私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

新宮総合センターから大寺山へ

2012-01-13 15:56:29 | 山歩き
 1月13日(金)  天気:晴れ  室温:12.7℃   地図:安志(南西部)

 きょうは 新宮へドライブし 総合センター内の埋蔵文化財センターで 行われている 特別展 ”西播磨
の戦国時代 ~赤松氏の興亡~” を 見てきました。 播磨の歴史で 赤松氏を避けて通ることはできません。
その赤松一族に関して 気になっていることがあり ちょうど いい機会です。 多分 このページの文
字数の都合上 「特別展」は 別ページになるでしょう。
 特別展だけ 見るのでは もったいないので 総合センターに 車を置き 南の史跡・宮内遺跡を見て 梅
岳寺へ行き 新宮藩主の五輪塔を見て 北へ歩き 八幡神社 天満神社に お参りし 天神の路から 天神
山に登り 北尾根の大寺山335mへ登り 史跡・吉島古墳に降りて 天神山へ戻り 山から降りて 総
合センターに戻り 特別展(200円)を見ました。
 が 大寺山への登りで 道が崩れ 落葉が積もり 道を失い ヤブ斜面を登る羽目に・・。 12月に
登られた MKさんは 迷わず 登られたのでしょうか? 私も 本にある ルートを 歩くつもりでしたが・・・。
 きょうは いい天気で いい登山日和の一日で いい史跡探訪ができました。

 天気予報は 当てにせず 起きて 空を見て いい天気だったので 決定。 少し遅くなりましたが 9:
20出発。 太子町を抜け 国道179号線に出て 龍野橋を渡り 北へ走ると 新宮です。 姫新線の踏
切を越えた先で左折すると しんぐう総合センターがあります。 広い駐車場に 9:56 車を停めます。
 ここまで 16.6km。 9:59 スタート。 総合センターの前から西へ出ると 右に大寺山の山
並が見えます。 正面 左手には 大鳥山が形良くそびえています。 大鳥山は 「播磨国風土記」で 鳳
が 棲んでいたことにより 名付けられた と伝えられています。 ただ 登山口を見付けるのが 難しい・・。
 図書館の前を南へ進むと 新宮・宮内遺跡があります。 国の史跡の表示板はありますが 車が停めて
あり 駐車場かと思いました。 新宮・宮内遺跡は 揖保川中流域西岸の沖積平野に 位置する弥生時代
中期を中心とする 縄文時代~平安時代の複合遺跡で 大規模な集落遺跡です。 近年の発掘調査で 多数
の竪穴住居跡、溝、方形周溝墓、円形周溝墓などが 見つかっているそうです。

 現在 史跡公園として 「円形周溝墓」、「弥生戦士の墓」、「土拡墓群」 などが 復元されています
が、だっだ広く 分かり難いのです。 梅岳寺へ向かいます。 大鳥居の所にある 「宮内周辺史跡案内」
を見て 左へ進むと 梅岳寺です。 鹿苑山・梅岳寺は 播磨国守護・赤松則佑が 14世紀中頃に
築城した 城山城の鬼門を護る寺として 建立した城禅寺が その始まり と伝えられるそうです。

 嘉吉の乱で 赤松氏が 衰徴したのに伴い 寺運も 衰徴しますが 慶長10年(1605) 住持 密室
祖顕が 現在地へ移転し 寺名も 梅岳寺に改め 臨済宗・妙心寺派の末寺となり その後 新宮藩主・
池田薫彰が 新宮藩の菩提寺に 定めました。
 境内には 池田薫彰の五輪塔(墓?)があります。 この五輪塔には 上から 空、風、火、水、地
と彫ってありますが これは 陰陽五行説に由来するのでしょうか? 四神相応説によるのでしょうか?
境内には 千本ヒノキ(町指定文化財)もありますが なぜ 千本?

 梅岳寺の前を 北へ進むと 八幡神社に突き当ります。 手前にある 天神山古墳(円墳)は パス。
説明書きはありませんが 随身門?があり 赤と青の装束の随身さんがおられます。 拝殿(絵馬
殿?)には 古い絵馬が たくさんあります。 拝殿の裏には 捨て猫(招き猫)が・・・。

