アナーキー小池の反体制日記

世界中のひとが 仲良く助け合い ほほえみながら 平和に暮らしていくために (イマジン)

#274 冤罪

2009年06月05日 | 犯罪と防犯と審判
前回に続き裁判ものです。

昨日、足利事件の無期懲役囚、菅家氏が釈放されました。
再審も開始されない時点での釈放は異例なことです。
ホンのちょこっと評価します。

真っ先に思ったことは、菅家氏の判決が死刑でなくてよかったということです。
最近の厳罰化をみると、幼女を一人殺しただけで死刑は充分ありえるのです。
無期懲役だから今回の釈放となりましたが、死刑の判決が出ていた場合、死刑が執行されていたかもしれません。

昨年、死刑が執行された似たような事件の犯人のDNAを再検査するとの情報があります。
もし菅家氏と同じ検査結果だとしたら、取り返しがつきません。
もう10年以上も前から、DNA鑑定は精度を飛躍的に増しています。
それがわかっていて、再検査もしないで処刑するなんて信じられません。

菅家氏の場合も、裁判所が常識をわきまえていれば10年は早く釈放されていたはずです。
そして事件は時効を迎えてはいなかった時点ですから、再捜査も可能だったはずです。
真犯人が見つかっていたかもしれません。

菅家氏は警察、検察、裁判所に強い不信感を持ち、絶対許せないといっています。
当たり前です。
ボクならこう言います。
「残された人生の全てを彼らへの復讐のために捧げる」と。

死刑はやはりいけません。
取り返しがつきません。
今までどれほどの人が国家に殺されてきたか。
国家に救われた人の何千倍も何万倍もの人が殺されていると言われています。
死刑はいけませんし、国家はいりません。

こんなことを言っていると、逮捕されて国家転覆罪で死刑を宣告されるかもしれません。
国は今まで、そんなことをたくさんしているのです。
そして、国家を維持していくのに邪魔な人を殺してきました。

どこそこの誰かさんと同じように、国家と死刑は百害あって一利無し、なのです。
おっと、百害あって一利だけ有り、でしたか?
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