シャンソン歌手

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シャンソン歌手リリ・レイ Lili Ley 長坂 玲 Paris クリスマス

2011年12月25日 01時53分09秒 | Weblog

シャンソン歌手リリ・レイ Lili Ley 長坂 玲 Paris クリスマス

パリは 日本より 時差で八時間遅れています。
ですから まだ クリスマスイブの 夜六時です。
インターネットニュースでは 今日本は 気温三度らしく
寒いみたいですね。

今朝は 青空が広がり とても暖かい12月24日。
セーター二枚来てブレザーだけで 十分に暖かくて
ノートルダム寺院まで 散歩しました。二十分かかりません。
ポンヌフの CIDADINEホテルは 昨年生徒さん達と 泊まった
アパートメントホテルで 大きな広い部屋と 台所があり
私の常宿みたいに お気に入りです。
今回は 冒険して 家具付きアパートメントを借りましたけれど
とっても 気に入っています。
我が家から セーヌ川まで 2分 ポンヌヌの橋まで 4分
シテ島 やサンルイ島 一区は パリが最初に町になった原点です。

今夜は あちらこちらの教会でミサがありますから
ノートルダム寺院にも 人々がやってくるでしょうから
昼間のNotreDameは がらがらで 太陽の光で ステンドグラスが
見事に 美しかったです。
静かな時を過ごし イエスの誕生前夜の日に ここに居られる
幸せに感謝しました。

一人ぽっちなのに孤独を感じない人間に やっと なれたことに
感謝いたしました。
恋人も夫もいない 身内もいない・・・なのに 寂しくないのは
不思議な体感です。
この 心身ともに自由を得た 本当の自由を得た喜びは
天から降ってきた 喜びとしか 思えません。
教会で 色々 祈り 感謝して 静かな笑みを 浮かべていました。

日本を出発する日の朝 ベルギーのピアニスト ロベール
の死を知らせてくれた
彼の恋人キャリーヌに電話しました。
朝八時は ベルギーの 前日夜11時で お勤めの彼女の在宅時です。
ロベールには 若いころに 不倫した女性の間に 一人
血縁がいて 
今 ロベールの奥さんは二分間と記憶が持たないので 病院で管理されて
その 血のつながらない息子が 相続人として
全て 家も ロベールの奥さんも 管理する立場となったそうです。
息子は 絵描きで 私も 三十年前 一度会ったことがあります。
ロベールとは 一度も暮らしたことはないけれど
結果
こんな風になるのですね。
その管理する息子は バカンスで居ないから 私は 庭にまいた
ロベールの灰も 懐かしい 下宿の家にも行けない。
キャリヌは 奥さんは 記憶もないし廃人同然だから 玲子は来る
必要がないと いうけれど・・・・
「私は 一人でも 行くわ・・・ロベールの奥さんは 彼の半分。
彼への オマージュよ・・・どんなだって 夫婦は 運命の絆が
あり ロベールと奥さんは 一つなのよ」
「だから 私は 記憶もない 私を分からない奥さんに会うことで
自分の 禊みそぎ になる気がする」
キャリヌは
「玲子 貴女は 日本人ね。優しすぎる・・・・忠実すぎる 」
「本当は 貴女をロベールが 褒めすぎるから やきもち焼いていたの。
でも どうしてロベールが 玲子のことばかり 褒めるのか
今 理解できたわ」

私は 日本人で 友愛に忠実過ぎると 言われて 誇りを感じました。
ドライでない 私の 信 義 忠 に価値を見出してくれて
嬉しかった・・・・
そこに 行くことは 時間と金銭の無駄 将来に繋がらないから・・という
感性は 私には ありません。無駄に美があることが 多いものです。
「キャリヌ 私は 日本人。日本人は みんな 私と同じよ。」
と 自慢してしまいました。

一月三日に ベルギーの病院に行き ロベールの奥さんに会います。
ノートルダム寺院で ロベールの冥福も祈りました。

おりしも
我が家の 一階下では 声楽家が 多分学生でしょうけれど
朝から 夜まで 六時間 練習していました。
平日は 朝 と 夜八時過ぎ の練習ですが 今日は 念入りに
発声練習から ピアノ練習から ビル中に響きます。

私も 小刻みに分けて ベルギーの時代は 朝から夜まで
練習ばかりしていました。
懐かしい。
技術は そうして 身についていきました。長い長い時間と 苦しい修行が
今の 能天気な私を作ってくれたとしか 思えません。
ベルギー時代に感謝してます、