シャンソン歌手

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シャンソン歌手リリ・レイ Lili Ley 女心とシャンソン

2013年04月25日 02時21分36秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイ Lili Ley 女心とシャンソン

シャンソンの歌詞は 読めば読むほどに
あー この気持ち 分かるなーとか
これって 女心よねー とか
いちいち 納得して 楽しめます。

女に生まれてよかったし 又 女に生まれてきたい。
会社勤めでもしていれば 男尊女卑とか セクハラとか パワハラとか
経験したのかもしれませんが
芸術の世界では 男女平等ですから
実力一本勝負。
ただ ひたすら 効率よく学び 感性を研ぎ澄ませ
技磨きを続ければ より欠点の少ない作品に仕上げられる
訳ですから 
費やした時間と 年数と 習い学んだ量だけが モノをいいます。

平素 日常生活で
女っぽさを 売り物にしなくても 舞台では当然
女を演じ歌うわけですから 
意外に 音楽家の女性の普段は 決断判断は 男勝りのさっぱり 明るい
愉快な人たちが 多いものです。
芸大時代 二期会オペラ時代の友は 皆 とても さっぱり爽やか
気遣い気配りの 笑わせ上手エンターテイナー気質の
両生類的タイプです。

次に生まれてくるときも 私は女で 歌手になりたいです。
演じて 女心の心理のリアリティーを 探り続けたい。
日常の私とは別の女として 舞台で 女を生きたい。
とはいつても 私の中には 色々な 女が居ます。


気が狂う女・・・これは オペラでもある 役どころです。
信じて愛して尽くして裏切られて 失意で狂う女 です。
だから 狂った時 また彼が自分と幸せな時を過ごしている世界に
入り込んだり 現実に戻って狂ってヒステリーになったり・・・女ごごろ・・・
純粋な 女 愛に生きる女。計算しない女。計算して生きられない女。

娼婦役・・・これは 二十代後半の時 二期会オペラの研究生
の時 マッダレーナという 役を 課題に勉強したのですが
演出家に「おい 長坂 娼婦の処女性を 表現しろよー」と
怒鳴られて・・・・・うーん 悩みました。
まだ 御嬢さんぽさも 残る私は 大股開きして スカート
めくって 背筋は伸ばしてみたり・・・演技に四苦八苦しました。

役柄に適した 声と いう意味では 太くて強い私の声は
娼婦に適しているけれど 
娼婦の処女性・・・これは 文学で学修しないと・・・

マルグレット デュラスのAMANT
という 小説を読んだとき
少女の娼婦性と そこに宿る 処女性・・・を垣間見た気がしました。
女の性は 娼婦性だと 思いますが
計算しない純粋さを 宿したまま 大人になれる女性は
たとえ 娼婦でなくても 少ないようにも思います。

だいたい 生活の為に 生きてゆく為に身を売るわけですし・・・
ヴェルディーのオペラの椿姫は 高級娼婦だけれど純粋。
男性への純粋性は これは悲しい性としか言いようがないです。
 
しかし 女って 凄い。ピアフの シャンソンを学びながら
心理分析して 楽しんでいます。

8月9日は 内幸町ホール主催のコンサート三夜の第一日目を
ホールから頼まれたので
ピアフだけの シャンソンのリサイタルをしようと思いました。
没後50年ですし あと数年で 生誕100年だし
敬意を表して 学ぼう。

20曲 原語字幕付き 一人で歌うつもりです。
日本シャンソン館では16曲歌っているし
パリでは
一人で一時間半 歌い続けるコンサートは 当たり前だから
やりましょーっと。
真摯に学びます。 今までのレパートリーも 新曲も 楽しみます。
学ぶことは 最大の 遊び。
この年になって再び二十代後半から 三十代半ばまでの時代
のように 孤独の時と
音楽とポエムを学べる時間を
音楽の神様は 再び下さったわけです。運命に感謝です。

今は あのころと違い 人生の先が 少なくなってきたので
我武者羅さは掻き消えて 学ぶことの深さと楽しさのみが
私を支配するようになり なんと 平和なことでしょうか・・・
年を取るという事は 素晴らしいことですね。