私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

甲山 こうやま 98m

2010-07-10 16:11:45 | 山歩き
 7月10日(土) 天気:曇り+蒸し暑い+モヤ    地図:姫路南部

 きょうは 姫路市飾磨区にある低山 甲山に登ってきました。 『播磨 山の地名を歩く』の中播磨の項
にある山ですが 本には 三山が記され 北の豊富町の甲山と 南の手柄山の北にある冑山 には登っ
たので 最後の山です。 この甲山は 国府山とも言われることは 本にも書いてありますが この山は
国府山城跡です。
 最近 姫路では 国宝姫路城の平成大修理にあわせてか なにかと 黒田官兵衛が 話題になってい
るようですが 国府城は 官兵衛が 父職隆と移り住んだお城で 別名・妻鹿城とも言われるそうです。
 また 官兵衛は 西播磨最大の領主だった小寺氏の本城・御着城で 家臣として仕えたそうで お城
つながりで 御着城址もめぐり 官兵衛にまつわる史蹟を訪れる 西播磨歴史探訪ドライブツアーです。

 手元に 新聞の折込版 サンサンあさひ3 ”はりま歴史浪漫の旅 黒田官兵衛ゆかりの地を巡るの巻”
と 新聞の5月7日付夕刊の”歴ナビ旅する日本史 ゆかりを訪ねて 黒田官兵衛” という 2枚の紙が
あり いつか・・と思っていました。
 きょうは まず 甲山の南麓の荒神社から 甲山・国府城跡(妻鹿城)に登り 山から降りて 官兵衛の
父・黒田職隆もとたか廟奉所へ。 国道250号線を越え 黒田武士の館へ。 ついでに 灘のけんか祭
りで有名な松原八幡宮へお参りし 国道2号線の御着城址へ。 顕彰碑、廟所を見て 黒田家の菩提寺
である心光寺を訪れ 最後に英賀保へ帰り 英賀神社・英賀城跡をめぐりました。 播磨では 別所氏の
三木城、三木氏の英賀城、小寺氏の御着城が 三名城と言われているそうです。

 朝起きると 天気は まあまあのようなので 出かけることにしました。 8:56 出発。 姫路バイパスを
東へ走り 姫路東ランプで降りて 南へ向かい 継の信号で右折。 小富士山・仁寿山を見ながら西へ進
み 甲山と御旅山の間を抜けて 南へ下り 荒神社の前に来ましたが・・。 市川工業用水道管理所の前
のスペースに停めました。 駐車場では ありませんが 休日なので 大丈夫でしょう。
9:29 駐車。 家から 21.5km。 市川の土手に上がって 甲山を 撮りましたが 冑に見えますか?

 直ぐ横が 荒神社です。 階段の上に妻鹿城址の石碑があります。 さらに階段を上がると社があり
お参りして 9:43 右の山道へ入ります。 さっそく ササヤブです。 暗い雑木の道は ヤブ蚊は多
いし ササは濡れているし クモの巣はあるし・・・。 道ははっきとしていて 黄テープ、道標もありま
す。 真直ぐ北へ進んだと思うのですが 南に折り返すと ひどいササヤブになり 背より高いササが
倒れこんで トンネル状になっています。 足元は見えず ズボンは 直ぐに ずぶ濡れに・・。


 幸い 道はなだらかで 登る苦労はありません。 前方に鉄塔が見えてきて 9:55 鉄塔のフェンス
に突き当たり 右に回ります。 右に 折り返し北へ進む道があり そのまま進もうかと思いましたが 念
のためフェンス沿いに南へ廻ると 広場?があり 南の展望があります。 南に 市川の河口が見え 西
に見える山並は 苫編山でしょう。 姫路市街も見えますが 濃いモヤに かすんでいます。


 9:56 北へ進みます。 ここからは ササはなくなり 落ち葉の雑木林です。 鉄塔から 5、6分で
山頂に登りました。 この山には 三角点はなく 98mの標高点しかないので 山頂という確信はありま
せんが 曲輪という小さい標識があるので 山頂と分かります。 下の荒神社にあった案内図では 禿
山のように描かれていますが 今は 雑木のヤブで 城跡を示すものは 何もありません。
 色あせた展望図があり 姫路城、英賀城跡も描いてあります。 北へ 道が延びていて すこし歩いて
みましたが 見晴らしはありません。 西に 雑木の疎らなところがあり 西から北の展望があります。


