私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

はりま歴史探訪 博文館跡と道路元標

2018-03-11 12:08:16 | 歴史探索
 3月11日(日)   天気:晴れ    室温:16.5℃

 きのう 赤穂の図書館へ行ったついでに 赤穂藩の藩校・博文館跡を見てきました。
2月13日の新聞の ”はりま歴史探訪” に載っていました。 ついでに 旧赤穂郡の 道路
元標を 5つ 探しまわりましたが 一つ(赤穂町)は 空振りに終わりました。

 図書館で 四季彩展を見て 赤穂城の北を廻り 赤穂城の北西にある塩屋門へ行きます。
塩屋門の前に 鶴の丸公園があり ここに 博文館跡の標柱が 立っています。 鶴の丸公
園の名は 藩主の家紋から 命名されたそうです。

 赤穂城は 正保2年(1645)に 朝の内匠頭長矩が 常盤国笠間から 入封し 近藤三郎
左衛門正純に 築城を命じ 実に 13年に亘る歳月を費やし 寛文元年(1661)に 完成し
たものである。
 塩屋門は 赤穂城の搦め手の門として配され 高麗門一門からなる。 その規模は 間口約
4m、建築面積約165㎡であったという。 門を入ると 内部は 枡形をなし 門正面には
高さ4.5mの枡形石垣、左手は 雁木、場内には 右手方向へ進路をとる。 枡形内には 番
所と 太鼓櫓があり この櫓から 塩屋門の周辺に 屋敷を構える藩士への合図を発した。

 博文館が 開校したのは 安永6年(1777)。 元禄赤穂事件で 浅野家が取り潰しとなっ
て後に 赤穂藩の藩主となった森家の時代。 家中の子弟教育のため 塩屋門外に完成した藩校。
 落成にあたり 赤松滄洲・蘭室は 「博文館学藩」 を制定し 教育の基本方針とした。 明
治時代になると 藩校はなくなり 新たにできた博文小学校の校舎には 博文館の講堂が使われ
た。 博文小学校は 合併や移転を経て 今の市立赤穂小学校に つながっている。

 この後 赤穂町の道路元標を 探すため 加里屋の民俗資料館へ行きます。 資料館では ”お雛
さま展” をしていますが 見る余裕はありません。 探しましたが この辺りには 見当たりません。
私の情報が 間違っていたようです。 兵庫県の道路元標で 探し このページで 確認しましたが・・。


 資料館を後にして 赤穂大橋を渡り 北へ進むと 突き当りに 尾崎村の道路元標があります。
ここの元標は 説明板付きです。 川の傍には 小守地蔵もあります。


 坂越村道路元標へ行きます。 坂越橋の袂へ戻り トンネルを抜けて 坂越港の信号脇の駐車場
へ車を停めます。 交差点北の旧坂越浦会所の前に 坂越村道路元標があります。 坂越の字は
阪の字になっています。


 高取峠を越えて 相生へ戻り 国道250号線を進み 文化会館へ車を停めます。 文化会館前
の道を東へ 100mほど行くと 角に 相生町道路元標があります。 大正時代に設置された元
標は無くなったのか 真新しい元標が 設置され 横に 旧道路原票の模造品があります。 模擬
元標には 大正8年の道路元標は この場所にあった とあります。

 相生市街に戻り 旭大橋を渡り 那波本町へ行きます。 ここに 那波村道路元標があります。
角から 10mほどのところにあり すぐ分かりました。 

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コメント
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