私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

歴史教室 「播州皿屋敷伝説 と お菊」

2022-03-15 14:18:03 | 歴史探索
 3月15日(火)   天気:晴れ   室温:23.6℃

 きょうは、公民館の歴史教室に出席しました。 今月は、元城郭研究室長の中川秀昭
さんの ”「銀の馬車道」~鉱石の道~” の予定でしたが、ある事情により 「播州皿屋敷
伝説とお菊」 に変更となりました。 出席者も多く、「銀の馬車道」 を期待されたかも・・。
”「銀の馬車道」~鉱石の道~” は 4月に 行われる予定です。
 「皿屋敷伝説」 は、全国に 多く散在し、ある本によると 48カ所あるそうです。


   。。。。。。 「播州皿屋敷伝説とお菊」 。。。。。。

1.今に残る「悲劇のヒロイン・お菊」 ゆかりの地
 ◆「お菊井」 ~姫路城・上山里曲輪内~
 ・姫路城内の「お菊井」(お菊井戸) は、江戸時代の分県では 「釣瓶取り井戸」とある
 ・明治に入り 姫路城は 陸軍省の所管となるも、大正元年8月1日 姫路城の土地・建物を 姫路市が
  無償で貸下げを受け、軍用地を除き 姫路城の一般公開が始まり、「姫山公園」が 開設された。
 ・石碑に 「大正元年菊月」、「玉垣建設者 愛国婦人会有志」の文字 ※菊月:旧暦9月の通称
 ・「姫路城内のお菊井戸なども、近年、かかる名称を附したもの・・(出展:『姫路城史』)
 ・「姥ヶ石」、「腹切丸」などと同様、姫路城一般公開を機に 観光材料の一つとして
   伝説になぞらえ 「お菊井戸」としたものらしい。(出展:姫路文学館 特別展図録)



 ◆「お菊神社」 ~十二所神社摂社~
 ・祭神:「三菊大明神」・・特に 婦人や水商売の方々の守り神として崇められている
 ・伝説では、永正の頃(16世紀初頭) 小寺家が お菊の忠節を感じ 十二所神社境内に
  祠を建てたとあるが、お菊神社の詳しい由来は 不明。

 ・石碑に、「明治初年造営、昭和20年 戦災で 灰燼に帰し、昭和35年再建」 とある
  総桧造、本殿は 銅板葺き、拝殿・幣殿は 昭和の大修理で使用した 軽量瓦を採用した
 ・かって お菊神社は 十二所神社とともに 外堀の内側にあったが、戦後 外堀を埋め 境内が
  少し南に移った。 外堀を埋めたところは 玉垣が 少し下がっている。




