シャンソン歌手

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シャンソン歌手リリ・レイ LILI LEY お墓参り

2012年03月19日 22時27分40秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイ LILI LEY お墓参り

月曜日 火曜日祝日と 生徒さんが少ないので
えーい 山梨へ お墓参りに行くぞー っと
夕方 マイカーを 中央フリーウェー走らせ GOGO

明日は きっと 休日で混むでしょうし
時は金なり・・・・夕方のお墓参りだって
気持ちがあれば それが 祖先への愛情だと思う。
よく 母父は言っていた。仕事優先。
立派だと思うのですが 両親は 仕事といえば 何も束縛しなくて
若かりし頃は 「仕事が大変なのよー 会いに行けないワー」とか
言って ボーイフレンドと 遊んでいた事もある。ゴメンナサイ。

両親が他界して 優先順位は 仕事というタテマエは 変わらないけれど
もう 嘘をつく相手さえ いないのだものねぇ。
自己責任で 生きる自由と孤独は 今では 快感になっています。
本当に 一人暮らしの快感を知ったら 多少の自己決断 自己判断
自己責任の試練は 慣れていくものです。
相手に依存したり 相手に 責任転嫁することも 出来ないから
よく 自宅で独り言「私って 馬鹿よねー 脇が甘いワー おっちょこちょいよねー」
みたいに 自分が 明らかに悪くて 間違えたり忘れたり・・・
自分自身に迷惑かけてばかり・・・
の連続生活です。

お坊さんには 数日前に 父の命日のお塔婆を 書いて お経を上げて
頂いてありましたけれど
「まぁー お忙しいのに 東京からお彼岸に見えてくださるなんて
夕方だってご先祖さんは 喜んでいますよ。」

「そうなんですよ。最近 自分の感にますます磨きがかかってきて
何にも判断決断したり 悩まないのに 試練をすんなり
乗り越えられたり 皆さんに助けられたり こんな行動しよーって
自然に感じて動くと 良い方向に人生が進むようになって来ました。
何だか 守られているって 感じなんですよねー」
お坊さん
「仏は 宇宙的ですからねぇ」

「そういう 不思議な現象って 感じるし 私は 仏教徒でも
無いのに 魂を身近に感じるんですよね。特に 成城に住んでいた父母
祖母を 感じてしまうから 時々 空間に向って 有難うって
独り言いうんですよ」
おぼうさん・・・・きょとん・・・

いいじゃない。能天気りりさんは とつても幸せな気分で
だーれも居ない日暮れの 墓地で 「夜明けの歌」三番まで
アカペラで歌って ご先祖さんに コンサート。
お線香は ぼーぼー 燃えて 火を上げて 大喜びで
あっという間に 全部灰になっちゃったわ。
山梨の素封家で政治家家系の長坂さんの長い歴史の最後の本家の墓守一人
は 歌手になって 歌っている。この私で もう
長坂さんちは 永遠に途絶える。
さぁー
私は 長い歴史の最後の人として 魂で生きよーっと。
魂の宇宙に 歌いながら翔んでゆこーっと。

すーいすーいの 中央高速道路を るんるん一人ドライブ。
シャンソン歌手 コラヴォケール
Eピアフ ジャックリヌ ダノを聞きながら 帰宅しました。
往復ドライブ所要時間は 三時間半のみ。 ラッキー。




シャンソン歌手リリ・レイ LILI LEY 第50回パリ祭NHKホール

2012年03月19日 02時58分37秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイ LILI LEY 第50回パリ祭NHKホール

今週3月22日 木曜日 日本シャンソン協会主催 シャンソンフェスティバル
東京フォーラム Cホール 1500人のホールに 出させていただけ
しかも 初めて経験させていただける ホールですから
もう 嬉しくって 嬉しくって・・・
今夜は 昨年5月にパリで買った 衣装の裾あげと ウエストが又細くなったので
自分でつめました。
ろくでなしを メドレーで 歌う時 元気良く 階段から降りてくるように
という 演出なので 転ばないように
ズボンで 歌って良いかしら?と 絵を描いて 演出家にお見せして
許可がおりたので その 直しもして 自宅で お裁縫し続けました。