 八幡神社の右が 宮内天満神社です。 天満神社は 1369年に 創建され 天神(菅原道真)が 祀ら
れています。 赤松氏が 建立した城禅寺の開山住持であった 霊岳宗古禅師の 夢枕に 天神が現れた
ことが きっかけとなり 天神を 城禅寺の鎮守として祀ったのが 当寺の始まりです。
 嘉吉の乱のときに 城禅寺一帯は 兵乱に巻き込まれ 衰微するが 天文13年(1544)に 龍野城主
の赤松氏が 中心となり 当社を再建する。 再建に当たり 円教寺や斑鳩寺で活躍した 藤原新右衛門
光重が 棟梁でした。 これが 現在の社殿で 様式は 「竪板葺一間社流造」といい 当時の代表的な建
築様式で 日本社寺建築史上 貴重なもので 本殿は 国の重要文化財ですが 素人には その重要さ
が 分かりません・・。 向拝の唐破風、縣魚?、木鼻などの彫り物が 立派なのは 分かります。

 横の広場・ゲートボール場には とんどが 出来上がっています。 見張り番が居ませんが 大丈夫で
しょうか? 14日の新聞にあった 安富町関のとんどと 似た形ですが 安富町のとんどは 中心のササ
が溢れそうですが ここのは ササが一本だけで 寂しい・・。
 広場の右奥が 天神山の登山口で 10:42 ここから ”天神の小路” の遊歩道を 歩きます。 急な
登りを 右に左に折り返しながら 落葉の積もる道を登ります。 後方に 新宮の街が望めますが・・・。
10:57 15分ほど 登り 展望舎のある天神山168mに 登りました。

 天神山は 神奈備型の美しい三角形の山容を誇る山で 「播磨国風土記」 には 飯盛山と記され
ており 讃岐国宗達郡(丸亀市)から 飯盛大刀自がやってきて この山にいた ことによるそうです。
 南の展望は 良好ですが この濃いモヤでは 折角の景色も さっぱりです。 北へ降ります。
急な下りですが 一部のシダ道を除けば 落葉のいい道です。 鞍部へ降りると 道標があり 左へ
行くと 文化会館の方へ行きます。 ここは 直進して 緩やかに シダ道を登ります。

 少し登ると分岐に出ます。 ここに 「吉島古墳→」 の道標があったと思いましたが 見当たりません。
前回は 6年ほど前ですが 本のルートで登ったことがあり 95%は 覚えているので 地図はありませ
ん。 この分岐には 左に 大寺山の札があり 迷わず 左へ進みます。 しばらくは 道でしたが・・・。
谷のような所へ出ると ガレた枯れ沢になり 道が無くなりました。 私の記憶で 欠落した5%の個所
です。 ここで 左の尾根を 回り込まなければ・・。 左下に 谷を見ながら ササの斜面を歩いた記憶は
あるのです。 MKさんは 遊歩道には ほど遠いが 標識とテープがあり 迷うことなく登っていける?
と書いておられます・。 ここで迷う私は 子羊?
 谷状の所を 少し進むと 後に引けなくなり 左の尾根に上がり 尾根のような所を 登りましたが ここ
は 急斜面の雑木ヤブで 土はボロボロ崩れ 掴んだ枝は ボロっと折れるし 登るに苦労しました。
上の尾根が近くなると 桧の林になり 切られた小枝が 束ねて置いてあり これが また 邪魔で・・・。
後で 地図を見ると 吉島古墳への分岐を左へ進み すぐ現れる谷を進み 左の南南西に降りる尾根
を 真っ直ぐ 北へ登ったようです。

 11:46 尾根に上がりました。 いい尾根道が 北へ延びていて 直ぐに居場所が 理解できました。
地図の南へ延びる310m等高線の先端です。 北の335m標高点の大寺山へ向かいます。 ここ
は 極楽尾根です。 大寺山から 左(西)に降りる所に 「←大寺山」の道標があります。
 急な下りを 降りると 「大寺山城跡」 標識がありますが・・。 南斜面に 段々状の削平地があったは
ずですが 見当たりません。 大寺山城は 南面する尾根上に 5段の連続する削平地を設けている中
世の山城遺構ですが 文献等には まったく 現れてこないそうです。

 さらに 西のピーク(等高線320m) に登ると 賑やかに ピンクのテープがあり 尾根は ここから
南に降りています。 OAPさんが 西の高倉山へ歩かれた尾根には 道がありそうです。
 大寺廃寺へ降りる道が 見当たりません。 この辺りも 荒れていて 枯れたシダのヤブです。 南へ
降りると 大寺山廃寺の標識があり 「吉島古墳→」の道標もあります。 大寺山廃寺は 城禅寺 開山
堂、鐘楼があったと伝えられる 中世山岳寺院で 尾根上、山腹、谷部に 4ヵ所の平坦地があり 基壇
跡や 礎石跡が残り 五輪塔や 中世の土器片などが 散乱している? 確か 下に平坦地が あったと
思いますが 降りる気は しません。 城跡と 廃寺跡は 見たことにして ここから 引き返しました。

