私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

揖保町の雲門山 宝林寺

2018-08-16 14:22:17 | 歴史探索
 8月16日(木)    天気:曇り    室温:30.9℃

 きょうは 揖保町の臨済宗 雲門山 宝林寺を訪れました。 きょうは 雨の降りそうな
曇り空で 少し風もあるので 少しは涼しいかと思い 自転車で行きました。 しかし
きょうは 蒸し暑く 向かい風で・・・。  宝林寺は 7月31日の新聞の ”はりま
歴史探訪” に ”大燈国師を紙芝居に” と 載っていました。
 大燈国師(1282~1337)は 京都の臨済宗・大徳寺を開山したそうで ここ
宝林寺が 生誕地です。  しかし きょうは あいにく住職さんが 不在で 門が締まり
中を見ることができません。    以前 西国街道を歩いたとき 街道の傍にあるので
ちょっと 寄り道したことはあります。  2015年2月21日 のことです。

 きょうは 自転車で行くので まず 林田川の手前にある石海神社へ寄ります。 ここ
宮本村は 宮本武蔵の生誕地として 知られて?います。 神社の前に 武蔵の碑があり
ます。 宮本武蔵は 自筆の書 五輪書の序文に 時 寛永二十年十月 上旬のころ 生国
播磨の武士新免武蔵の守 藤原玄信 年つもって 六十・・ とあり 鵤の荘 宮本村が 宮
本武蔵の生誕地と考えられています。



 大燈国師は 武家の家に生まれ 神童と言われるほど頭がよく 11歳で 書写山円教寺
に入り 仏教を学び始めた。 17歳の時、禅宗に入ることを決めて 京都に上がり 約
20年間 修業を積み やがて 花園天皇の帰依を受けて 大徳寺を開山したとされる。
 しかし 宝林寺が 大燈国師の生誕地ということは 地元では ほとんど知られていない。
そこで 住職は 国師の生涯や功績を 分かりやすく伝えるため 紙芝居を作ることを 思いつい
た・・。 出来た紙芝居は 18枚からなり 大燈国師の生い立ちなどを 一休さんが 語る形
で ユーモラスな絵で 紹介している。



 宝林寺は 以前 何かで聞いたことがあると 悩んでいましたが やっと思いだしました。
昨年 3月の歴史教室で 姫路文学館の玉田先生が 司馬遼太郎の話をされたとき 13.宗論
で ふれておられました。
 13.宗論
  宗峰妙超(大燈国師)-宝林寺  盤珪禅師ー龍門寺
  禅というのは 天才の道で 常人にとって毒物かもしれないということを 私は かねて感じていた。
  専門に 僧侶として 衣食するようになれば いよいよ禅から遠くなり そのくせ 禅という・・「花のことども」


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コメント
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