大ホールは 大好き。
私は 歌う前は 意外に神経が細いですが いざ 舞台に立つと
すーいすーい 魚のように 舞台を泳げます。
脳内ホルモンが大量にでるので 舞台は大きいほど恍惚。カタルシス。
社会での人生は 真面目に誠心誠意生きようとすると
すべて 原始人的気質の私には がんじがらめ
音楽練習中も 音楽の規則と 音楽性設計図で がんじがらめ
様々な恐怖とスリル
何もかもが 行動する前は 怖いと思う。
今日と 明日を 結構 モラルを踏まえて 必死に生きている。
でも
舞台は 私の世界。一人 自己責任で 何千人の方々に音楽愛と
私の肉体の声と魂を捧げつくせる。自由。
究極の表現の自由がある。
肉体が覚えてくれた シャンソンのセリフと 芝居を
無になって 語れる。
怖い舞台なのに 楽しい。嬉しい。無になれる時 快楽。
現実でなく 無のエクスタシーに とんでいける。

まだ
NHKホールの パリ祭の 私が歌う曲は 決まっていないですけれど
今年は パリ祭50回目 半世紀続いた お祭だそうです。
私が 七歳の時から 始まったのねぇ。

その頃 私は 小学校 二年生かー
シャンソンという ジャンルは知らなかったわねぇ。
私は 消極的で 内向的で 目立つのが大嫌いで
授業中 指されるのが怖くて いつも 下向いていたし
そんな時
決まって 先生に指されて 間違った答えを言ってしまったりして
恥ずかしくて ますます 手なんか上げられなくて
半世紀後
大舞台に立って 一人で 歌ってるー
変なの。人生って 何なのかしら。
今も
目立ちたがり屋 とか 大風呂敷的な感性は 嫌だー 美的でない。
もしかしたら
子供の時から ませていて 魂美を 感じたがっていたのかも。
でも 音楽は好きで 音楽 体育 図工 家庭科 書道は いつも成績は5だった。
他の科目は 先生が感性的に好きだと良かったわ。
退屈だと 子供のくせに 居眠りばかりしていた。
目立たないようにしているのに
音楽の先生に 合唱のソロを よく任されたわ。
妹は いつも オール5で 体育だけ 3か2。
妹を尊敬していたし 頼っていた気がする。しっかりものだったし
人望もあり 私などと 比べ物にならないくらい どーんと生きていた。

私は 子供の頃から感性で生きていて 美意識が高くて
周りの子供達のわがままや 自我に耐えられなかったし
静かでおっとりして 殻の中にいれば 安全みたいな感じだつた。
中学になってから 自分に決め事をして
エンターテイナー的 人を笑わせる人間でありたいと 行動開始。
生徒会もやり始め だんだんと リーダー的な責任の
学生生活が始まり 受験でもまれ 大学 大学院 留学・・・
社会に出て 法律や経済責任 人間として生きるモラルを知り
音楽と言う 永遠の修行と練習 舞台でもまれ
いつの間にか 明るく積極的に変身。
コミュニケーションもできる 社会的人間になれたのよねー
おまけに 年々 元気度が増し続け 健康優良児的な 中高年に
なってしまいました。

半世紀つづく シャンソンの大イベントに 出る人になるなんて
小学生の担任が聞いたら 仰天する位 運命は不思議。
お嫁さんになって 子供の良い母 夫を支える 良い妻になり
過ごすはずが・・・・音楽の神は 私を シャンソンの世界へ導いた
としか 思えません。へぇー。本当に へぇーです。







シャンソン歌手リリ・レイ LILI LEY 日曜日DIMANCHE

2012年03月19日 01時18分29秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイ LILI LEY 日曜日DIMANCHE

雨が続きましたけれど 着実に気温は上がっています。
今朝は 早く起きて 都心で 待ち合わせでした。
11:30 赤坂ニューオータニーホテル のレストランに
勝本章子先生の お仲間八人の中に入れていただいて
会食して 千駄ヶ谷の 津田ホールで ハイドンと モーツァルトの
オーケストラを聞く会に ご招待していただきました。