 西に 苫編山~籾取山の荒川五山が かすんでいますが 近くに見えます。 手柄山は 山上の施設で
分かりますが 肝心の姫路城が 私のたたり目?では かすんで 確認できません。 八丈岩山の方向
だと思うのですが・・。
 下の写真は 案内図にあった国府山城の由緒です。 興味のある方は どうぞ。 本来なら この写真を
見て 文章を書くのですが 写真を載せるほうが 手っ取り早いし 文字数も少なくて済むので。 国府山
城は 功山城とか 妻鹿城とか 呼び方が いろいろあるようです。 秀吉に姫路城を明渡し 父・職高と共に
ここ妻鹿城に移り住んだ官兵衛は 何を考えていたのでしょう。 当時 姫路城を 秀吉に渡さなければ
今の姫路城は なかったとも 言われていますが・・。 ”サンサンあさひ”には 播磨の武士顕彰会の神澤
さんの言葉で 国府山城址から 官兵衛が見た同じ景色を見てください とありますが 同じ景色を見る
のは 不可能です。 当時は 姫路バイパスや 鉄塔はなかったので・・・。



 10:11 下山。 15分ほどで 車に戻り 黒田職隆廟奉所へ向かいます。 しかし 持っている資料は 大
まかな地図で 妻鹿駅の北というだけで 詳しい場所は分かりません。 歩いている人を掴まえて 何回も聞き
ますが 地元の人も知りません。 何人目かに聞いた 軽トラの兄ちゃんは 親切にも 軽トラをUターンして 住
宅街の細い路地を走り 先導してくれました。 違う場所へ・・。 違うと言うと 地図を見直し 飾磨高校に突き
当たり 南へ下り 元宮八幡神社へ。 違うけど 丁寧に お礼を言って別れました。
 近くにいた自転車の老人に聞くと やっと 自転車で 廟所へ案内してくれました。 袋小路の難しい場所です。
こんなに 苦労して来るほどのこともなかった? 荒神社から 直線距離で 500mほどですが・・・。
 黒田職高(1522~1585)は 御着城主・小寺氏の重臣・重隆の子で 官兵衛の父親です。 廟所にある
五輪塔は 墓塔です。


 10:55 職隆の廟所をあとにして 播州・黒田武士の館へ向かいます。 さっきの軽トラの若者は こ
こは よく知っていると 場所をきちんと教えてくれました。 が 今度は 私が道を間違がえて・・。 国道
250線に出て 妻鹿の信号で右に曲がるのですが 手前の道に入ってしまい・・。 間違えたことは分か
ったので 裏から廻って・・。 幼児と散歩中の美人の若奥さんに尋ね 親切に教えて頂きました。 武士
の館も住宅の並ぶ一角の 分かり難い場所にある 普通の民家です。 ここも 苦労して来るほどのことも
なかった? 荒神社から 職隆の廟所経由で 4.7km走りました。 先ほどの神澤さんは ここ武士の
館の館主です。 地元では 黒田官兵衛を NHK大河ドラマの主役に 担ごうとする活動も盛んとか・・。
誘致する会の会長は 姫路市長?


 11:10 到着。予約はしていないので 中を見学することは出来ませんが 官兵衛 直筆の書状など
があるそうです。 外から見ると 物置に ガラクタが置いてあるだけ のように見えましたが・・。
 次の訪問地は 御着城ですが その前に途中にある松原八幡宮に寄りましょう。 白浜の八幡神社は
姫路城の羽柴秀吉と 三木城の別所長治との合戦のとき どちら側にも組せず 別所からは 社殿を焼か
れ 秀吉からは 社殿の移転を迫られたそうですが 官兵衛が懇願し 現在の場所に収まったとか・・。
 灘のけんか祭りで有名な松原八幡神社も 官兵衛のゆかりの場所です。 国道250号線に出て 東
へ進み 二つめの信号を左折して 北へ行くと 八幡神社に出ます。


 11:22 神社の南のけんか祭りの観覧席前の広場に車を停めました。 武士の館から 1.9km。
この神社も 地元・網干の魚吹八幡神社と似て 雰囲気のある 立派な神社です。
 松原八幡神社は 天平宝字七年(763)豊前 宇佐八幡宮から 分霊を勧請して 創建。 戦国時代に至っ
て 度々の戦乱被害にあい 天正十二年(1584)社頭再建を伝える。 現社殿は 享保三年(1718)、楼
門は 延宝七年(1679)の造営。 楼門は 姫路市指定重要有形文化財。 楼門を潜って 境内に入ると
子ども達がボールを蹴って遊んでいました。 拝殿の右に御神木の銀杏の大木があります。 樹齢500年。 

  

 境内をぐるっと一周して 車に戻りました。 北へ進み 国道250号線に出て 東へ走り県道551号
線で左折して 左に小富士山・仁寿山を見ながら 北へ走ります。 この県道も車が多く のんびり走る
ことは出来ません。

   このページも 文字数が多くなりましたので 御着城跡・英賀保城跡は
   7月14日の 次のページでつづけます。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 御着城跡へ つづく ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
コメント
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