私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

歴史教室 神功皇后伝説(2011.2)

2011-02-08 16:28:14 | 日記
 2月 8日(火) 天気:晴れのち曇り 夜雨

 きょうは 近くの公民館で行われた 「歴史教室」に参加し ”伝説と地名の話-雷と神功皇后伝説ー”
についての講義を受講してきました。 講師の先生は 播磨学研究所・研究員 田中早苗さんです。
 先月 配布された公民館だよりに 案内が載っていて ”播磨地方で ささやかれる伝説の一つに 神
功皇后にまつわるものが 多くあります。 中でも 皇后が 放たれた矢が 岩を割ったという太市の破磐
神社伝説など 多くの語りは どのようにして生まれたのでしょうか。 私達の氏神魚吹八幡神社の主祭
神でもある神功皇后について ご一緒に勉強してみませんか。 とあります。

 私は 一度も参加したことがないので 今までの様子は分かりませんが お正月に初詣に行った魚吹
(うすき)神社の祭神でもあり 以前 朝日山・大日寺の住職さんが言われた 播磨灘で 海が荒れ 神
功皇后が 船繋ぎ岩に 船を避難させると 晴れ間が出て 晴れ間ーはれまーはりま となり 現在の播
磨の地名がある と言われたこともあり 興味が 湧き 参加することにしました。

 配られた資料では
 1.自然の雷伝説と神功皇后伝説について
  ・姫路の伊伝井に桑原という小字(あざ)があり 雷と桑原の関わりは?
 2.神功皇后にまつわる地名と伝説
  ・三韓征伐…新羅・百済・高句麗
 3.奥山の麻生山から神功皇后が射た三本の矢の伝説
  ・矢が落ちたと言われる場所に生矢社が祀られている
   ①青山の稲岡神社・・・・・4項の太市の割れ岩(破盤神社)のこと?
   ②手柄の三和山の生矢社
   ③辻井の行射楯兵主神社
 4.その他の伝説
  ・太市の割れ岩伝説が有名
 5.網干周辺の神功皇后伝説
  ・風土記に載る宇須伎津の由来
  ・余子浜の神楽岡伝説
  ・朝日山下の大岩伝説
  ・御津町碇岩の船つなぎ伝説
 6.神功皇后は播磨では話題が豊富です
  ・伝説が生まれるには その背景となるものが



 講義は 10時に始まり 1時間半の予定でしたが 少しオーバーしました。 会場は 畳で 座
布団を 敷いて座るので 脚が しびれます。
 アルツ気味の私は 話されたことを 覚えることも ままならず 速記することも ままならず・・・。
記憶に残っていることだけでも 紹介したいと思います。 また 上記の場所を おいおい 訪れて
みたいと思います。

 まず 1の雷と桑原の話で 40分くらい かかり 1/3以上 費やして・・。 大まかな内容は
あるとき 雷(鬼)が落ちて 井戸に入ったので おばあさんが蓋をすると 鬼が 出してくれと叫び
雷が落ちないよう まじないを教え 天に帰って行きました。 そのおまじないが ”くわばら くわ
ばら” で 桑原の地名が できた・・・のでは ありません。 伊伝井の北東に 白国があり この地
名から ここには 朝鮮から渡来した人達が住んでいて 蚕を飼っていた。 大昔には 蚕の餌とな
る桑があったから 桑原・・・というのが 先生の説です。 白国は しらぎ(新羅) から来たという証。
 私には 興味の薄いお話で ずいぶん 時間を喰ってしまいました。

 2は 神功皇后は おきながたらしひめ とも言われ 神なのか人なのか? 伝説上の人物?
父も母もはっきりしているので・・。 三韓征伐(新羅、高句麗、百済)は 日本書紀にあるので
間違いない? この遠征に かこつけて 各地で 伝説が生まれた?
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 早速 帰りに 朝日山の麓まで行き 5の「船つなぎ岩」 を 撮ってきました。 船つなぎ岩は 朝日
山の南麓にあります。 傍に 石碑があり 以下のことが 書いてあります。
 ”神功皇后征韓の時 この大岩に船をつないだと言わる。 これより南方に 縄文や弥生遺跡が
ある事から 神功皇后は 神話伝説上の人物で 付近には もっと古くから陸地であった筈 或い
は この小川が もっと 川幅があり 大津茂川から舟運した時代もあったであろう。 ともあれ こ
の地方の海岸地帯には 神功皇后の伝承が多く その一つであろう”・・