2.『播州皿屋敷実録』全13巻(作者・制作年不詳) 出展:『姫路城史』橋本政次著
 ・姫路城主・小寺豊職が 永正元年2月に没し、嫡子則職(18歳)が 相続
 ・執権・青山鉄山は 置塩城主・赤松家、執権・浦上村宗と謀り、それぞれ両家横領をもくろむ
 ・執権・青山鉄山は 町坪弾四郎らと謀り、永正2年3月28日に 花見の宴を増位山で催し
  城主 則職を殺そうとする
 ・鉄山の3男・小五郎は かねて 則職の妹・白妙姫と相思相愛の中。 父の謀反を知り、
  諫めると却って怒りをかい 幽閉される。
 ・忠臣側の衣笠元信は、鉄山の挙動を怪しみ、その妾・お菊を鉄山の屋敷の女中に住み込ませ、
  様子を探らせる
 ・お菊、小五郎の身の上を憐み 密かに 小五郎を慰めると、お菊の志を喜び、父の陰謀を
  打ち明ける。 お菊の諜報により 鉄山の陰謀を知った元信は 直ぐに 則職に 言上し
  花見の宴に備える
 ・花見の日となると、鉄山等に 毒酒を勧めようとしたその時、鉄山の裏をかき、忠臣らが
  一斉に決起し 逆臣どもを斬り伏せるが、鉄山は いち早く逃げ去る
 ・鉄山に呼応して 兵を挙げた浦上村宗は 主君赤松義村を 室津に押し込め 自殺させ、鉄山に
  援軍を送る。 則職は 家島の飯盛山城主・苦瓜助五郎元通の許に逃れ、姫路城は、一時
  鉄山側に横領される。
 ・姫路城に入った鉄山、一味の者を招き、小寺家伝来の「こもがえの具足皿」を用いて
  蕎麦を馳走。 お菊が 鉄山の命により 取り収めようとすると、1枚足りない・・・
  お菊 顔御色を失い、何度も数え直したが、9枚(全部で10枚)よりなかった。
 ・実は かねて、お菊に思いを寄せていた 町坪弾四郎が 密かに隠したもの
 ・鉄山は、陰謀が知れて以来、お菊を疑っており、憤激その極みに達し、お菊を殺そうとしたが、
  段四郎は 鉄山をなだめすかし、お菊を預かり 己が住居の車屋敷に 連れ帰り、折しも
  梅雨の中を 裏庭の松に縛り付け 意に従わせようと、昼三度、夜三度づつ 青竹で 責めつけ、
  17日間 折檻した。 それでも、お菊は彼の意に従わなかったので、遂に 斬殺し 井戸に投げ込んだ。
 ・すると その日から 夜になると 井戸の辺りから 「1枚、2枚、3枚・・・9枚」と
  皿を数える お菊の悲しげな声が聞こえ、ぐわらぐわらと 皿の音が 屋敷内に鳴動し、夜毎
  怪異が 打ち続き、人々は 皿屋敷と呼んだ。
 ・その後 衣笠元信ら忠臣たちは、姫路城を奪い返し、青山に逃げた鉄山を攻め滅ぼした。
 ・町坪弾四郎は、隠し持つ皿一枚を 奉じて 許しを請うじたが 許されず、室津で 遊女(花鳥・花月)
  をしていたお菊の妹二人が、則職の許しをえて 姉の仇・弾四郎を討ち取った。
 ・後に 花鳥は 衣笠元信に、花月は 花房常秀に嫁し、睦まじく夜を送る。
 ・小寺家では、お菊の忠節をたたえ、十二所神社境内に 祠を建て 三菊大明神と崇めた。
 ・お菊の亡魂は 虫となり、お菊虫とて、その後 年忌毎に 発生。 お菊が果てた松は、毎年
  梅雨になると枯れ、梅雨が過ぎると 常盤の緑に返ることから 世に 「梅雨の松」と呼んだ。
 ※『播州皿屋敷実録』では、お菊は 尼子家浪人・寺本障子之介の長女とある


3.播磨姫路の皿屋敷伝説(『竹叟夜話』(天正5年)・永良竹叟著がルーツか)
  出版物・制作年    著書(編者)     内   容
  『竹叟夜話』     永良竹叟    ・嘉吉の乱後、青山の館代・小田垣主馬助(山名家家老)が
   天正5年      (播磨国     脇妾・花野を寵愛。 出入りの色好みの郷士・笠寺新右衛門が
               永良庄)   花野に恋慕し、千束の恋文を送るも 拒絶されていた。
             (市川町)   ・ある時、小田垣が 山名家拝領の「鮑貝の五ツ盃」で 家来達に
                      馳走しようとするも 一つが見えない。 小田垣は 花野に・・・

  『西播怪談実機』   春奈忠成    ・小寺時代、家老衆が お歴々を招待する宴で、屋敷の主人が
  「姫路更屋敷の事」  (播磨国     秘蔵の信楽焼の皿でもてなした。 宴が終わり 腰元が
   宝暦4年       佐用郡)    片付ける際に 十枚揃いの皿の一枚を誤って 割ってしまった。
                      これが 主人に露見し 主人は 腰元を斬り殺す。
                      その後、夜な夜な幽霊が 皿を数え、九枚までくると、・・・

  『播陽万宝知恵袋』  天川友親    ・「播州皿屋舗並入梅松」三木石狸子(通識)所蔵
   (宝暦10年)    編著      『播州皿屋敷実録』と同様の内容

  『村翁夜話集』    福本勇次    ・寛永年間(1624~ )加賀前田家家臣・寺本三平は、
    天明年間      (村翁)    父の仇、関野権太左衛門(本多家家臣)の元に 妹・お菊を
                      下女として 住み込ませ 様子を探らせる。 権太左衛門の養子・
                      作之進が お菊に恋慕し、嫉妬した作之進の妻が 皿を一枚隠し・・

 ◆お菊虫と「お菊」ゆかりの土産物
  ・ジャコウアゲハの蛹(さなぎ)が、後ろ手に縛られた「お菊」を思わせる形状のため、
   古くから 「お菊虫」と呼ばれてきた。 寛政7年 姫路、尼崎、大坂で お菊虫が 発生し、
   人々の話題をさらったことが、『播州名所巡覧図絵』(享和3年)などの文献に記されている。
  ・志賀直哉の小説『暗夜行路』で、「彼は お菊神社といふに連れていかれた・・・お菊虫といふ、
   お菊の亡霊の虫になったものが、毎年 秋の末になると 境内の木の枝に下がるといふやうな話を・・
  ・大正から 昭和にかけて 髪箱入りのお菊虫が 姫路城などで 土産物として 売られていた。
     