 大寺山の山頂は 尾根を 右に曲がった辺りですが なだらかで 分かり難いです。 残念ながら
きょう 歩いたルートには 三角点がありません。 せめて 大寺山に 山名表示がほしい・・。
 極楽尾根を歩き 尾根の先端で 左に曲がると 落葉の積もった急傾斜で よく滑ります。 急斜
面を降りた 開けた所が 国指定史跡の吉島古墳です。 尾根の先端のような感じですが 前方後円墳です。

 吉島古墳は 古墳時代前期のもので 全長は 約30mで 竪穴石室からは 播磨地方では 最多となる
6面の銅鏡が 出土したそうです。 播磨では 最古級の古墳で 大和政権との密接な関係が うかがえる。
 ここは 高台で 絶好の展望台で 左下には 揖保川に架かる水門が見え 東の山並も 見えます。
多分 旧姫路市最高峰の葛城山も見えているはずです。 南には 新宮の街の奥に 寝釈迦の鶏籠山、
的場山、亀山が 並んでいます。 手前の山は 大鳥山、島のように浮かぶのは 新田山です。

 東にも道がありますが ここから南へ降ります。 急な下りを ジグザグに降ります。 以前より
道が良くなったような・・。 東寄りに降りて 分岐に降りました。 とうこさんが 間違えて 東へ
降りた訳が分かりました。 分岐の手前 10mほどの所に やや分かり難い 分岐があり これを
直進すると 東へ降りてしまう? 手前の分岐を 右へ曲がると 道標のある分岐に出ます。 この
辺りは 以前とは 様子が違うような・・・。 西へ戻ります。 歩きやすい いい道です。

 大寺山への分岐に戻り 南へ。 天神山へ登り返し 12:55? 天神山へ。 東屋に座り 昼食。
さらに 天神の小路を南へ 降ります。 天満神社へ降りて 階段を降り 住宅地を 適当に歩いて
13:27 はりま総合センターの車に 戻りました。 きょうは よく歩きました。
 車で 一息入れ 総合センターにある たつの市立埋蔵文化センターで 行われている 特別展
”西播磨の戦国時代” を見に行きます。  つづきは 次のページで 書きます。

 。。。。。。                          。。。。。。。
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円満寺から浅香山へ

2012-01-09 15:01:45 | 山歩き
 1月 9日(月) 成人の日  天気:曇り 一時 晴れ  室温:13.7℃  地図:中村町

 きょうは 多可町へ行き 中区にある法道仙人開基の円満寺にお参りし 北尾根から浅香山に
登りました。 アンテナ鉄塔のある山で 三等三角点:浅香山 315.5m があります。
 帰りに 鍛冶屋にある金刀比羅神社にも お参りしました。


 8:13 出発。 朝は いい天気でしたが・・。 姫路バイパスを東へ走り 8:36 花田ICから 播但道に
入り 8:46 福崎ICから中国道に回り 8:53 加西ICを降ります。 播但道 花田~福崎は 13.5k
m、400円。 中国道は 11.3km、200円。 県道24号線に降りると ほぼ 一本道。 明楽寺を通り
北へ走り 糀屋で 国道427号線に突き当り 国道を横切り 北の県道へ出て 東へ。 安田川の橋を
渡り 左折して さらに北へ。 地図では この道は 一直線に延びていますが 道幅が狭く 緩い登りで
直線は 実感できません。 左前方に 鉄塔の浅香山を 見ながら進むと 突き当りが 円満寺です。
9:26 円満寺の駐車場に 車を停めます。 加西ICから 11.3k、家から 69.3km。



 地図には 階段の上と 道路の左に 卍の印がありますが 道路の左が 円満寺で 上の卍印には 何
もありません。 下の広場で 焚火をしています。 黄色い袈裟の住職さんが おられ 護摩焚き? 不動
明王の炎の光背のように 煩悩を焼き尽くす という意味かと思いましたが これは 単純に 燃やしつくす
という意味だそうで 病気、厄などの難を燃やす・・・。 私も ボケのもとを 燃やしておきました。
 階段を上がり 円満寺にお参り。 右の客殿は 立派な造りです。 前のお庭は 枯山水庭園で 自然
石は ありませんが 砂利に 水の流れを示す筋が 引いてあります。 正面 奥が 本堂の医王殿。 ここ
の向拝の彫り物も 素晴らしい。 蟇股?は 龍で 口は 赤く塗られています。 木鼻は 象で 目は 白色。
 本尊は 薬師如来で 脇侍は 日光、月光菩薩で 十二神将もあるとか・。 見ることは できませんが
下の内陣の写真で 中央の厨子の両脇に見えるのは 日光、月光菩薩像でしょうか?



