よく国会議員になれたものだ。どんな人物なのか。
北海道出身で、高校卒業後、5年間のアルバイト生活を経て東京外大に入学。京大大学院在籍中に滋賀県議会会派の地域政党の政策スタッフになり、政治に関わるようになった。この地域政党は当時の嘉田知事を支持し、自民党と対立していたのですが、09年の総選挙に自民党候補で出馬して周囲を呆れさせました。12年の総選挙で初当選し、現在2期目。ちなみに『マスコミ懲らしめ』発言が出た党文化芸術懇話会のメンバーにも名を連ねています」(政治ジャーナリスト)
 こんな連中ばかりだから、安保法案は廃案にしないとダメなのだ。


※こいつはアルバイト以外まともに就職した経験も無いまま政治屋になっている! まともに働いた経験も無いまま政治屋にすり替わったくせにいっちょ前のことを言うな!おまえ、これまでにどんだけ国に税金を納めてきたんや!ほとんど納めてへんのやろう!「利己主義 云々」って、偉そうに、なに眠たいこと言うてんねん、バカたれ!

リテラ安倍チルドレンが「『戦争に行きたくない』というのは自己中」とトンデモツイート!国のために戦えと?徴兵制はあり得ないはウソ?  2015.08.01. 
 礒崎陽輔首相補佐官の「法的安定性は関係ない」発言が問題視されるなか、またしても安倍チルドレンがとんでもないこと言い出した。
 それは、滋賀4区の衆議院議員・武藤貴也の30日のツイートだ。
〈SEALDsという学生集団が自由と民主主義のために行動すると言って、国会前でマイクを持ち演説をしてるが、彼ら彼女らの主張は「だって戦争に行きたくないじゃん」という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ。〉
「戦争に行きたくない」という主張はわがままの極みである──。武藤議員はそう怒っているのだ。裏を返せば「お国のために死ねることこそ美徳」と言っているに等しく、むしろ安保法制はやはり「戦争法案」だということを象徴するような発言ではないか。
 しかも、武藤議員は、このツイートの前にこんなことも述べている。
〈「NO WAR」とプラカードを掲げてる人に、他国が攻めてきたらどうするのか聞いてみたら「戦う」と言う。けれどそれはまさに自衛のための「WAR」だ。またその問いに「座して死を待てば良い」と答える人は宗教家になるべきで、その価値観は他人に押し付けるべきではない〉
「座して死を待つ」と「WAR=武力行使」以外にも戦い方はいくらでもあるし、他国に攻められて自衛するのならいまのままの憲法でいいわけで、それを無理矢理「戦争できる」ようにねじ曲げようとしているから多くの人がおかしいと声をあげている、その意味さえこの議員にはわかっていないらしい。そして「人を殺したくない」という平和憲法を生み出した重要な理念さえ、「他人に押しつけるな」と言い張っている。
 さらに、この武藤議員、〈戦争したくないなら国会周辺ではなく領海侵犯を繰り返す中国大使館前やミサイル実験を繰り返す北朝鮮朝鮮総連前で反戦の訴えをすべきだ〉とも主張している。外交努力こそ議員の務めなのに、国民にどうにかしろとまで言い出す始末なのだ。 
 もう呆れてものも言えないが、これが安倍政権の本質なのだ。実際、この武藤議員は憲法審査会の委員であり、例の「マスコミを懲らしめるには、広告料収入がなくなるのがいちばん」という言論弾圧発言が飛び出した「文化芸術懇話会」の結成にも絡んでいるメンバー。極右団体・日本会議の総会にも出席し、安倍晋三首相が会長を務める「神道政治連盟国会議員懇談会」にも所属する議員だ。
 安倍晋三首相自身は先月30日の委員会で「(徴兵制は)明確な憲法違反であり、導入はまったくありえない」「子どもたちが兵隊にとられるという徴兵制が敷かれることは、断じてない」と繰り返したが、誰がこの言葉を信じられるだろう。安倍首相の側近である礒崎氏や思想を同じくする子飼いの武藤議員は“法的安定性は無視しろ”“戦争に行きたくないと言うのは利己主義だ”と言っている。いまは安倍首相の思想を身に叩き込んだ安倍チルドレンたちを自民党はマスコミの前に出さないように押さえ込んでいるが、結局、こうして洩れてくる意見こそ、安倍首相の“本音”なのだ。
 こうなったら、安倍チルドレンたちはどんどんTwitterでその主張を展開してほしい。そうすれば、隠された安保法制の真の目的が暴露されていくのだから。 (水井多賀子)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

