私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

歴史教室3月 赤松家を再興・赤松政則

2024-03-19 14:20:51 | 歴史探索

  3月19日(火)   天気:晴れ    室温:17.5℃

 きょうは、公民館の歴史教室に 出席しました。 今月は、元城郭研究室長の中川秀昭さんの ”赤松家を再興・

赤松政則” です。 今月も 出席者が多い・・。 公民館の館長さんは 幼稚園の卒園式に出席?で、不在。 いた

だいた今月の資料も 膨大なので  大部分を割愛します。 

  。。。。。。。 赤松家の再興・赤松政則 。。。。。。。

Ⅰ 赤松氏再興の夢

1.赤松政則 ー赤松総領家滅亡から、再興を果たすー

  ・生年及び没年:享徳4年(1455)2.19~明応5年(1496)4.25 42歳没

  ・父:赤松時勝、母:不明(早世か) ・正室:不詳、継室:洞松院(細川勝元女)

 ●長禄の変と赤松氏の再興(法師丸4歳・長禄2年(1458))ー後南朝から 神璽を奪還、総領家再興なり、

 ●次郎法師丸元服ー足利義政から 偏諱を受け 政則と称す。(寛正6年(1645).12 12歳)

 ●応仁の乱と 播磨・備前・美作 三ヵ国 奪回ー政則は 東軍(細川勝元方)として 西軍(山名宗全方)と 戦う

 ●侍所所司に就任(応仁元年(1467)) 14歳ー将軍足利義雅から信任と寵愛を受ける

 ●姫路城大拡張と置塩城築城・・異説あり、姫路城を小寺豊職に守らせ、置塩城に移る

 ●山名氏との抗争 ~山名氏及びその配下が 前領国(播磨・備前・美作)に侵攻~

        ー政則、真弓峠で 但馬国守護山名政豊と闘い、大敗し、出奔(文明15年(1483).12) 

 ●七条家 赤松義村を養子に迎え、政則女・松と婚姻(延徳元年(1489))、政則、従三位に叙せられる

     洞松院(細川勝元女・龍安寺女僧から還俗)と婚姻 (明応2年(1493)

 ●一流の文化人:芸能諸事・作刀に造詣、猿楽の名手、和歌・連歌に秀でる、篤く仏教を信仰、刀工として一流

 

2.嘉吉の乱 (嘉吉元年(1441).6.24) 以降

 ◇足利将軍家の動き

  ・足利義教・嫡男 千也茶丸(のちの義勝・8歳)を跡継ぎに決定、義勝、元服し 将軍宣下をうける

    義勝、疫病により 急死(10歳)、義教5男・三春(のちの義政 8歳)を跡継ぎに定めた

 ◇山名持豊による播磨支配 ・播磨守護代:恒屋・太田垣・犬橋の各氏 (恒屋氏は、山名四天王の一人)

 ◇禁闕の変 嘉吉3年(1443).9.23 夜

  ・日野有光らが後花園天皇の内裏に押し入り、三種の神器の神剣・神璽を奪い、延暦寺の根本中堂に籠る

    三種の神器:八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)

  ・神剣は 清水寺で発見されるも、神璽は 吉野に持ち去られる

  ・吉野奥地(北山・川上郷)に 神璽を持ち去った南朝残党

  ・前内大臣三条実量に 赤松氏再興の条件打診ー神璽奪回と引き換えに 赤松総領家の再興を叶える総領家に恩賞

    

Ⅱ 神璽奪回と赤松家再興

 ◇長禄の変(長禄元年(1457)~長禄2年(1458)

  ・康正2年(1456):上月満吉は 吉野に入り、神璽のありかなどの情報収集 ・・・・・

  ・長禄2年(1458)8.30 神璽が 小川弘光や 大和衆徒らに警護され、無事 入洛し 朝廷へ返還された

 ◇幕府は、次郎法師丸に 赤松総領家の家督を安堵し、加賀半国の守護職など 所領をあたえた

 ◇赤松家再興:長禄2年11までに、 11.19 次郎法師丸(のちの政則 4歳) 禅僧に付き添われ将軍・義雅に謁見

Ⅲ 応仁の乱と三ヵ国の回復

 ◆足利義視(よしみ)と義尚(よしひさ)

  ・寛正5年(1464)12 足利義政の弟・浄土寺義尋が 還俗、元服し、足・利義視を名乗る

  ・寛正6年11.23 義視の元服直後に、義政の実子・義尚が 誕生(母は 日野富子)

 ◆幕内の三つの勢力:義政の側近集団、山名宗全をリーダーとする集団、」細川勝元をリーダーとする集団

 ◆文政の政変・文政元年(1466)9.6

 ◆畠山氏の家督紛争(畠山義就・政長の争い)

 ◆応仁の乱の始まり(応仁元年(1467)5.26):細川勝元(東軍)・山名宗全(西軍)両者完全に決裂、激戦を展開.