 この岩を 専門家に見てもらうと 約8000万年前の噴火による岩で 山の上から落ちてきたと
言われたそうです。 やはり この岩に船をつないだというのは 伝説でしょう。 先生に ”はれま”
-”はりま”を 尋ねると 先生は ”まりま”は 土地をはる、開墾する ではないかと 言われました。


 2月9日 4のその他の伝説:太市の割れ岩伝説の 破盤(はばん)神社へ行ってきました。 車
のタイヤが減っているので 国道179号線のトヨタに寄って 見積をしてもらい 県道424号線を
北へ行き 太子バイパスを潜り 丸山の信号で 右折。 県道5号線 太市の信号で 左折して 姫
新線太市の駅前を通り 北へ行くと 山陽道の手前に 破盤神社があります。 神社の前に 駐車
場があります。 ここまで 10.5km。 本当なら 神社の南の道 鳥居のある参道を 来るべきだ
った? 正しい参拝の仕方として 鳥居の前で 深く一礼 しなくては・・。

 広い境内には 落葉ひとつ落ちていません。 田舎にある小さい神社かと思っていましたが 境内
は広いし 本殿の造りも すごく立派です。 境内に入ると ピリッとした空気の緊張感が 感じられま
す。 お賽銭を入れ 二拝二拍手一礼。 型どおりに お参りしました。 私は 腰が悪く 60度しか
曲がりませんが あとで分かったのですが 正しくは 90度 曲げて 拝 をする そうです。
 社務所に 人が居たので 割れ岩が どこにあるのか お聞きました。 この人が 宮司さんでした。
航空写真のコピーを 出して 丁寧に 岩の場所を 説明していただき 立派な神社ですねえ という話
から 時間は 測っていませんが 1時間近く お話したでしょうか? が お話の内容を ほとんど 覚
えていないのが 残念です。 ところで 宮司と神主の違いは?

 昔 神社は 破れ岩の近くにあったのですが 祭りなどを行うには狭いので 徳川時代の初期 この
地に移ったそうです。 外国にいたが ここの神様に引き寄せられて 宮司になったが 当時は 木が
茂り 狭く 荒れていたそうです。 後の山は 以前 三人の地権者から神社に 寄付してもらったが 裏
に 山陽道が できるため 仕方なく売却。 祭りのとき(例祭は10月18日)何千人か集まると 狭いの
で 境内を広くするため 土地を削り 後の山へ積み上げ 山陽道の音を 遮断する防音壁にした。
 仕方なく 大きな木も何本か 切ったが 代わりに苗木を たくさん植え 世代交代してもらった。 山陽
道のため 売ったお金で 本殿を造り直した。 立派な社の造りは 流れ権現造りというそうで 後ろの
山の斜面を利用し 本殿、幣殿、拝殿の屋根が 傾斜してつながっている。 これは 有名な先生に お
願いして 設計?してもらった。 この先生が 一声かけると 重要文化財になるような 先生だそうです。
        *** 下の写真に 平殿とあるのは 幣殿の間違いです ***
 屋根は 銅版葺きですが 長年もつように 特に 板厚を厚くしてもらったが 工事がやりにくいと 文
句を言われたが 仕事は いい仕事をしてくれた。 この屋根の構造は 物凄く複雑で 芸術的です。
この説明の際は わざわざ 外に出てこられ・・。 社務所の屋根も 同じように 銅葺きにしたが 板が
薄く 仕事が下手で 早くも 隙間ができ始めている。

 正面の彫り物も 特別に注文したそうで 鳳凰が彫ってあったが 亀にしたかったと言うと 造り直し
てくれたとか・・。 横のうねりは 波を表わしているそうで 本殿のものは 雲を表わしているとか・・。
 宮司さんは 神様から神社の宣伝・PRをしてはいけない と言われているので ホームページもない
そうですが 全国からお参りに来られるそうです。 また お礼の手紙が たくさん寄せられ 3箱ある
そうです。 ここで 写真を撮ると 火柱やその他のものが写った 心霊写真が よく撮られるそうです。
 特に お祭りのときは 神様のパワーが 集中するので 心霊写真が 撮れやすいとか・・・。

 神道の世界では 有名らしく 東京から観光バスで 50人の団体で 来ることもあるそうです。 また
本でも 紹介されているそうで 抜粋のコピーをいただきました。 知る人ぞ知るエネルギースポット?