 吉祥山・円満寺は 真言宗のお寺で 大化五年(649) 法道仙人よって創られ 弘法大師の中興に
より 大変栄えていましたが 大永の頃(1520年代) 大火にあい 堂塔など 全部 消失してしまいまし
た。 その後 80年余りは 名ばかりの野山となってしまいましたが 河内国の明覚上人さまが 弘法大
師の霊夢により 廃寺再興の志を立て 高田村の宇右衛門という人と共に 西安田の大歳神社の霊木
で 「薬師如来像」 を刻み 安置して 慶長14年(1609) 姫路城主・池田輝政の力添えで 再建され
ました。
 その頃 姫路城主池田輝政は 重い病床にあって 明覚上人に その治癒を 再々 依頼されたので
明覚上人は 慶長17年 姫路城に赴かれ 「八天塔」 という法堂を建て 21日間 「護摩」の祈祷し
上人の加持力によって 妖魔を追い払いました。 そんなことがあって 池田候の帰依 益々厚く 多く
の寺領が 寄進され 円満寺は 20余の末寺を 持つほどの大寺院となった。



 医王堂の奥に 阿修羅堂があります。 中は 真っ暗で 何も見えませんが 曇ったガラス格子から 写
真を撮りました。 家で よく見ると 祭壇に安置されているのは 阿修羅像? 暗くて はっきりしません
が 腕の感じからすると 阿修羅のように見えます。



 9:54 円満寺を後にして 長ーい石段を上がります。 傾斜が緩いので ゆっくり上がれば 問題な
く上がれます。 日が陰り 林の中は やや薄暗い。 階段の上には フェンス・扉があり フェンスの前
には 東西に 道があるので これが 地図の破線の道でしょう。 まだ 石段があるので 扉を開け 上に
上がると 礎石があり 昔のお堂跡のようです。 真ん中に銅像があり 弘法大師? 脇には 瓦の破片
が散乱しています。 さらに 石段があり 脇に 宝篋印塔が 立っています。 裏には 延享元の刻銘が
あり 1744年?


 さらに 上に平坦地があり 石組があります。 これも お堂跡?(写真は割愛) 御神木のような大木
が ありますが 枯れてしまったようです。 左には 小さい祠もありました。 フェンス・扉に戻り 林道の
ような いい道を 西へ進みます。 直ぐ先で 道が二股に分かれていますが 峠で合流する?
 10:15 切り通しのような峠に出ました。 西には いい道が伸びています。 手前にも 新しい林道が
南へ延びています。 この峠から 南の急斜面に取り付きます。


 尾根の傾斜は 急ではありません。 小枝が張り出し 顔をつつかれます。 シダもありますが 膝より
低いので 歩くのに問題は ありません。 右の木の切れ間から 西の山が見えますが・・。 登るにつれ
右後後方に 妙見山が 見えたので なだらかな稜線の右ピークは 笠形山? どこだったか 西下に
北はりま支援学校が 見えましたが・・・。 朝は いい天気でしたが 雲が厚くなり 今にも 雨か雪が 降
りそうな モヤの濃い空模様になり 肉眼では 見えても 写真では さっぱりで 墨絵のよう・・。



 登った尾根は 微妙にうねっていますが 尾根を外さなければ 問題なく登れます。 赤い大柿布発見!
埃で汚れているので 洗濯したいが・・。 目の前に 山頂が見える所まで登ると 西が開け 笠形山~飯
森山の縦走路の稜線が 一望でき 笠形山、入相山、飯森山が 同定できます。 残念ながら 千ヶ峰は
妙見山に隠れ 見ることができません。


 地図では 山頂手前に谷はありませんが ここは 谷のようになっていて おまけに シダヤブで 道が
ありません。 道を間違えたかと思いましたが 尾根は 一本で 間違えるような所はありません。 ここ
は 地図に現れない 小ピークのようです。 シダを掻き分け 少し下ると 平坦になり 東の開けたと
ころから見えた フラットな稜線の左のピークは 西光寺山? 



 山頂手前は なだらかですが 枯れたススキ?のヤブです。 ススキを掻き分け 松の小枝を潜ると
アンテナ鉄塔のフェンスに 突き当ります。 フェンスの左を回り込むと 山頂に出ます。 11:06 浅
香山に登頂。 北の高い鉄塔が ソフトバンクモバイルの鉄塔で 隣が 民放のテレビアンテナで その
前の広場に 三等三角点:浅香山 が突き出ています。



