私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

朝日山・大日寺

2011-08-18 12:52:51 | 日記
 8月18日(木)  天気:晴れて暑い  室温:34.5℃

 きょうも 暇なので 地元の朝日山に 登ってきました。 誰かが お盆を過ぎると 涼しくなると言っていまし
たが まだまだ すごく暑いです。 倒れる前に 帰りましたが・・。 朝日山には 何度も登り 2008.6.25
のレポートもあるのですが これが なかなか 出てきません。 『はりま歴史の山ハイキング』でも 紹介され
ています。 山頂にある朝日山・大日寺は この前の「歴史教室」でも お勉強したが 播磨の古代寺院の
ひとつで 大化年間に建立 とされ 法道仙人の開基と 言われています。

 10:05 出発。 外へ出ると 熱気で むっとしますが 風も少し吹いています。 周りの田圃も稲が 茂り
青々としています。 朝日山の上には 夏雲が むくむくと湧きあがっています。 腹が立つのは 網干駅横の
踏切で 10:19に 通過する 上り智頭急行”スーパーはくと”を 撮ろうと 時間調整をしながら 来たのに 電
車が来た と思った瞬間 下りの電車が来て はくとを隠し 手前の電車が 通り過ぎると はくとも通り過ぎ・・。
涙がちょちょぎれ・・。 
 朝日山登山口にある 「船つなぎ岩」 に 寄りました。 船つなぎ岩は 神功皇后が 船で 播磨灘を通りかか
った際 海が荒れたので ここに避難し 船をつないだという伝説があります。 ここより 約1km南で 弥生
時代の「和久遺跡」 が発掘されているので 本当かどうかは 疑わしいのですが・・・。



 少し戻り 和久霊園から登ります。 ここには 鎖の手摺があるので・・。 霊園の上は 駐車場になって
います。 南の展望良好ですが モヤが濃く 家島諸島も見えません。 遊歩道を左へ歩き 和久山へ
向かいます。 ここは 桜並木ですが 今は・・。 木の間から 右に 新竜アルプスが望めます。



 東屋のある和久山に着きました。 ここには 四等三角点:糸井 44.5m があり 煉瓦で囲ってあり
ます。 地元の住人として ここへ来たら 三角点を踏まないと・・・。


 遊歩道を駐車場へ戻ると ここは 朝日山公園の一角で 「姫路緑の十景」の看板があります。 駐車場
の右の道路を 横切り 階段の登山道を上がります。 車道を 2度 横切り 階段を上がると 仁王門の前
に出ます。 


 ここの仁王さんも 迫力がありません。 なにかに驚いたような表情に見えます。 目の細い金網があるの
で 写真も撮り難くなっています。 朝日山で 見晴らしがあるのは ここ 仁王門の前だけです。 南が 望め
ますが モヤが濃く 展望は まったくダメ。 御津山脈の東端が 僅かに 見えます。



 手摺を持って 急な石階段を上がると 大日寺です。 横に エンジンを掛けたままの車が 数台
停めてあり 不動堂で なにか法要が 行われているようです。 正面の本堂に お参りしました。
本堂は 立派な建物ですが 木鼻や蟇股は ないようです。 向拝正面には 龍の彫り物があります。

 横にある説明板によりますと ここ 標高88mの朝日山は 「播磨国風土記」に 「応神天皇が この
山で 大法(重大な法令)を 発したので 大法山という。 ( 応神天皇は 神功皇后の息子なので やや
疑わしい気もしますが・・) 斉明天皇のとき(7世紀中頃) 大倭(やまと)の千代勝部らが 田を開いて
住んでいたので 今は 勝部岡と呼ぶ」 という意味のことが 書かれている。
また 周辺一帯は 「大屋の里」や 「大田里」と記され 古くから開かれた地域である。



 大日寺は 大化年間(645-650年) 法道仙人の開基と伝える真言宗の古刹で 盛時には 30余
の坊舎が 建ち並んでいたといわれる。 また 鎌倉時代には 信寂上人(法然上人の弟子)が 招かれ
一時は 播磨における浄土宗布教の中心に なっていた。 天文~元亀年間(1532~1570) にかけ
ての 3度に渡る朝日山の合戦で 寺は 全焼したが 本尊の観音像だけは 戦火を まぬかれたという。
不動堂では 暑いのに 火を焚いて お坊さんが お経をあげていました。



 不動堂の前に 鐘楼がありますが 入口に 勝手に鐘を撞かないでくださいと 貼り紙があるので
鐘を撞くことはできませんが 戸を開けて 鐘を見ることはできます。 朝5時、11時と 夕方5時
に 山のお寺の鐘が 鳴らされ 地元に響き渡ります。 カラスと 一緒に 帰りましょー♪♪



 本堂の左に 室町時代の十三重石塔が ありますが 現在は 十一段しかありません。 下に小さい
石仏が置いてあります。 左に進むと 新しい涅槃像が 横たわっていて なにか 違和感があります。
右上の斜面に 龍野城主・赤松政秀の寄進と伝えられる「五智如来」石仏があります。 五智如来は
中央が 大日如来で 東に 阿閃、南に 宝生、西に 阿弥陀、北に 不空成就如来があります。 以前
来たとき 右の木の枝が 張り出していたので 切って と頼んだお蔭で 今は すっきりしています。



 左へ進み 鳥居を潜り 階段を上がると 歓喜天があります。 小さなお堂で 中には 畳が
敷いてあります。 お賽銭を入れ お参りしました。


 右にある慰霊塔?宝篋印塔?のある辺りが 一番高いので 88m標高点の朝日山山頂でしょう。
高い宝篋印塔の一番上の相輪がありません。 下に置いてある丸い石積が それのようです。
この辺りは 木に覆われて 日陰になっているからか 苔むしています。 下にある 五智如来の
後姿を拝むことができます。


 歓喜天の裏には 石仏が並んでいて 西国33カ所めぐり。 荒れた道を 北へ降りると 29番松尾寺
の馬頭観音がありますが 馬頭の鼻が欠けているのが 残念です。 さらに 降りると うす暗い 薄気味
悪い 墓地になっていて 宝篋印塔もあります。 観音様の石仏もありますが なぜか みな首が落とさ
れて・・・。 道脇には 書写山や 法華寺の石仏もあります。
歓喜天へ引き返し 階段を降り 仁王門を潜り 帰路につきます。



 登ってきた階段を降ります。 朝日山一帯は 「姫路緑の十景」に指定されているので うっそうとし
た森林です。 秋には 道に どんぐりが たくさん落ちています。 和久霊園を降り 踏切に差し掛かると
貨物列車が通り過ぎていきました。 智頭急行のスーパーはくとは 2時間に 1本しか通りません。
11:55 家に帰りました。 500mLのペットボトルを持っていきましたが 足りませんでした。


  。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。              。。。。。。。。。。。。。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 書写山・圓教寺 | トップ | 仏像の祈り6 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事