私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

美術工芸館で 林田焼 と 河野鉄兜展

2016-06-09 13:41:45 | ギャラリー散策
 6月 9日(木) ロックの日  天気:小雨 のち 晴れ   室温;28.1℃

 きょうは 書写の里・美術工芸館へ ”ー幻のやきものー林田焼と河野鉄兜展”~烈々たり不滅の忠魂剣刃
を 潜んで 詩文に舒ぶ 勤皇の詩人~ を見に行きました。 幸い 写真撮影は OKでした。
 河野鉄兜(てっとう)は 網干生まれの幕末の漢詩人で 林田藩校の教授でした。 展示は 書や焼き物など
120点。   今年は 郷土の偉人である 河野鉄兜先生の没後150年にあたります。

 工芸館では まず 清水公照関係の展示を見ます。 公照の掛軸や コレクションの焼き物などが 展示されて
います。   ”特別展示 没後80年 木の匠 市川周道” も していましたが・・・。 聖観音立像は よかった!



河野鉄兜は 家にあった鉄兜からつけた号で 本名は 絢夫。
 鉄兜は 文政8年(1825)に 網干の余子浜に 医を業とする家に 生まれました。 5歳の時から 父について
漢籍を学び 15歳の時に 一夜にして 漢詩を100編つくりあげ 神童と呼ばれるなど 儒学、国学、漢詩 など
に秀で 特に 「芳野」 の詩は 梁川星巌・藤井竹外と ともに 芳野三絶と言われ 全国的にも知られています。

 嘉永4年(1851) 27歳のときに 林田藩主・建部政和により 林田藩校 「敬行館」 の教授として 迎えられ
安政元年(1854)からは 林田に 居を移しました。  そして 43歳で 没するまで 全国から多くの志士・文人・
学者が 河野鉄兜先生を訪れ この林田に足跡を残しました。

 林田の自然を詠んだ詩も 多く残され 地域の誇りとして 今もなお 人々の心に 生き続けています。 鉄兜
先生を 葬った道林寺は 建部家の菩提寺であり 先生は 道林寺あたりの四季折々の情景を好み よく訪れ
ていました。 この墓は 後に 追分の峠の墓地に 改葬されました。

 鉄兜には 11歳年下の弟・東馬がいますが 私の住んでいる網干には 「誠塾」 や 生家跡が残っていて
兄・鉄兜より 弟の東馬の方が 有名です。  東馬は 長州藩の桂小五郎や 江戸の勝海舟らとも親交があり
網干には 勝海舟の揮毫した顕彰碑があります。

 林田焼は 江戸時代前期に 西播磨地方で 一番古くから焼かれた焼の物で 京都で活躍した野々村仁清
が 林田に来訪し 指導したとの伝説があります。 証拠資料はありませんが 古清水焼の色絵や 鉄絵の上品
な雅陶品が残っていますので 仁清と林田焼の関係は 否定できないと 述べている研究者もいます。
 展示品につけられている札には 灰釉色絵草花文輪花小皿、罅釉色絵兎文松形皿 などがありますが・・・。
※罅釉とは:美術品にみられる罅釉(ひびぐすり)は、釉にひび割れの入ったもので、釉の熱膨張率が素地の
 それよりも大きいときに発生する。

 林田藩3台藩主・建部政宇(まさのき 1642~1716)が 地元産業奨励のため 林田町八幡字釜河内
東山麓と 上構鴨池の西北丘陵地の2ヵ所に 窯を築き 製陶したと伝えられています。
 長皿、扇面皿、香炉、茶碗、向付などに 赤字で陶印がある半陶半磁の色鮮やかで 高雅な作品でありま
す。  胎土や 釉調が 京焼と似かよっているので 見分けが難しいところがありますが 貫入を意識して
誇張したつくりは よく見ると 区別ができます。 資料・文献が 非常に乏しく 藩焼として 焼成された期間
が わずか数十年であること 色絵の鮮やかなこと 仁清の来訪などの要素が 加わって 林田仁清焼 ま
さに 幻の陶器と言われています。


林田藩と敬業館
 林田藩の成立は 豊臣政権下で 尼崎郡代700石であった建部光重の子・政長が 藩祖であります。
建部氏は 外様大名でありながら 明治維新まで 10代政世まで 250年余り 林田藩を治めました。
 また 3名の藩主が 大番頭となっています。 中でも 3代・政宇(まさのき)は 伏見奉行になり
後に 寺社奉行にもなっています。

 7代・政賢は 寛政6年(1794) 藩校・敬業館を開きました。 9代・政和は 大番頭として 京都
二条城守護に就き 藩校敬業館振興のため 藩校の講師に 河野鉄兜や 石野廣裳を迎えました。
 藩校へは 士族の子弟は 8歳になると入学し 16歳で 卒業しました。 また 学術品行に優れた
者は 藩費で 遊学させるほか 庶民でも 志願者は 入学を許され 授業は 一様に区別なく行われ
ていたといわれています。
 この敬業館の講堂は 文久3年(1863)に 消失ののち 復興。 今は 県下に 残る唯一の藩校の
建物として 現存し 平成4年 姫路市指定重要有形文化財に 定されています。 林田藩は 明治4
年(1871) 廃藩置県により 林田県になり その後 飾磨県を経て 兵庫県に編入されました。

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