170903 再掲:150803 イラクで米兵17000人が手足など人体部分を切断 米国が最も見せたくない写真約60枚

2017年09月03日 12時47分40秒 | 時代の記憶
9月3日(日): 自分でも書いたことを忘れてる記事がたくさんある。アクセスしてくれる人がいるので思い出す。以下、フランスのボルテール・ネット 「スペイン語版」http://www.voltairenet.org/article136827.html 齊藤力二朗氏の【アラビア・ニュース】より

                   Pintura llamada "War President" que representa el rostro del presidente estadounidense George W. Bush, retrato realizado con las fotos de los militares norteamericanos muertos en Irak. Obra del artista Joe Wezorek.

同じスペイン語のサイトで、現地被害の写真もあった。

                    

下の写真は、特に滋賀県民の皆さん、よく味わってください。
     

「150803 イラクで米兵17000人が手足など人体部分を切断 米国が最も見せたくない写真約60枚」   2015年08月03日 23時41分08秒 | <憲法の危機>は「戦後最大の危機」

(2015年)8月3日(月):

戦争に反対することを「利己主義だ」と言いながら、まともに働いた経験も無く、納税もほとんどしてこないで政治屋にすり替わった滋賀4区の武藤貴也というずる賢い若造に是非この写真を見て感想を聞きたいものだ。

投稿者 どさんこイラクで米兵17000人が手足など人体部分を切断 米国が最も見せたくない写真約60枚 http://www.asyura2.com/0601/war79/msg/742.html  日時 2006 年 3 月 26 日 23:28:04: yhLXMcSQdrkJ2
イラクで米兵17000人が手足など人体部分を切断
米国が最も見せたくない写真約60枚 
3月24日のフランスのボルテール・ネット 「スペイン語版」
http://www.voltairenet.org/article136827.html
 齊藤力二朗氏の【アラビア・ニュース】より
戦争の被害者 傷痍軍人
悲惨な写真が多いです。覚悟してご覧ください。


※これはアメリカの帰還兵たちである。帰還しなかった兵たち。そして、はるかに多数にのぼるアメリカの攻撃を受け傷ついたイラク兵、イラクの民間人、子供たち、そして死んでいったイラク兵、イラクの民間人、子供たちのことを少しでも想像すれば気が遠くなる。 今、安倍晋三という愚か者が日本の歴史に復活させようとしている<戦争できる国>という暴力組織は、日本人に再びこの惨禍を繰り返させようとしているのだ。愚劣としか言いようがない…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7 001 鹿野政直「近代社会と格闘した思想家たち」(岩波ジュニア新書:2005)感想5

2017年09月03日 03時24分16秒 | 一日一冊読書開始
9月2日(土):    

192ページ     所要時間5:30     アマゾン2013年購入332(82+250)円

著者74歳(1931生まれ)。

著者は、俺が最も信頼を寄せ、共感できる歴史家、要するに”師匠”である。その著者の基準で選ばれた近代史上の重要人物について、著者が、各人物ごとに6ページを使って、その人物の最も有名な文章を冒頭に配し、著者独自の視点で人物の人生や歴史上の存在意義をまとめた紹介文を記し、最後に関連書籍・資料の紹介がなされている。

セット販売?の姉妹編「近代国家を構想した思想家たち」(岩波ジュニア新書;2005)と比べると、雰囲気的には陽・有名なメジャーに対する陰・無名なマイナーの人々を取り上げた印象である。もう少し踏み込んで言えば、歴史上の評価が確定して報われた人たちと、評価が不十分で報われたとは言い難い人たち、とも言える。もちろん、例外や程度の差はある。ただ全体から受ける印象はそうだということ。

