アナーキー小池の反体制日記

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#2713 上美野和物語 ⑤

2018年06月22日 | ボクのルーツ
排水溝を造ることなどは、共同作業です。
集落民総出で、泥炭を掘り、埋もれ木を切り出し、立木を切り倒し根を掘り上げたのです。
集落の民の団結心が無ければ、成されるものではありません。

記念誌によると、明治40にはすでに和寒別貯蓄組合が設立されています。
開拓途上の恵まれない生活環境を改善しよう、と意図したものでしょう。
他にも先進的な取り組みが行われており、美野和の民の強い団結心・協調心が窺(うかが)われるのです。
その子孫のボクは・・・真逆な性格ですが。

毎年9月15日は入植記念日として集落皆でお祝いをし、10年ごとに記念誌を発刊しています。
そして大きな節目の100年です。
大がかりな祝賀会が催され、記念碑をを建立し、この豪華な”上美野和百年”の発刊です。

・・・
“上美野和百年”によると昭和33年、1歳の時に父・長松とともに入植した長松の長男・清が美野和を離れ、三石町本町に転居した、とあります。
清伯父は前年の昭和32年に町議を辞し教育長になった、とありますので、職場の関係からの転居、と思われます。

それまで清伯父は、三石町役場や議場に10㎞ほど離れた美野和から自転車で通っていました。
その道筋にボクの家があったものだから、ちょっと寄ったりしていましたが、途中 峠がある砂利道をよく通ったものだ、と今頃になって感心しています。
小学校へ6㎞の徒歩での通学で鍛えていますので、何の苦も感じなかったのかも知れません。

清伯父が転居した昭和33年といえば、ボクが小学校に入った年です。
その以前の美野和に父の実家があった当時、ボクは何回かその家を訪れています。
祖母や伯母や年上のいとこたちと、おしゃべりしたことを覚えています。

・・・
美野和には、小高いところに小さな墓地があります。
小池家のお墓があったところです。
入植した父の両親、盲目だった祖母、幼くして亡くなった父の兄姉が眠っています。
毎年8月13日の夕に家族そろってお参りしました。
小さな墓所でしたが、地元の人やゆかりのある人が結構来ていて、父は懐かしそうにそれらの人と話していました。

昭和33年に清伯父一家が美野和を離れてから、この墓地に一番近くに住んでいるのはボクの一家でした。
墓参りの何日か前、お墓掃除に行くんだけど、ボクが行くことが多かったのです。
自転車に鎌や草削りを載せて4㎞ほどを走らせてお墓に到着です。
通路やお墓の周りはすでにきれいになっています。
父は「青年団の人がやってくれているんだ」と言っていました。
ボクは墓石の周りの少しのところの草を刈ったり、削ったりするだけです。

ボクが就職してから何回も、8月13日のお墓参りをしました。
中学校の同級生に会ったりして、懐かしがったものです。

その美野和のお墓、昭和60年頃、清伯父一家が東京に転出する際、一緒に東京に移されたのです。
お墓のあった場所は、ぽっかり空いた空地になりました。
それでも父は、両親が眠る地、として毎年その空地に迎い、手を合わせるのでした。
信仰心の薄いボクは、一度きり父に付き合って空地参りをしました。

次回は現在(20年前)の上美野和の様子です。
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