12月18日(月) 天気:晴れ のち 曇り 室温:14.0℃
きょうは 赤穂市東有年の有年山城跡(八幡山城、大鷹山城) へ登ってきました。 いつだっ
たか 八幡神社へ 灯台を見に行ったとき この山が 有年山城跡だということを知り いつか と
思っていました。 きょうは いい天気と思ったのですが 午後は 雲が出てきて・・。
山から降りて 相生の下土居城跡にも 登りましたが これは 別のページにします。

国道2号線で 龍野、相生を過ぎて 赤穂に入り 有年東の信号で 右折して南へ行き まず
有年山の姿を撮ります。 山頂近くに テレビアンテナが見えます。 有年東へ戻り 八幡神社の
下に 車を停めます。 ここは この前 灯台を見に来たので 様子が分かっています。
11:00 スタート。 鳥居を潜り ネットを潜り 岩道を登り 八幡神社へ。

安全登山をお祈りして 神社の右から 山へ入ります。 だれが登るのか 落ち葉のいい道が
あり おまけに 赤、青、黄色のテープが あちこちにあります。 少し上ると 右に岩場があり
景色が見えるかと 寄ってみましたが・・。 ここには 古いテレビアンテナがありました。

岩の上からは 見晴らしがあり 左下に 国道2号線が見え その後方の山は 三重山?
南には 大きく蛇行する千種川が 光っています。 逆光なので 景色は かすみます。

登山道は ずっと急で 白いロープや トラロープもあります。 登るときは ロープを使わ
なくても 登れますが 降りるときは 岩や落葉で 足が滑るので また 足場の土が崩れるので
ロープのお世話になりました。 山頂まで ずっと急な登りでしたが 地図でみると 登山口
から 山頂まで 水平距離 約600m、標高差180mなので 平均斜度 約17度。

11:34 登頂。 山頂は やや広めの平坦地で 中央に きれいな四等三角点:片山 が
あります。 ポールに ”標高201mの大鷹山にある本郷家の祖・本郷掃部守直頼(赤松信濃守
範資の三男)が 貞和年間(1345~1350)に 城主となったらしい。 その後 富田右京が
入城。 1543年 浦上宗景に攻められ 落城したとされる。” とあります。

山頂は 雑木に囲まれ 見晴らしはよくありません。 わずかに 木々を透かして 北が見える程度。
西尾根に降りると なだらかな平坦地が続きます。

直径3mほどの窪地が 2か所ありました。 井戸跡とも思えませんが・・。 尾根が北へ曲
がる所まで行きましたが 万両の赤い実があるだけで 城の遺構は見つけられませんでした。

山頂へ戻り 今度は 北東尾根へ降りてみました。 こちらも平坦が続きますが・・。
石垣のような遺構は見つけられませんでした。 山頂へ引き返します。 12:00 下山。

降りるときは 下を見ながら降りるので 回りの景色も見えます。 どんどん滑り降り
ました。 下山は 早い。

12:24 車に降りました。 車で 一息入れて 若狭野の下土居城跡へ向かいます。

。。。。。
。。。。。。
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きょうは 赤穂市東有年の有年山城跡(八幡山城、大鷹山城) へ登ってきました。 いつだっ
たか 八幡神社へ 灯台を見に行ったとき この山が 有年山城跡だということを知り いつか と
思っていました。 きょうは いい天気と思ったのですが 午後は 雲が出てきて・・。
山から降りて 相生の下土居城跡にも 登りましたが これは 別のページにします。



国道2号線で 龍野、相生を過ぎて 赤穂に入り 有年東の信号で 右折して南へ行き まず
有年山の姿を撮ります。 山頂近くに テレビアンテナが見えます。 有年東へ戻り 八幡神社の
下に 車を停めます。 ここは この前 灯台を見に来たので 様子が分かっています。
11:00 スタート。 鳥居を潜り ネットを潜り 岩道を登り 八幡神社へ。



安全登山をお祈りして 神社の右から 山へ入ります。 だれが登るのか 落ち葉のいい道が
あり おまけに 赤、青、黄色のテープが あちこちにあります。 少し上ると 右に岩場があり
景色が見えるかと 寄ってみましたが・・。 ここには 古いテレビアンテナがありました。



岩の上からは 見晴らしがあり 左下に 国道2号線が見え その後方の山は 三重山?
南には 大きく蛇行する千種川が 光っています。 逆光なので 景色は かすみます。



登山道は ずっと急で 白いロープや トラロープもあります。 登るときは ロープを使わ
なくても 登れますが 降りるときは 岩や落葉で 足が滑るので また 足場の土が崩れるので
ロープのお世話になりました。 山頂まで ずっと急な登りでしたが 地図でみると 登山口
から 山頂まで 水平距離 約600m、標高差180mなので 平均斜度 約17度。



11:34 登頂。 山頂は やや広めの平坦地で 中央に きれいな四等三角点:片山 が
あります。 ポールに ”標高201mの大鷹山にある本郷家の祖・本郷掃部守直頼(赤松信濃守
範資の三男)が 貞和年間(1345~1350)に 城主となったらしい。 その後 富田右京が
入城。 1543年 浦上宗景に攻められ 落城したとされる。” とあります。



山頂は 雑木に囲まれ 見晴らしはよくありません。 わずかに 木々を透かして 北が見える程度。
西尾根に降りると なだらかな平坦地が続きます。



直径3mほどの窪地が 2か所ありました。 井戸跡とも思えませんが・・。 尾根が北へ曲
がる所まで行きましたが 万両の赤い実があるだけで 城の遺構は見つけられませんでした。



山頂へ戻り 今度は 北東尾根へ降りてみました。 こちらも平坦が続きますが・・。
石垣のような遺構は見つけられませんでした。 山頂へ引き返します。 12:00 下山。



降りるときは 下を見ながら降りるので 回りの景色も見えます。 どんどん滑り降り
ました。 下山は 早い。



12:24 車に降りました。 車で 一息入れて 若狭野の下土居城跡へ向かいます。



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新登山道が作られ、城跡が整備されたことは
新聞を見て知っています。
昨年9月 「播磨の山々」というページを見ていて 知りました。
たまたま散髪に行って 新聞を見ると 載っていました。
20年9月23日のページに そのことを書きました。
https://blog.goo.ne.jp/1945ys4092/e/63f453c2be8aaca5ec6ede64d0b13097
「播磨の山々」の人は 2度行かれて 2度目は 山頂から 東へ降りられたようです。
私は いまは体力がないので 山登りはできないかも・・。
2019年12月にネオ・アート 氏平源吾・山本雅也・真鍋令子の三人展がホテルシーショアリゾートで開催されましたが、その時にブログに掲載されました。写真を拝借したく確認させて頂きました。
目的は、ネオ・アート記念誌を4月に発行する予定のため。 携帯080-5363-8210まで連絡いただきたく宜しくお願い致します。
どうぞ 使ってください。 もともと著作権は山本さんにあるのですから。
歓創居で 短冊展があるそうですが・・・。
Yさんの作品もあるので・・・。