その意味で、本書を読むことは、姉妹編「近代国家を構想した思想家たち」を読むこと以上に、意味のあることだったと俺は納得し、満足をしている。とは言え、各分野で知る人ぞ知る有名人ばかりなのだろうから、俺としては実際不覚にも知らなかったり、よく知らなかった人が多かったのは事実であり、今回、ブログ7年目の最初の1冊にふさわしい本だった。

俺にとって、全く知らなかった人、名前だけかろうじて知っていた人が合わせてほぼ半分だった本書を読めた意義は大きい。特に、著者が、各人物について、その業績と同じぐらい、その人の社会的評価、生きざまについて重点を置いた解説をしていたことは俺にとってとても興味深かった。

50歳代半ばで、何事もなさずに人生の峠を越えてしまった俺から見て、登場人物たちの亡くなった年齢及び生き様と死に様は非常に強い関心の対象であった。と言うか、多くの有名な人物たちが、俺よりもずっと若くして、または60歳前後で人生を閉じているのを知ると、我が身を振り返って、ため息を吐き肩を落とさざるを得なかった。

一体俺は何をしていたんだろう……。しかし、反転して「でも自分なりに精一杯生きるしかないのだ。本書に出てきた人たちも、何かを成し遂げたり、有名になることが目的だったわけではないだろう!精一杯生きた結果がそういう風だったということだ。俺も肩の力は精一杯抜いた上で、自分なりに真面目に生きてお迎えが来るのを待つしかないのだろう」と思うのである。(ああ、だいぶんチャンジャ・キムチとウィスキーで酩酊してきた……)

でも、まあ今、俺はこの偉人たちの人生を本書を通じて俯瞰させて頂いてるけれど、一人一人はそれぞれに孤軍奮闘、力を尽くして誠実に生きていたのだ。少しでも学ばせて頂くのが読む側のせめてもの誠意だろう。

【目次】(※赤字は俺が全く知らなかった人物)プロローグ
1 文化をひらく : 北村透谷/石川啄木/柳田国男/南方熊楠/柳 宗悦/津田左右吉/寺田寅彦
2 生命をみつめて : 横山源之助/田中正造/石原 修/山本宣治/野村芳兵衛丸岡秀子若月俊一
3 存在の復権をめざして : 伊波普猷/知里真志保/松本治一郎/与謝野晶子/平塚らいてう/高群逸枝
4 戦争のなかで : 柏木義円黒島伝治/清沢 洌/竹内 好/仲宗根政善
エピローグ

【内容紹介】 明治維新以後,富国強兵の名のもとに進められた日本の近代化は,いったい社会に何をもたらしたでしょうか.成功と見なされる反面で,さまざまな矛盾や新たな問題が発生しました.地域の人びとが暮らしのなかから作り出してきた知恵や習俗がこわされ,労働者は苛酷な労働を強いられ,新たな貧困と差別が形成され,抑圧された社会は戦争へと突き進んでいきました.この本では,こうした社会にあって,それぞれの場から声を発した25人を取り上げます.足尾鉱毒事件で生命の尊厳をかかげて闘った田中正造,民俗学という新たな学問分野を拓いた柳田国男,女性復権をめざした与謝野晶子,沖縄学の祖・伊波普猷,戦争の愚かさを「暗黒日記」に書き綴った清沢洌など.一人物6ページで,それぞれの生きざまと思索の核心を描きます.先に刊行し好評の『近代国家を構想した思想家たち』の姉妹編.

※【参考】姉妹編「0062 鹿野政直「近代国家を構想した思想家たち」(岩波ジュニア新書;2005) 感想5」
【目次】プロローグ
1 近代への先駆者 : 渡辺崋山/吉田松陰/坂本龍馬/中山みき
2 「国民」の形成をめざして : 福沢諭吉/中江兆民/植木枝盛/馬場辰猪/陸 羯南/吉野作造/美濃部達吉/市川房枝
3 アジア・世界のなかの日本 : 内村鑑三/岡倉天心/宮崎滔天/朝河貫一/金子文子/石橋湛山
4 体制の変革を志す : 出口なお/幸徳秋水/大杉 栄/北 一輝/山川菊栄/戸坂 潤/河上 肇
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)