1月25日(月) 天気:晴れ 室温:12.0℃ 寒い 地図:網干
きょうは 天気がいいので 太子町の立岡山104mと 太子山47.6mに 登ってきました。
近いので 自転車で 行きましたが 風は 冷たく 手は かじかみ 日陰には 雪が残っていまし
た。 寒いと思ったら 今朝 姫路は -5.6℃ だったようです。
立岡山は 単独峰で 山頂に 大きな配水池があるので この辺りでは 目立つ山です。
立岡山に登ると 北の太子山に登り 三角点:立岡山を 踏まないと・・・。
この前 姫路の観光案内所で ”太子町 ぶらりまち歩き” というパンフレットを 入手しましたが
その中に 立岡山は 太子町の中心部に位置する単山で 山頂からは 付近の平野の四方を
見渡すことができます。 『播磨国風土記』 に記される 「御立の阜」 に 比定され 品太天皇(
応神天皇) が この山に登り 四方の地を眺め 国見をしたことから 御立岡(みたちおか) とい
われます・・・・とあります。
また むかし 石蜘蛛城があったとされ 弘安二年(1279) 従五位下島津左衛門大夫忠行
が この地の地頭職に 補され 風光明媚・眺望絶景のこの山上に 「石蜘蛛城」 を 築きました。
以後 天文三年(1534) 島津左近将監忠長までの 十四代 ここに 居城したと 当時の文
献に 記載されています。 今は 石垣、土塁などの痕跡は なにも ありません。
太子西中学と 新幹線の間から登りますが 登山口には 阿宗神社鎮座地・立岡天満宮があり
立岡山には 阿宗神社の前身 北の宮 (一の宮) 岡ノ峯八幡が 祀られていましたが 文治五年
(1190) この社を 内山城主・塩津佐衛門尉義経が 自分の領地・弘山村に 遷し 現在の阿
宗神社の始まりになりました。 現在 阿宗神社は 国道179号線を北へ行き たつの市に
入って 永久橋を渡った 左にあります。
岡ノ峯八幡跡地には 現在 天満宮(祭神は 菅原道真)が 祀られています。 狛犬に特徴が
あり 吽形の狛犬には 頭部に 凸ツノがあり 阿形の狛犬には 股間に オスの表現があります。
山頂へは コンクリート舗装の道路を登ります。 やや急な登りを 100mほど行くと
立岡山北配水地があります。 以前 ここには 発電機があって 深夜電力で 上のタンク
へ 水を汲み上げ 昼間は 下の水車へ水を流し 発電するようになっていた・・・・。
山頂には 大きな配水地があり 北の見晴しは ありませんが 東から西にかけて 180度
の展望があります。 南は 逆光で 写真は 撮り難い・・・。
山頂の配水池の脇にある お地蔵さんの手水鉢の水も 寒いので 氷が張っています。 南の
工場の煙突からは 煙が横に流れ 風が強いようです。 写真だけ撮って すぐ下山。
中学の前を 北へ行くと 太子山に突き当たります。 右へ回って 太子山公園の脇にある
金刀比羅・蛭子神社から 太子山へ登ります。 山頂は 広い平坦地で 中央に 聖徳太子
の 「和を以って貴しと為す」 の碑があります。 夏に来ると この辺り一面に ネジバナが
咲いているかも・・・。
太子山は 見晴らしは 良くありませんが 西が 見晴らせます。 左に 立岡山、すぐ下に
太子町の新庁舎、右奥に たつのの新竜アルプスが見えます。
西の白い手摺の右に 角を削られた 三等三角点:立岡山があります。 初めて来たときは 三角点
を探すのに 苦労しました。 名古山の三角点と 同じように 植木に隠されています。
私の地理院の古い地図では 標高は 47.6mでしたが 新しい地図では 47.4mで 20cm低く
なったようです。 京見山も 低くなったようなので この辺りは 地盤沈下している?