 東に 特別支援学校の絵(看板?)があり 焚火の跡も新しいので 生徒が 御来光を見るため 元旦に
登って来たのでしょうか? 確か 元旦は 曇りで 初日の出は 見られなかったはず・・・。
 南には NHKの中継放送所の建物と 小さいアンテナがあり さらに 南には プラ階段の道があります。
鉄塔工事のための作業道が あると思ったのですが・・・。 機材は ヘリで 運んだのでしょうか?
 東と西を 望むことができます。 東は 西光寺山しか分かりませんが 西は 笠形山、入相山、烏帽子山、
飯森山、妙見山が 同定できます。 南寄りには なかやちよの森公園の黒木山も 見えているのでしょう。



 山頂に 15分ほど居て 11:20 下山。 登ってきた北尾根を降ります。 倒木もありますが また
楽しからずや・・。 降りるとき 西の笠形山方向には 雲が かかっていましたが OAPさんが 三室山
へ行かれ 雪だったそうなので 雪雲だったのでしょうか?
 特徴のない尾根ですが なんとか 迷わず 降りることが できました。 どんどん歩き 11:52 峠に
降り立ちました。 峠からの 登りは 50分、下りは 30分ほどでした。



 西の道を覗いてみましたが いい雰囲気の道です。 林道を戻り フェンス扉から 石段を降ります。
円満寺に降りると 左に五輪塔があり ここから 歩いた尾根を見ることができますが 鉄塔が見えない
のが 残念です。 12:05 車に戻りました。 もう 護摩焚きは 終わっています。
12:10 車を出し 坂を下ります。 まだ 早いので 西の鍛冶屋にある金刀比羅神社へ行きましょう。



 南の道路に降りて 西へ向かい 杉原川を越え 小学校で 右折して 北へ向かうと 右手の山裾に
金刀比羅神社があります。 12:33 前の広場に 車を停めました。 円満寺から 7.9km。



金刀比羅神社は
 御祭神は 大歳神、大己貴(おおなむち)命、保食(うけもちの)神、事代主命。
 往古の鍛冶の神 天目一命が 奉祀されていた と推測されますが 大歳神社の延宝検地帳にも
 広大な神域が記されており 慶長年代以前の創始 と考えられます。
 寛政6年(1795) 2月 当村の藤井孫右衛門が 諸病平癒のため 讃岐琴平宮より 勧請した
 ものです。 明治44年 在来の大歳神社に合祀、 大歳金毘羅神社と改称しました。
 社殿は 荘厳な神殿造りで 近隣稀な威容を保っています。
 金毘羅神社の祭礼は 姫路の総社祭、北条の住吉神社祭と併せ 「播州三大祭」 と称せられ
 かって 十万余の参拝者で 賑わいました。
 なお 入口の常夜燈は 天保二年(1831)の建立で 万燈籠には 比較的新しいものも あります。



 鳥居を潜り 両側に石燈籠の並ぶ参道を進むと 右に池があり 錦鯉が泳いでいますが 餌はやらな
いでください。 右には 手水舎があり 湧水でしょうか 水がこんこんと流れています。 正面の拝殿に
お参りし 右に廻ると 天照皇大神社あり 拝殿の後方にある 本殿を見ることができます。 複雑な屋根
組構造で 縁側の周りの彫り物も素晴らしい。 一見の価値があります。 本殿の左には 神社が ありま
す。 金刀比羅神社のお祭りを 一度 見てみたいものです。


 本殿の左には 天目一箇神社かあります。 境内を一回りして 鳥居に戻り 神社の説明板を見ると
入口の常夜燈が 天保二年のものらしい。 石材は 古そうですが 部材の合わせ目は セメントで 補修
されています。
 12:49 車に戻り 帰路につきます。 神社の前の橋を渡り 左折。 真っ直ぐ 南へ下ると 糀屋の交
差点に出て 国道を横切ると 県道24号線で 後は一本道。 13:14 加西ICから 中国道に入り
13:22 福崎ICで 播但道に 入ります。 豊富PAへ寄り お昼ご飯を食べ 13:54 花田ICを通過。


 姫路バイパスを走り 14:42 家に帰りました。 きょうは 姫路バイパスは 何事もありませんでした。
本日の走行距離は 往路 万福寺まで:69.3km、金刀比羅神社まで:7.9km、復路:68.9km
で 計:146.1kmでした。 燃料の減り方から 今回も 燃費が 悪そう・・・。
アクアにしようか 悩んでいます。 アクアの公称燃費は 35.4km/Lで 世界No.1。
 。。。。。。。。。。。。                                。。。。。。。。。
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とんど(左義長)