 ◆赤松氏、応仁の乱での活躍と旧領(播磨・備前・美作)奪回:応仁2年(1468)赤松政則、侍所所司に任じられる

 ◆応仁の乱の経過

 ◆応仁の乱の終結へ・・京では 戦いに倦んだ山名宗全・細川勝元の間で 和議の動き(文明4年(1472)

  ・文明5年(1473):山名宗全没 70歳、文明5年 足利義尚(9歳)将軍宣下、第9代将軍に(後見:日野富子)

Ⅳ 山名氏との死闘 ~赤松政則の没落と回復~

 ◇山名氏、所領回復の機会伺う ・赤松政則、山名一族の領国・因幡、伯耆で 反山名勢力支援、分断工作

 ◇備前・松田元成が 赤松氏に叛旗←備前守護・山名俊豊(政豊の子)が支援

 ◆赤松政則、播磨・但馬国境の真弓峠で 大敗 文明15年(1483)12.25・・政則、没落し行へ知れずに

  ・浦上則宗ら 政則の家督を剥奪・追放し 後継(有馬慶寿丸)を擁立

 ◆赤松政則、復活する機会をつかむ~別所則治、亀泉集証、足利義政の支援

 ◆赤松政則、赤松総領家 家督及び守護職の回復:山名氏と三ヵ国奪還へ向けた戦い

  ・山名政豊、坂本城を出て、但馬へ走る 長享2年(1488)7ー山名氏、備前・美作からも撤退

 ◆赤松政則、山名氏から 播磨・備前・美作の三ヵ国奪還 長享2年(1488)7

 ◇播磨の支配体制

  ・9代将軍・足利義尚没 25歳 長享3年(1489)3.26

  ・足利義稙(義材)、第10代将軍に就任 延徳2年(1490)7.5

 

Ⅴ 赤松政則の婚儀と死去

 ◆置塩(おじお)城の築城 ・文明元年(1469)築城説、しかし、長享2年頃から築城か

 ◇政則の最初の正室との子・松(まつ)と赤松義村(養嗣子)との婚姻 延徳元年(1489)

  ※赤松義村:赤松七条家・赤松政資の子、松は18歳、義村も同じ年頃か

  ・前8代将軍・足利義政 没 55歳 延徳2年(1489)1.7

 ◇赤松政則(39歳) 洞松院(細川勝元女)と婚姻 明応2年(1493)4.20

    ※<落首> 天人と 思えし人は 鬼瓦(不美人) 堺の浦に 天下るかな

 ◆明応の政変 明応2年(1492)2~閏4

 ◆政則」、従三位の叙せられる 明応5年(1496)3.29 42歳

 ◆赤松政則 没 42歳 明応5年(1496)4.25 於:播磨・久斗寺、墓所:加西市福居町 長円寺の裏山

 

 

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ギャラリー集で 備前焼 和仁 栄幸展

2024-03-18 17:11:59 | ギャラリー散策

  3月18日(月)    天気:晴れ    室温:18.4℃

 きょうは、高砂市米田町のギャラリー集へ ”備前 閑雲野鶴の如く ー和仁 栄幸ー ” を見に行きました。

きょうは 在廊日ではない ハズなのに なぜか 和仁(わに)さんが おられ、お話しすることができました。 マス

クをしておられましたが、マスクを外すと ヤギのようなアゴヒゲが 現れます。 これは ヤギの乳で育ったから?

 案内状によると

 23歳で 備前焼最初の人間国宝・金重陶陽、最後の弟子となる。 現代備前焼の再興の祖と称される師匠、

最晩年での出会いと 御縁は その後の焼物人生に 大きな影響を与えた。 ”土に素直に”、”火に素直に” を守り、

その姿勢が、和仁 栄幸の備前を象る。 陶陽没後、長男道明に師事、弟の素山に 薫陶を受け、郷里の鏡野町に

窯を築く。 手捏ねの魅力、素直で 細やかな土の表情は 備前ならでは。 ・・・・

 

<和仁さんの略歴>

 1944年 広島県福山市?に生まれる、1967年 金重陶陽に入門、陶陽没後、金重道明に師事、

       金重素山に 薫陶を受ける、1975年 独立、1977年 「金重一門展」に出品、

 1999年 田部美術館「茶の湯の造形展」大賞受賞、  備前焼 陶心会 特別会員

 三原、岡山、東京、札幌など 各地で 個展多数

     

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イーグレひめじで 版の会 版画展

2024-03-15 14:15:26 | ギャラリー散策

  3月15日(金)    天気:晴れ    室温:18.5℃

 きょうは、姫路へ行き 三木美術館で、”佐藤 久一 個展” を 見た後、イーグレひめじへ行って、”版画展” を見ま

した。 市民ギャラリーでは、写真展も行われていますが 写真禁止でした。 駅を出たところの歩道に 大型クレー

ン車が 稼働して、何か作っていますが、何を作っているのでしょう。 21日のページの一番下に 写真があります。

 イーグレひめじの市民ギャラリー第2・第4展示室では、”版の会 版画展” が 行われています。 檸檬の会 12名

と 木曜の会13名の合同作品展です。 講師の岩田健三郎さんの特別出品もあります。

 本日は 「版の会 版画展」に ご来場いただきありがとうございます。 厚くお礼を 申し上げます。

 各々が テーマを決めて つくりためてきた作品を展示して、このような版画展が 開催できますことを

会員一同 心から喜んでおります。

 これを機に ますます版画制作への意欲を高め、広く造詣を深めていきたいと 考えています。

 ごゆっくりと ご高覧いただき、ご感想や ご批評を いただけましたら 幸いに存じます。   版の会 会員一同

             

