アナーキー小池の反体制日記

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#1477 "しょっちゃん"逝去

2014年06月22日 | ボクのルーツ
"しょっちゃん"とはボクの母の弟で、竹中昭永(しょうえい)さんの愛称です。
ボクも幼い頃から"しょっちゃん""しょっちゃん"と呼び親しんでいたものです。
その"しょっちゃん"が先日の17日に亡くなり、自宅のある浦河町で葬儀が行われました。
ボクも車で葬儀に参列しましたが疲労が抜けず、ブログにも向かえない状態でした。

母方は三男一女の4人兄弟、今回は亡くなった竹中昭永さんは、末っ子でした。
昭和6年12月26日様似町鵜苫(うとま)に誕生。
中学卒業後、家業の水産加工業、運送業に携わり、結婚し一男に恵まれました。
その後、日通浦河に入社。
一生のほとんどをドライバーとして誇り高く過ごしました。

全道が仕事エリアでしたので、各地で出会ったことを面白おかしく話してくれたことが想い出されます。
ブルーカラーの矜持を持ち、また半面ホワイトカラーへの反発心を持った人でした。

ボクが就職して間もなく帰省した際、「テイチ(ボクの呼び名)も首からコンブさ、ぶら下げてるのか?」と茶化(ちゃか)すのです。
ボクは「うん、たまにね」って答えました。
郷里ではネクタイを締めることを、首からコンブをぶら下げるというのです。

ボクのネクタイ嫌いはその時から始まったのかもしれません。
いえ、生まれながら昭永叔父の気質を色濃く受け継いでいるのかもしれません。
実直で正直で正義を愛し、ちょっとへそ曲がりで気難しいところがあって、酒と煙草と麻雀を愛し、家族を愛した、そんな人でした。
町内会の活動も熱心で、交通安全やごみの分別回収について長い間役員を行ったそうです。
ごみの分別回収は導入時から担当し、分別違反した人にずけずけ指導したものだから、鬼のように恐れられたそうです。
葬儀の際、町内会の役員からそんな話しを聞き、昭永叔父ならありえると納得したものです。

医者に掛かった事がなかったほど健康だった昭永叔父。
病院が嫌で病院に行こうとしなかった昭永叔父。
どうにか病院に連れて行った時には肺がん末期で、入院し1ヶ月で亡くなりました。
"しょっちゃん"満82歳、立派な往生でしたよ。
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