2012-01-08 10:39:17 | 日記
 1月 8日(日) 天気:曇り 後 晴れ  室温:13.8℃

 きょうは 地元で とんど(左義長)が 行われます。 きのうから 準備が進められおり 山から竹を切って
きて 櫓の形に組まれていました。 きょうは 朝から 多くの人が出て とんどを作っています。 今年は 南の
1、2隣保の担当です。 きょうは 風もなく 穏やかで お昼前には 晴れてきて いい とんど日和です。
 辞書で調べると 左義長というのは 15日に行われる 悪魔を払う火祭りで 宮中や公家の正月行事で
民間で 松飾りなどを焼く「とんど」 に当たるもの とあります。
≪追記≫
 1月15日の「天声人語」 に とんど焼のことを 左義長と呼ぶ。 松飾などを持ち寄って燃やす 小正月の
火祭りで きのうから 今日にかけて 行う所が多い・・・・とあります。
 また 14日の「はりま版」には とんどで交流 「街の人も来て」という記事があり 過疎高齢化で 年々 さ
びれるとんど祭りのにぎわいを 取り戻そうと (中略) 安富町の住民が むらおこしとして 暖かい炎で 行楽
客を迎える・・・とあります。 地域の伝統を あと何年 続けられるか・・・。 写真にあるとんどは この辺りの
とんどとは すこし形が違うようです。



 お昼前に 見に行くと 色テープが付けられ 立ててあり よく燃えるよう中に 枯れ枝などを詰めています。
子供会が 町内を回って 集めてきた松飾りも 詰めますが 田んぼを使うので 金属類が付いていると 後
始末が大変です。 翌日 磁石を使って 針金などは回収しますが・・・。


 周りに 藁を巻き付けて お昼過ぎには 完成しました。 あとは 5時半の点火を待つだけです。
夕方 5時ころ行くと 空は まだ 明るく 東の京見山の上には まーるいお月さまが・・。
きょうは 満月? 西は 淡いオレンジ色の夕焼けに 飛行機雲が 流れています。



 5時半。 暗く暗くなるのを 待っていたように 四方から点火。 周りは 藁なので 一気に燃え上が
ります。 中の詰め物が効果を発揮し 火の勢いは しばらく 続きましたが 次第に衰え・・・。
作るのには 時間がかかりますが 燃えるのは 一瞬です。 これも 儚いものの象徴?
かくして 今年の 「とんど」 も 終わりました。




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新春 洋ラン展

2012-01-07 13:00:04 | 日記
 1月7日(土)  天気:晴れ・曇り  室温:12.8℃

 きょうは 手柄山温室植物園へ 洋ラン展を観に 行きました。 姫路蘭会・播磨蘭会の主催です。
カトレアが 多く展示してあり 豪華な花で きれいですが 同じような花ばかりで やや面白味に欠けます。

 朝 家を出る前に ラジオの交通情報で 姫路バイパスの夢前トンネルで 事故があり 太子町まで
8kmの渋滞 と言っています。 きょうは 下を走るので いいかと思いきや 下の道路も渋滞気味で
英賀保まで 時間がかかりました。 植物園に着くと 今度は 駐車場が 満車で 停められません。
 しばらく 待ちましたが 空きそうにありません。 仕方なく もう一度 野球場の方を回って 植物園の
道路脇に 駐車している車の 最後尾に 停めました。 帰りには 私の車の後ろにも 列が伸びていました。
帰路 霊柩車にも遭うし・・・。 洋ラン展は 15日まで なので きょう 行かなくても よかったのですが・・。











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2012年 今年の初詣は・・

2012-01-03 13:56:08 | 日記
 1月 3日(火)  天気:曇り 後 晴れ   室温:12.9℃

 きょうは 初詣に 行きました。 きのう、おとといと テレビを見ながら 寝正月でしたが このまま 引き籠もり・
二ートになるのも 困ります。 きのう OAPさんから コメントとを頂き ブログを見て頂いている とのことに 励
まされ 何か ネタになることをして ブログを 書かないと・・・。
 私には テレビが 唯一の友達? 大晦日の紅白は 見ませんが 元日は ニューイヤー駅伝を見て 芸能人
格付を見て きのうは 箱根駅伝を見ながら 芸能人格付を見て 全国大学ラグビー選手権を見て  新春さん
まのまんまを見て 遥かなる運慶の”極彩空間”を見て NHKスペシャル 「最高峰エベレスト」 を見ました。
かくして 元日、振替休日は 暮れていきました。 きょうは 帰ってから 新春お好み囲碁対局を 見ましたが
これは 結構 面白かった。 辰巳琢郎が 意外と 頼りない感じで 考慮時間を使い・・・。

 今年の恵方は 北北西とか・・。 初詣に 北北西のお寺に お参りすると いいとか・・。 北北西には 思い当
たるお寺がありません。 仕方ない 北にある 去年 「神功皇后の三本の矢伝説」で 行った 太市(おおいち)
の破磐神社に お参りしましょう。 ここは 知る人ぞ知るパワースポットらしい・・。 ついでに 北の林田町に
ある 天然温泉「ゆたりん」に 浸かり 帰りに 傍を 通ったので 太子町の聖徳太子ゆかりの 斑鳩寺にも お
参りしました。 斑鳩寺は 恵方の北北西?


