私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

前田遺跡・中筋遺跡 発掘調査 説明会

2018-08-26 14:44:31 | 歴史探索
 8月26日(日)   天気:晴れ   室温;33.7℃

 きょうは 23日の新聞に載っていた網干区高田の前田遺跡7区、中筋遺跡6区の
発掘調査 現地説明会に 行ってきました。  カンカン照りの暑いなか 100人以上
参加していたでしょうか。 世の中には 好きな人がいるものです。
 遺跡は JR網干駅の南西 約1kmのところにあります。



 (公財)兵庫県まちづくり技術センターでは 主要地方道太子御津線建設に伴う
発掘調査を 2015年度から揖保郡太子町および姫路市網干区で 行ってきました。
 これまでの太子町 鍛冶田遺跡、網干区 中筋遺跡、同前田遺跡の発掘調査で 縄文
時代晩期の旧河道が見つかったほか 弥生時代から 古代にかけての集落遺跡が 揖
保川左岸の微高地を中心に営まれてきたこと、その後 鎌倉時代ごろに 地形が平坦
化し 遺跡の分布が広まったことが 分かってきました。
 今年度は 前田遺跡7区、9区 および 中筋遺跡1区、6区で 発掘調査を行い
ました。
 <これまでの前田遺跡・中筋遺跡の調査概要>・・省略


<調査の成果>
 弥生時代:中筋遺跡6区から 円形の竪穴住居跡と溝が見つかりました。 また
  弥生時代前期後半~中期前半の土器が 出土しています。
 古墳時代:前田遺跡7区、中筋遺跡6区で 方形の竪穴住居跡が 複数棟見つかり
  ました。
  特筆すべきは 前田遺跡7区の住居跡から 出土した須恵器です。 5世紀初頭
  の朝鮮半島より 須恵器の技術が 渡来した初期のもので 全国的に見ても 出土
  例は 非常に少ないです。 一方 中筋遺跡6区の住居跡は 前田遺跡7区より
  新しい 6世紀のもので 比較的長い期間 この周辺が 集落として 選ばれてい
  たことが分かります。
 古代(飛鳥時代~平安時代):前田遺跡7区では 方形の柱穴が見つかったほか
  須恵器や平瓦などが見つかっています。
 中世(鎌倉時代~安土桃山時代):前田遺跡7区、中筋遺跡6区で 溝、柱穴や
  墓の可能性がある土坑が 見つかっています。
 ※なお、既に 発掘調査を終えた 前田遺跡9区からは 古代~中世の掘立柱建物跡、
  柱穴、中世墓と思われる土坑、溝などを 検出しました。


<まとめ>
  今回の発掘調査では 弥生時代~中世にかけての幅広い時期の遺構や 遺物が
 見つかりました。 特に 前田遺跡7区から出土した 5世紀初頭の初期須恵器は
 朝鮮半島南東部との関わりの一端を示す資料です。 この他にも 石製紡錘車など
 渡来人との関係を示す資料も 見つかっています。
  また 時期は 少し新しくなるものの 昨年度出土した 5世紀末の装飾付須恵器や
 黒色の土器なども 朝鮮半島との関係性がうかがえる資料です。 当遺跡(地域)が
 渡来人などの影響を受け 朝鮮半島の先進的技術を いち早く取り入れてきた集落で
 あることが 分かってきました。



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コメント
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