 また 手水舎の水を絶やすと 神様が寝てしまうので 絶対に 絶やしてはならない故 ここでは 湧
水、井戸水、水道と 三種の水を使っていて 夜も 水を流しているそうです。 凍結防止のため?
 この神社のモットーは 境内を 明るく、広く、爽やかに、後の森は こんもりと・・・。
なお 破盤神社は 神社本庁より 「モデル神社」 の指定を 受けているそうです。
宮司さんも そこそこのお歳に見えたので あとを継ぐ人は? と尋ねると いないそうで 神様が お
決めになるそうです。 この神社が 廃れるのは 考えられません。

 そうそう ここのお守りも ご利益があり 霊験あらたかで 手術のため入院している人が お守りを
もらい ベットに置いていたら 中の炭が割れ 翌日 医者から手術しなくても 大丈夫と言われたり・・。
私も一つ買いました。 お守りを入れる袋などは 作ってもらうが 中に入れる竹炭は 竹の切り出し、
炭焼きも すべて自分でやられ ひとつひとつ丹精込めて 手作りされるそうです。
 四年前に奥さんが 亡くなられ 今は 大きな絵馬も 独りで 描いているそうです。 上の写真にある
赤丸のウサギの絵馬です。
 追記:2月11日の新聞に 佐用町で かって地場産業だった竹炭を復興させ 町を活性化しようと
いう催しが開かれるとあり 竹炭は 脱臭や除湿の作用があるそうですが 竹や竹炭には 何か 特
別な 宗教的な意味があるのでしょうか? 

 これくらい書けば 聞いたことの 十分の一くらいは書いたかな? ありがとうございました と言って
帰ろうとすると 本のコピーを出され また話が続き・・・。 結局 コピーを 2種類いただきました。
下のお守りの写真の下敷きが 本の抜粋(コピー)で 本は 20冊もらったが 皆にあげ もう無くな
った。 見ると ”特集 開運招福 神社へ参ろう” があり 神社参拝 破磐神社宮司 中田千秋さん
に聞く と 破磐神社さんって どんな神社? が載っています。 詳しく書きたいのは やまやまですが
このページの文字数制限もあるので・・・。

 二つ目の抜粋は お酒に関する本で ”播磨の地酒と神に感謝のおさがり膳”というページがあり
唎酒師・中田千秋とあります。 宮司さんは 結構 呑んべえなんだ! なかに 太市で 有名な筍の
話もあり 筍は小生と同じで 呑んべえです とあります。 ちなみに この宮司 中田千秋さんは
ハワイに住んでいたころ 料亭で 料理人をしていた?
 興味のある人は 一度 破磐神社に お参りし 宮司さんから 直に お話を聞いてください。
若い女の人が お参りし お守りを買いに来てくれて やっと 解放されました。 もし 女の人が 来
なければ 話が いつまで続いたことか・・・。

 11:50 神社を後にし 1.7km西南にある破れ岩に向かいます。 県道5号線・丸山の信号の
手前から見ると 平らななだらかな山の南裾に 破れ岩があるようです。
 歴史教室でもらった資料の 矢が落ちた稲岡神社は 4の太市の割れ岩伝説の破盤神社のこと
でしょうか? 丸山の信号のすぐ先で 左に曲がり 南へ進むと 右に大きな道標があり 右に曲が
り さらに右に曲がると 墓地に出て 車をここに停めます。 2.5万の地図:龍野には 墓の印
があります。 墓地の左から竹林へ進み 竹林を抜けると 斜面の右上に 大盤石があります。

