アナーキー小池の反体制日記

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#2888 記し継ぐべきこと ⑬ 滝川から太郎吉蔵へ(中)

2018年12月28日 | マチの事件簿
NPOのアートチャレンジ滝川が設立されてまもなく、五十嵐威暢氏は芸術公園都市構想を公表し市に提出しました。
滝川公園を活用しようとする、それほど大袈裟で大掛かりなものではありませんでした。

同時に、当時アメリカに住んでいた五十嵐氏のアトリエを市内に設けるための候補地の紹介を求めたのでした。
滝川市は五十嵐氏の求めに応じ、遊休建造物数点を紹介しました。

五十嵐氏は紹介された建造物を一通り見て回り、その中の旧浄水場をいたく気に入ったのです。
浄水場内には、鋼製の巨大な曲管や舵輪(だりん)やフランジなどがそのまま残っています。
五十嵐氏は、そんな設備そのものがアートなんだ、と申し、アトリエ兼作品展示場の構想をたて市と協議に入りました。

協議は難航し、そのうち市からの接触は無くなったのです。
旧浄水場は雨漏りがしていました。
また、浄水場だったのに水道が引かれていないのです。

・・・
五十嵐氏は若いころからアメリカでの生活でしたので、全てにおいてアメリカナイズドされています。
大変合理的で、率直な物言いをします。
雨漏りの修繕と水道は市が手当てしてくれ、と申し入れました。
市は難色を示しながらも、回答を先延ばししました。

滝川市は、旧浄水場の建造物について、水道企業会計の財産だから簡単に使用させることはできない、とも、目的外使用が許されるのか確認が必要、とも言い出したのです。
これから使うはずのない、負の財産なのに。

そんな状況が何年か続いたころ、五十嵐氏に隣ムラから廃校になる小学校校舎を提供しよう、との話が持ち込まれたのです。
ムラが校舎を数千万円かけて改修し、アトリエとして使用できるようにする、という条件でした。
滝川市の対応に嫌気がさしていた五十嵐氏は、隣ムラの提案に応じたのでした。
このマチの出身である五十嵐氏は、このマチに対する愛着がとても強いものがあったのですが・・・

隣ムラの五十嵐氏のアトリエ兼作品展示場は数年前に開設され、週に一度は五十嵐氏が作品制作のため訪れ、アートやデザインに興味のある人が来館し作品を鑑賞しているようです。

このマチの旧浄水場は、負の遺産として朽ち果てるのを待っている状態が続きます。
いえ、旧浄水場は鉄とコンクリートの塊ですから、いつまでたっても朽ち果てはしないのです。

A・C・Tの名称変更の件、以上ですが、次回はこのマチが五十嵐氏をヨイショ、の話です。
ドーユーわけなのでしょう?

続きます。
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