 9:36 出発。 北の太子町で 国道179号線を横切り 県道423号・西脇誉田線を北へ走り 姫新線・太
市駅の前に出て 北へ進むと 山陽自動車道の手前に 破磐(はばん)神社があります。 9:54 駐車。
ここまで 18分、10.2kmです。
 神社の名は 神功皇后伝説にある三本の矢のうち 一本が 大岩に当たり 岩が割れたということに 由
来します。 昨年 2月9日に 訪れて 宮司さんに お会いして お話を聞き 大変 勉強になりました。
 割れたという大岩は 約2km南西の山裾にあり 神社も 大岩の近くにありましたが 境内が 狭いので 江
戸時代に この地に 移転したそうです。 今回は 初詣なので 大盤石は パスしました。



 以前から 気になっていたことがあります。 「歴史教室」 で 学んだ 神功皇后伝説では 姫路南部の麻生
山(小富士山)から 三本の矢を射て 一本は 手柄山南の生矢神社へ 二本目は 辻井の生矢神社へ 三
本目は 姫新線余部駅近くの生矢の森(その後 洪水で流され 今は 南の稲岡神社に 祭られいる)へ 落
ちた と思っていたのですが・・・。 破磐神社近くの大岩に落ち 岩を割った矢は 何本目? さらに もう 一本
逆方向の南の 的形の方へ飛んだ矢もあるとか・・・。 きょう 宮司さんに 確かめると・・。



 駐車場に 車を置き 鳥居を潜り 境内に入ると 手前 左に 手水舎があり 龍の口から 水がちょろちょろ
落ちています。 前に 宮司さんから お聞きした話では 手水舎には 常に 水が流れていないと いけない。
水が涸れると 神様は 寝てしまう。 そのため ここでは 湧水、井戸水、水道水の三種混合にしている・・。
正式には 手水舎で 手を清め 口を漱がなくては なりませんが きょうは 寒いし 水が冷たそうで 遠慮
しました。 そうそう 鳥居の前では 深く一礼しないと。 参道の中央は 神様が歩くので 端を歩くこと。
神社の境内は 明るく 広く さわやかに 背後の森は こんもりと・・・。



 境内では 参拝者が暖を取るため 焚火が 燃えていますが 火が消えそうです。 境内の左奥に 三光堂
があります。 三光堂は 神仏混淆の世 破磐神社が 三所大権現と称されていた時代 神前に安置され
ていた仏体が 明治戊辰(ぼしん)の神仏分離令によって 取り除かれ この御堂に 安置され 祀られてい
ます。 近年 観音像も 合せ 安置されたそうです。 天満神社には 菅原道真が 祀られています。
学業成就や合格祈願の方は どうぞ お参りください。 社務所には 若い巫女さんが 二人もいて 笑顔
で 挨拶してくれました。 今年は いいことがある?
 この神社の造りは 流れ権現造りで 偉い先生の設計です。 山裾の傾斜を利用して 拝殿、幣殿、本
殿が繋がっています。 時が経てば 重要文化財になる?



 破磐神社の御祭神は 息長帯日売命(神功皇后)、帯中津日子命(仲哀天皇)、品陀和気命(応神天
皇)、須佐之男命(明治40年合祀)。
由緒によると
 往昔 神功皇后が三韓を討征し 凱旋されたとき 忍熊王の難があったので 御船を妻鹿の湊に寄せ
られ 三野の荘 麻生山で 天神地祇に 朝敵退治を祈られ 麻積連・祖笠志直(あたいの)命に 弦を求め
るように 仰せられたところ 大巳貴命の神託により 一夜の中に 麻生し その麻を弦として 三本の矢を
試射され 第一の矢は 印南群的形に 虚矢となって落ち 第二の矢は 飾磨郡阿室 辻井に 第三の矢
は 太市郷 西脇山中の大盤石に当たって 磐を三つに 破った。
 神功皇后 これを吉兆として この地に 矢の根を祭られ 後に 仲哀天皇、神功皇后の御二柱を 崇め
奉り 破磐三神と称し奉った。 この地は 当神社より 西南1.7キロの地にあって 現在 宮ヶ谷と呼ば
れている。 破れた大磐石は 現存し その大きさは 高さ6.5m、前幅5.5m、奥行7.5mで その容
姿は 神託を思わせ 見る人をして 驚嘆させるばかりである。 この山地は 狭隘(きょうあい)で 祭事に
煩があるので 徳川初期 現在地に 遷座し奉った。 (中略) 明治9年 旧号 破磐神社に復し 明治7年
郷社に列し 明治40年 建速神社を合祀して 現在に 至っている。