 ここにも説明板があり 破盤神社の由緒と ほぼ同じことが 書かれ 概略 以下の内容です。
昔 神功皇后が 三韓征伐後 凱旋されたとき 忍熊王の難が あったので 御船を妻鹿の湊に泊め
麻生山で 朝敵退治を祈られ 麻を弦として 三本の矢を試射された。 そのうちの一本が 西脇・山
中の大岩に当って 三つに割れた。 神功皇后は これを吉兆として この地に矢の根を祭られ 後
に 仲哀天皇、応神天皇 御二柱を崇め 破盤三神として 奉った。 これが 破盤神社の始まりで
後に 須佐之男命を合祀。 三本の矢は 的形と 辻井と ここ西脇に 落ちたと書かれています。

 大岩は 高さ6.5m、幅5.5m、奥行7.5mで 注連縄が張ってあります。 後ろに回ると
丸い岩が 3、4個あるように見えますが・・。 前に廻ると 大岩が 見事に スパッと割れてい
て 割れ目には 竹が 一本 青々と茂っています。 傍で見ると 注連縄が 張ってあるためか
割れ方のためか 青々とした竹林にあるためか 神がかり的なものが 感じられます。
破盤神社の起源について
   神のさち 吹く風弓の かふら矢と いかで岩をも 通ささらめや  と詠まれています。
※『播州野歩記』さんも H18.8.13 破盤神社と大盤石を 訪れておられます。

 タイヤ交換まで 時間があるので 山崎町・与位へ水を汲みに行くことに。 ポリタンクは 用意
済み。 ”与位の洞門” のある所です。 今は よいたいトンネルが 出来ています。 ところが 「よ
い温泉」の水は 故障中で 水を汲むことができません。 がっかり・・。 仕方ない? 温泉に入りま
しう。 実は タオルも着替えも用意してあります。 その前に 腹ごしらえに ラーメンを、500円。
温泉は 700円。 泉質は 単純弱放射能冷鉱泉で 弱アルカリ性。 ラドンを多く含む? 翌日、肌
が つるつる すべすべするような気がしましたが・・。
 ここで 帰れば 良かったのですが 福地渓谷へ水を汲みに・・。 福地渓谷は 工事中で 道は
狭く がたがたで おまけに 雪解けで 泥んこ。 車が 泥だらけに なってしまいました。
 ”文殊の水” が 渇水で 出ていなかったら 泣き面に蜂ですが 幸い 水は出ていました。

 しかし ラーメンや温泉で時間を使ったので タイヤ交換には 間に合いません。 電話して タ
イヤ交換は 翌日に延期してもらい ガソリンスタンドに 直行して 洗車、300円。
 バタバタと 走り廻る一日でした。 ちなみに 私は 酉年で バタバタ貧乏 なのです。
 しかし パワースポット・破盤神社にお参りし ご利益のあるお守りを買い 放射性の温泉に入り
頭の良くなる?文殊の水を 汲んだので 私にも パワーが 漲り 宝くじが 当たるかもネ・・・。
それじゃあ 皆さんも 神社に お参りしよっ・・・。
  。。。   。。。。。。。   。。。。。。。   。。。。

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3 コメント

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生矢射楯兵主神社 (しみけん)
2011-02-20 16:23:17
辻井の生矢射楯兵主神社のすぐ西に一時期(数年間ですが)祖父が住んでいたことがあります。
いや、ただそれだけなんですが。
何気なく眺めていましたが、歴史のある神社だったんですね。
返信する
Unknown (YS1)
2011-02-20 17:34:14
しみけんさん こんにちは。
コメント ありがとうございます。
行ったことがないので 分からないのですが
辻井の生矢射楯兵主神社に
駐車は 出来ますか?
車が停められれば 一度行ってみたいのですが・・。
山ちゃん、しみけんさん 最近 雪山もうで ですね。 とうこさんまで・・。
気になるのは やまあそさんのページの写真ですが
やまそさんは GPSを買ったのでしょうか?
返信する
駐車場所 (しみけん)
2011-02-22 00:04:37
辻井の神社は、鳥居の前後に車を置けるスペースがあったと思います(駐車場ではなく路上駐車になりますが)。祖父宅を訪ねる時には、そのスペースを使っていました。

GPS、気づかれましたか。
そうなんですよ。ついに山あそさんもGPSを買われたんです。しかも、最新のMAP62S。
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