帰りは 風は 追い風で 日光は アゲンストで 暖かく 楽に 走ることができました。
。。。。。 。。。 。。。。。。。 。。。 。。。。。。。 。。。 。。。。。。。 。。。 。。。。。。。 。。。 。。。。。
きょうは 天気がいいので 太子町の立岡山104mと 太子山47.6mに 登ってきました。
近いので 自転車で 行きましたが 風は 冷たく 手は かじかみ 日陰には 雪が残っていまし
た。 寒いと思ったら 今朝 姫路は -5.6℃ だったようです。
立岡山は 単独峰で 山頂に 大きな配水池があるので この辺りでは 目立つ山です。
立岡山に登ると 北の太子山に登り 三角点:立岡山を 踏まないと・・・。
この前 姫路の観光案内所で ”太子町 ぶらりまち歩き” というパンフレットを 入手しましたが
その中に 立岡山は 太子町の中心部に位置する単山で 山頂からは 付近の平野の四方を
見渡すことができます。 『播磨国風土記』 に記される 「御立の阜」 に 比定され 品太天皇(
応神天皇) が この山に登り 四方の地を眺め 国見をしたことから 御立岡(みたちおか) とい
われます・・・・とあります。
また むかし 石蜘蛛城があったとされ 弘安二年(1279) 従五位下島津左衛門大夫忠行
が この地の地頭職に 補され 風光明媚・眺望絶景のこの山上に 「石蜘蛛城」 を 築きました。
以後 天文三年(1534) 島津左近将監忠長までの 十四代 ここに 居城したと 当時の文
献に 記載されています。 今は 石垣、土塁などの痕跡は なにも ありません。
太子西中学と 新幹線の間から登りますが 登山口には 阿宗神社鎮座地・立岡天満宮があり
立岡山には 阿宗神社の前身 北の宮 (一の宮) 岡ノ峯八幡が 祀られていましたが 文治五年
(1190) この社を 内山城主・塩津佐衛門尉義経が 自分の領地・弘山村に 遷し 現在の阿
宗神社の始まりになりました。 現在 阿宗神社は 国道179号線を北へ行き たつの市に
入って 永久橋を渡った 左にあります。
岡ノ峯八幡跡地には 現在 天満宮(祭神は 菅原道真)が 祀られています。 狛犬に特徴が
あり 吽形の狛犬には 頭部に 凸ツノがあり 阿形の狛犬には 股間に オスの表現があります。
山頂へは コンクリート舗装の道路を登ります。 やや急な登りを 100mほど行くと
立岡山北配水地があります。 以前 ここには 発電機があって 深夜電力で 上のタンク
へ 水を汲み上げ 昼間は 下の水車へ水を流し 発電するようになっていた・・・・。
山頂には 大きな配水地があり 北の見晴しは ありませんが 東から西にかけて 180度
の展望があります。 南は 逆光で 写真は 撮り難い・・・。
山頂の配水池の脇にある お地蔵さんの手水鉢の水も 寒いので 氷が張っています。 南の
工場の煙突からは 煙が横に流れ 風が強いようです。 写真だけ撮って すぐ下山。
中学の前を 北へ行くと 太子山に突き当たります。 右へ回って 太子山公園の脇にある
金刀比羅・蛭子神社から 太子山へ登ります。 山頂は 広い平坦地で 中央に 聖徳太子
の 「和を以って貴しと為す」 の碑があります。 夏に来ると この辺り一面に ネジバナが
咲いているかも・・・。
太子山は 見晴らしは 良くありませんが 西が 見晴らせます。 左に 立岡山、すぐ下に
太子町の新庁舎、右奥に たつのの新竜アルプスが見えます。
西の白い手摺の右に 角を削られた 三等三角点:立岡山があります。 初めて来たときは 三角点
を探すのに 苦労しました。 名古山の三角点と 同じように 植木に隠されています。
私の地理院の古い地図では 標高は 47.6mでしたが 新しい地図では 47.4mで 20cm低く
なったようです。 京見山も 低くなったようなので この辺りは 地盤沈下している?
帰りは 風は 追い風で 日光は アゲンストで 暖かく 楽に 走ることができました。
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