アナーキー小池の反体制日記

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#4530 記し継ぐべきこと ⑩ 滝川市の負の遺産(吉岡分・1)

2023年10月13日 | マチの事件簿

“記し継ぐべきことシリーズ”続きます。
滝川市で今までに起きた出来事を記し継ぐことによって、同様の轍を踏まないよう戒めとならんことを願っています。

・・・
昨今、世界遺産やら日本遺産やら北海道遺産やら、遺産ばやりです。
このマチも負けていません。
世界に誇る遺産がいっぱいあるんです。負の遺産ばかりですが。

このマチ滝川の負の遺産、大きく分けて2種類あるんです。
2種とも当時の市長が生み出したもので、便宜上、吉岡遺産と田村遺産と呼びましょう。
双方とも、当時の市長の名字を冠しました。
今回からのはそのうちの吉岡遺産です。

吉岡(負の)遺産って、40年も50年も前の滝川市長だった吉岡清栄が、このマチに遺した大いなるマイナスの遺産です。先に記した暗黒時代の元凶ですが、そのことは重複しますので省略します。

吉岡清栄は昭和46年(1971)から平成3年(1991)までの20年間にもわたり、滝川市の市長を続けたんです。
その期間、ちょうど日本の高度成長期にあたるんですが、そのせいでしょうか、当時 彼の評価は高いものがありました。

公共事業予算の分捕(ぶんど)り合戦で、高い成果?をあげたのです。
他の似たような規模の自治体に比べ、国庫補助金の獲得が早くて大きかったのです。そのことが良いのか、は疑問が残ることなんだけど。
しかし、彼の市長としての晩期は異常でした。
その異常さを4年前に記したものがありますので再掲します。

#3033 滝川遺産(吉岡分)  2019年5月24日 の再掲
世界遺産、日本遺産が仰山(ぎょうさん)あるんだから、滝川遺産も指定しなければなりません。
ボクの住むマチ滝川にもたくさんの遺産があります、負の遺産ばかりですが。
とりわけ多いのが、吉岡清栄君が40年ほど前 市長だったころに造ったモノです。
負の遺産として後世に引き継がなければならいモノが、ボクの頭の中に10も20も浮かんできます。
ボクはその中から3点選びました。
迎賓館と呼ばれる市民会館、廃棄ミニ飛行機の展示施設、百年記念塔です。
このうち愁眉と目されている迎賓館と呼ばれる市民会館は、壊されるとか、壊されたとか聞きます。
迎賓館と呼ばれる市民会館は、滝川市の負の遺産として後世に伝えなければなりません。
負の遺産となることが、火を見るより明らかでサルでもわかる、ことだったのに、当時の愚かな首長とポンコツ議員どもが決めちゃったんです。
・・・
迎賓館を取り壊した跡地にでも・・・仕方ありません。
滝川遺産、と銘うった石碑を建立し、迎賓館を建てるに至った経緯とその利用状況、解体に至るまでに要した費用などを書き入れます。
当時市長だった吉岡清栄君の名と、当時の議会で議案に賛成したポンコツ市議の名を碑に刻んで後世に伝えなければなりませんのです。


2019年5月24日記の #3033 滝川遺産(吉岡分) の再掲でした。
この時は迎賓館が壊されているのかどうか、確かめもしないで記したんです。
この2か月後、迎賓館がちょうど取り壊されているのを見て、この5ヶ月後に次のを記しましたので次回に再掲します。

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