私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

和久遺跡 第10次調査 現地説明会

2018-03-25 15:08:35 | 歴史探索
 3月25日(日)   天気:晴れ   室温:20.8℃

 きょうは 和久遺跡 第10次調査 現地説明会に 行ってきました。 22日の新聞に
「集落区切る溝を確認 和久遺跡 弥生後期の2本」 という見出しで 載っていました。
 弥生時代から 古墳時代初めにかけての 大規模な集落跡が確認されている 和久遺跡で
集落の内と外を区切る 弥生時代後期(3世紀後半) の溝2本がみつかった・・・。
 今回の調査区は ツカザキ病院・病棟の北側の駐車場との間の狭い個所です。

 きょう 13:30から 現地説明会が行われたので 行ってきました。 もらった
資料には 今回の調査経過と これまでの調査成果を合成すると 上の図のようになり
ます。 和久遺跡は 揖保川東岸に広がる微高地に 立地しています。 今回の調査では
この微高地の傾斜面で 南北方向の区画溝を 2条検出しました。

 この区画溝よりも西側は 平成17年(2005)に行われた確認調査で 低湿地に
よって広がることが 確認されています。 そのため 今回見つかった区画溝は 微高
地に形成された集落の内と外を 人為的に区画した可能性が 高いといえます。

 また 柵については 区画溝が埋まった後の古墳時代初頭に 設置されたことが 明ら
かになりました。 この時期は 和久遺跡から北東約1.8kmに位置する 播磨最古
の前方後円墳とされる瓢塚古墳が造られるなど 弥生時代から 古墳時代の時代の転換
期といえます。 こうした時期に 溝が埋まり 柵が設置されたことは 和久遺跡の集
落再編がなされたことを示す 重要な発見といえます。   姫路市埋蔵文化センター

 和久遺跡は 世良い時代から 古墳時代を中心とする集落遺跡です。 平成13年に
第1次発掘調査を実施した際には 100棟を超える竪穴住居などを 検出し 姫路市
を代表する遺跡の一つであることが わかりました。 その後 幾度も発掘調査を行い
平成23年に実施した 第9次調査では 住居域の南側で 旧河道や 墓域などを検出す
るなど 当時の集落景観が 徐々に明らかになってきています。

 今回の調査では 弥生時代後期の溝5条・竪穴住居10棟、古墳時代の柵1列・竪穴
住居5棟、中世以降の堀立柱建物や 畑の畝溝などを確認しました。
 溝18は 幅約0.3m、深さ約0.3mを測ります。 側面は 垂直に立ち 溝底
で 柱穴状の遺構を 21基確認しました。この溝の類例としては 飯田にある畑田遺
跡の方形区画の柵が挙げられます。 この柵は 溝の中に柱を立てる 「布掘り」 とい
う手法で作られていました。 

 溝4・溝19は 幅約1.5m、深さ約0.7m、全長約25mを測ります。 溝の
断面は 逆台形状で 人為的に 掘削されたものと考えられます。 溝4・19は 微高
地に形成された集落の内と外を 区画する溝であった可能性があります。 溝4の東肩
からは 土器が多量に見つかりました。 これは 集落の人々が 投棄したものと思われ
ます。 土器は 外面にタタキ調整を施すカメなどが 多く出土していることから 弥
生時代後期に 埋まったと 考えられます。

 今回の調査では 竪穴住居を 15棟検出しました。 竪穴住居の平面形は 方形のも
のと 円形のものを確認しました。 竪穴住居15では 床面に盛土したベッド状遺構
が見つかりました。 ベッド状遺構は 寝台のほかに 物を置く場所や 祭壇に使われて
いた可能性があります。


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コメント
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