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 帰りに、山陽百貨店へ寄って、美術画廊で行われている ”唐津焼 小島直喜 陶展” を見ました。

 

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三木美術館で 佐藤久一 個展

2024-03-15 14:00:04 | ギャラリー散策

  3月15日(金)    天気:晴れ    室温:17.8℃

 きょうは、姫路市本町の三木美術館へ ”佐藤 久一 個展 ー平面は容積を持つー” を見に行きました。 24日

まで、gallery アートスペース miki で 彫刻家:佐藤 久一さんの個展が行われています。  佐藤さ

んは、1983年以降 東京など各地で、個展、グループ展を 多数行われています。

 佐藤さんの個展を見た後、イーグレひめじへ行きます。

 

 平面は 容積を持つ

 机の上に置かれた一枚の紙 通常紙は面として考えられている。 面とは 純粋に、いや誰でも 知るように 幾何学

上では 厚さも 容積も持たない想念の上の実在であるとされる。 点、線についても 同じことがいえる。

 しかし、私達の現実には、そのようなものは 実態としては 存在しない。 と同時に、面も線も、点も、思惟の起

点としては 絶対に排除することは出来ない。 実態ならぬ 実在として、それらを仮定しなければ 私達の世界も、宇

宙すら成り立たないのは、いうまでもないことである。  と言っても一枚の紙を 目前に置いて、・・・・・・

 

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ランズエンドで 玉本奈々展 ーLUNAー

2024-03-14 16:26:37 | ギャラリー散策

  3月14日(木)    天気:晴れ    室温:18.1℃

 きょうは、姫路市南八代町のギャラリー ランズエンドへ ”玉本奈々展 ーLUNAー” を見に行きました。

駅前から ループバスで 清水橋まで 行き、100mほど 北にある不動院・東山焼窯跡を見てから ギャラリーへ。

 

案内状には、

 玉本奈々は 繊維造形物によるレリーフ状絵画と 立体、インスタレーションで 知られる気鋭の現代美術作家。

布を縫い合わせ収縮、亀裂を起こし多独自の技法、また 古木の樹皮か珊瑚のような質感のオブジェと化した布の塊、

樹皮による凸状波紋など、豊饒な物質的マチエールが 特徴。 日本では、東久邇宮記念賞、東久邇宮文化褒賞、東

久邇宮平和賞などを受賞。 また フランスでは、フランス共和国新人賞・フランス共和国栄誉賞など 受賞のほか、

3度にわたり、芸術の功績に対する賞を賜る。 国内外の美術館などの個展や 著書など 幅広く活躍し続けている。

 

玉木奈々さんのHP 「Note Gallery」によると、妖艶な色彩、それとあいまって 造形した布を コラー

ジュすることで 表現される作品は 人間の深層心理を見つめ、女性の持つ生命力の原始を感じさせる独自の世界観を制作。

   

・玉木奈々さんの略歴:1998年 成安造形大学卒業、1998年 テキスタイルデザイナーとして就業(2000年まで)、

           2010年 京都造形芸術大学  大学院芸術研究科 修了

・賞歴:2000年 現代美術展PARIS展 奨励賞(フランス)、日仏現代美術大賞 優秀賞(東京)、日本の心と現代アート

    選抜作家展 奨励賞(フランス)、 2003年 Grand Conocours International,Espace Paul Cezanne(フランス)、

    フランス共和国名誉賞(2003)/新人賞、(2004)/栄誉賞(2007、2008)  、2019年 国際芸術コンペティ

    ション「アートオリンピア」準佳作/東久邇宮記念賞/東久邇宮文化褒賞、東久邇宮平和賞

 

・主な個展:2002年 富山県民会館美術館(富山)、O美術館(東京)、2003年 Galerie GAM'ART(フランス)、

      2002年 O美術館(東京)、2003年 Galerie GAM'ART(フランス)、茨城県つくば美術館(茨城)、

      2006年 刈谷市美術館、名古屋市民ギャラリー矢田、2007年 世界遺産 五箇山、相倉合掌造り集落、

      2008年 ギャルリVEGA 財団法人いけだ市民文化振興財団(大阪)、2009年 Gallery NOW(富山)、

      2011年 ギャラリー島田(兵庫)、2012年 「真相ー深層」尼信博物館(兵庫)・・・など 多数。

  

1.インク壺と亀:インク壺を亀 と間違える曇ったあかとき サイコロが 三つ 招き猫の足下で爆ぜる 

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