先生のお仲間 八人の中 元 私の銀座の お店で 和食を召し上がり
私のシャンソンを聞いてくださっていた 方が四人いらっしゃいました。
皆さん 社会的 経済的 文化的に えーっと目を丸くしてしまう
お歴々で 国際的な 方々ですが
勝本先生は 元 国際的なソプラノ歌手で一生を音楽に捧げている
自立したシングル女性なのに とても キチントした 心の優しい
普通の人ですから
先生のお仲間も 礼儀正しく 心温かく素晴らしい・・・・

レイちゃんの 作詞作曲の弾き語りは 雨の三部作が 最高だねぇ
っと 一年ぶりに お会いした 某大会社の 副社長に 懐かしがって
頂き その奥様にも 「今度 一人で青山オデオンに 弾き語りを
聞きにいくわね」っと。
私は お店を〆てから まだ 銀座のお店のお客様達に 何の連絡も
営業も していなくて 日々に追われているだけでしたから
はっと しました。
もしかしたら
リリ・レイを 聞きたい方々や 懐かしんでくれる方が
まだまだ いらっしゃるかもしれないワー

今日と 明日に精一杯生きていると 私は昨日の事 過去のことに
目がいかなくなるタイプですが
長い歴史で 築いた音楽を媒介にした絆は そんなに簡単には
切れないもので
シャンソンを歌い続け 聞いていただいて そのご縁というもので
長く お会いしていなくても ソウルメイトに
なってしまっているのですねぇ。嬉しいわー。

とにかく 活動的で 行動派 コミュニケーション型の私は
お店を〆て 成城の街の音楽家になってから
新たな出逢いが増えつづけ
自分が お店屋さんの時より
お商売抜きの 一対一の 魂のお付き合いが出来るのが
なにより 幸せです。

「お店は大変だよ。飲食業は特に 難しいよ。だから 早く
お店なんか 止めなさい 音楽家に戻りなさいって 言ったよね」とか
「私 お店に 連れて行ってもらってないわー 行きたかったわ」とか
色々な 会話が 飛び交う中
「レイちゃんは この私が聞きに行く 素晴らしい歌手なのよ」と
「パリ祭 も NHKホール 聞きにいきますから ね」
勝本先生は 高校一年の私の 初めての発声や 本格的声楽の
親だけあって 私を子供を褒めるように 皆さんに売り込んで
下さいます。ありがたい。

先生の偉大さは 皆さんご存知。
元 ウィーンの歌劇場で三年も契約して歌い
帰国後 二十代後半で 直ぐに国立音大の先生に抜擢され
NHKホールや 東京文化会館で オペラのプリマドンナで
小沢征二指揮の 第9の 専属ソプラノだったくらい
凄い クラシックの声楽家なのに
私のシャンソンを いつも 聞きに来てくださる。
先生のお仲間に 沢山宣伝して 営業してくださる。
先生って言われる 人は こういう 姿勢なんだー
勝本先生は 優れた芸術家で文化人で しかも
男性営業マンみたいに 皆さんに気遣いし 面倒見が良い。
背中を見せてもらっています。

先生は昔から 両切りのピースを吸い
私も 吸うので 八人中で 我々歌手二人が 度々煙草を吸いに
席を離れるたびに
私が
「歌手なのに 煙草吸うんですょ 私たち」というと
先生は
「歌手だから 吸うのよー」と・・・皆さんに 説得????
私より14歳年上なのに
「秋に新車来るのよー」「本当はポルシェに載りたいくらいだけど
日本人だから トヨタよ」ですって・・・
活動的で 行動派。真似していないけれど リリさんは
ちょつと 先生に似ています。

私は 長い音楽人生の間中 良い師達に恵まれてラッキーな人です。
芸大の恩師も 既に他界 私のヤマハホールのシャンソンリサイタルに
いらしてくれていた。
芦野先生は他界。もう ご一緒の大舞台で 駄目だしを してもらえない。
勝本先生は いつも 褒めるだけで 叱ってくれない。でも 側に居てくださる。

私にとって 両親 祖母 師の教えや存在は とてもとても 価値があります。
父母への有難さは 亡くなってから 殊更に感じますが
音楽の師は いつもいつも 音楽媒介の 芸術の魂のランクが高いので
存在に惹きつけられ 心の星です。感謝です。