破磐神社の起源について
  神のさち 吹く風弓の かぶら矢と いかで岩をも 通ささらめや   と詠まれています。



 宮司さんのお話では この神社では 三本の矢伝説は 上の由緒のように 伝わっているが 大昔の言
い伝えなので・・・ということでした。 深く 追及する話では なかったようです。
 拝殿の彫り物を見て お参りします。 中に 龍力の樽酒が 積んであるのは 今年の干支だから? 宮
司さんが 呑んべえ だから? 宮司さんは 唎酒師?で 元料理人なのです。 前に頂いた「BanCul」
(バンカル)2002秋号には 田中酒造、壺坂酒造、本田商店(龍力)を訪れた記事が 載っています。
 また 神社のある太市は 筍の産地でもあります。 旬の時期 早朝 筍を掘り 木の芽和え、田楽など
に料理して 参拝の人々に お下がり膳として 振舞うのだそうです。
 最後に書いてあるのは この素晴らしい播磨の地に住めることを喜び たくさんの大地の恵みを頂ける
日々に感謝。 やがて来る 秋の収穫が終われば 年に一度の例大祭。 今年 捧げるお神酒は 「白鷺の
城」 か、「神力」 か、はたまた個性あふれる 「雪の花」 か。 神様 お下がり 有り難く頂戴します。 合掌。

 広い境内を散策し 10:29 車に戻りました。 北へ行き 国道29号線に出て さらに北へ走り 林田
の信号で 右折。 林谷で左折して 集落の細い道を 北へ進むと 右手に はやしだ交流センター ゆたり
ん があります。 広い駐車場に 駐車、破磐神社から 6.6km。 車が 多く停めてあります。
 ゆたりんは 深さ1338m、約2億1千万年前の堆積岩の割れ目から 湧出する天然温泉です。 老人
割引はなく 大人600円。 岩組露天風呂と切石露天風呂を 一週間ごとに 男女入れ替え制。 泉質は
ナトリウム・カルシウムー塩化物泉で 効能は 神経痛、関節痛、冷え性、疲労回復、健康増進?
ゆっくり 温まり 11:28 ゆたりんを 後にして 帰路につきます。

 国道29号線の林田交差点に 戻り 国道を横切り 林田町の街中に入り 県道435号線で 南へ。 姫
新線の踏切を越え 永久橋で 国道179号線に入り 鵤北の信号で 右折。 南へ下ると 左手に 斑鳩
寺があります。 11:50 お寺の前の駐車場に 駐車。 ゆたりんから 10.9km。
 前が 仁王門です。 黒い仁王さんに 白い埃がたまっています。 仁王門を潜ると お参りの人が 何
人かおられ こちらは 焚火も元気です。 左の聖徳殿に お参りします。 きょうは 初詣なので お寺の
詳しいことは なし。 斑鳩寺については 去年の 9月22日のレポ を見てください。



 斑鳩寺は 今から一千三百有余年前 聖徳太子開創の霊刹です。 戦国時代 戦禍により 焼失。 その
後 昌仙法師等により再建。 法隆寺の支院であったが 火災再建後 天台宗となる。 本尊は 釈迦如
来、薬師如来、観世音菩薩の三尊(いずれも 国の重文)であるが 秘仏で 講堂に 安置されている?
毎年 春会式(聖徳太子の命日)の 2月22、23日に 御開帳されます。




 きょうは 聖徳殿が 明けられ お参りできます。 講堂にも お参りし 奥の庫裏へ向かいます。 庫裏
には 樹齢350年のサザンカがあります。 前回は シーズオフでしたが きょうは 咲いているはず・・。
えっ 花びらが散り 花が ほとんど ありません。 はや シーズンオフ? 遅かりし ○之介・・。 



 数輪だけ ピンクの花が残っていました。 正面の花は 八重咲きですが 右奥の花は 一重咲きのよう
です。 横の蟇股は 庫裏の玄関にあったもので 獅子と花のようです。 右の手長猿の彫り物は 三重塔
の初層の軒下にあったのですが みざる・・の三猿ではありません。 部材名は 手挟?



 三重塔を見ながら 仁王門へ戻り 12:09 車に戻りました。 すぐ 車を出し 帰路につきます。
立岡山の西を下り 途中 スーパーで 弁当を買い 12:31 帰ってきました。 家で 弁当を食べ
ながら ”新春お好み囲碁対局 逆転必至! プロ・タレント夢の連碁戦”を 観戦したのであります。
 本日の走行距離は 計:33.0kmでした。



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コメント (2)
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