4.播州皿屋敷と番町更屋敷
  区 分      播州皿屋敷             番町更屋敷
  出版物名    『播州皿屋敷実録』       『更屋敷弁疑録』
  制作者        不明             馬場文耕(講釈士)
  制作年        不明             宝暦8年
  主要人物    執権・青山鉄山、町坪弾四郎    旗本・青山主膳(火付け盗賊改め)
          お菊(衣笠元信妾)、小寺則職   お菊(下女・盗賊向崎甚内(死刑) 娘)
  原因の皿    こもがえの具足皿         南京のなます皿
  事件発生年   永正2年(1505)       承応2年(1653)
  事件の内容   皿一枚紛失(弾四郎が一枚隠す)  主人大事の皿をお菊が 一枚割る
  結  果    町坪弾四郎がお菊を裏庭の松に   主人が 皿一枚の代わりにと 右手中指を
          縛り付け、折檻の上に切り殺し   斬り落とした。 後に 手討にすると 監禁。
          井戸に投げ込む。         縄付きのまま、お菊は 部屋を抜け出し
                           古井戸に身投げ
  皿数え    「井戸の辺りから1枚、2枚      「井戸の底から 1枚、2枚・・・9枚」
                ・・・9枚」
  祟りの表れ                    奥方が生んだ子供に 右の中指なし
                           事件が 公家に知れ 所領没収、親類預け

 ※『更屋敷弁疑録』では、お菊の皿数えの声が続き、公家は 小石川伝通院の了誉上人に
   鎮魂の読経を依頼。 ある夜 上人の読経に 皿を数える声が 「八つ・・、九つ・・」
   そこで すかさず、上人が 「十」と付け加えると お菊の亡霊は 「あらうれしや」と言って消えた。

 ◆戯曲『番町更屋敷』 岡本綺堂作 (大正5年)
  ・旗本・青山播磨と腰元・お菊は 相思相愛の仲、しかし 身分の違いから 叶わない。
   そんな中、播磨に縁談が‥。 お菊は 播磨の愛情を試そうと 青山家家宝のお皿を
   1枚割るが、播磨は 不問に帰す。
  ・しかしながら、周りの者が お菊がわざと割った瞬間を目撃していた。 これを知った
   播磨は 自分が そんなに信じられないのかと激怒。 お菊を斬ってしまう。
   その後、播磨の心は 荒れ、青山家も荒れ果てていった。

5.全国に残る更屋敷伝説(全国48カ所)・(『日本の皿屋敷伝説』 伊藤篤著)
 ◇全国に48カ所の伝説が残る:南端・鹿児島県南さつま市坊津から 北端・岩手県滝沢市)
  ・新潟県佐渡市、東京都、金沢市、米子市、松江市、四万十市西土佐地区など
   ・飯椀への縫い針の混入・・・虐待の挙句 殺されて 死後は 霊として崇める
   ・皿の紛失・破損がもとで
   ・皿の紛失・破損がもとで 命を落とし、死後は 皿数えをする霊として崇める
        

 ◇今に残るお菊の皿(お菊が割った、あるいは 紛失したとされる)
  ・いずれも家宝・秘蔵の品:南京・中国、南蛮、朝鮮渡りなど 主に 大陸からの渡来物
  ・お菊の皿現存例:四万十市西土佐、長久寺(彦根市)、窓誉寺(和歌山市)

6.歌舞伎、浄瑠璃、戯曲、落語、文学など
 ・歌舞伎:享保5年5月:大坂金子吉右衛門座「皿屋敷」
        同 6月:京都・榊山四郎十郎座が歌舞伎「播州評判錦皿九枚館」
      後に、歌舞伎「播州皿屋敷」・『番町更屋敷』など 様々な演目で 上演
 ・浄瑠璃:享保元年:大坂「豊竹座」で 浄瑠璃「播州皿屋舗」を 初演
 ・落 語:「皿屋敷」、「お菊の皿」
 ・映 画:「番町皿屋敷 お菊と播磨」(昭和29年)大映・長谷川一夫・津島恵子
      「怪談番町更屋敷」(昭和32年)東映・東千代之介・美空ひばり
      「手討」(昭和38年) 大映・市川雷蔵・藤由紀子
 ・文学、絵画、玩具など
   

 ※出典・参考文献:『日本の皿屋敷伝説』 伊藤篤著、 『姫路城史』橋本政次著、
          『姫路市史 第14巻』、姫路文学館特別展図録『怪談更屋敷のナゾーお菊さんー』
  
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