今回は4年半前に投稿したものの再掲をし、滝川市の負の遺産の根源に迫ります。
#2303 昔の首長の遺(のこ)した”者(モノ)” 2017年5月6日投稿
昔の市長とは、前回登場の30年も40年も前の吉岡市長のことです。
紹介したとおり、噴水とか時計塔とか防犯灯とかに強いこだわりを持っていました。
そんなんだけでなく、百年記念塔とかオンボロ飛行機展示館など、今となってはただのゴミ、いえ負の遺産となっている物(モノ)をたくさん造りました。
しかし彼の遺(のこ)したものは、物(モノ)だけではありません。
者(モノ)もしっかり遺しちゃったのです。
昔の市長の悪いところばっかり取り上げていますが・・・確かに悪かったのです。
確かに悪かったのだけど、彼の遺した一番の負の遺産は、彼を崇拝する者たちを大量に創り出したことです。
なぜなら、その悪影響は今日にまで及んでいるからです。
昔の市長は自分の意のままになるポチを重用しました。
そのポチたちが長らく、昔の市長の作法を習っておんなじ事を続けたのです。
昔の市長からポチ市長が生まれ、そして6年前に昔の市長にしがらみのない新市長が誕生しました。
しかし、幹部職員にはポチたちが多く残っていました。
近年、そんなポチたちが定年退職を迎え、職場を去りました。
まだ少しは残っているのかもしれませんが・・・一掃されるのは時間の問題です。
・・・
昔の市長の悪行を書き連ねましたが、まだ肝心なのが残っています。
反イノマタを公然と掲げてもいたのです。
昔の市長は反イノマタを貫き、昔の市長の後継ポチ市長たちも忠実に継承しましたが、途中 一夜にして寝返りました。
その節操の無さに呆れ返ります。
一夜にして寝返ってイノマタ邸詣でをするんですから、昔の吉岡市長はお墓の中で怒っていることでしょう。
・・・
10年ほど前に頻発した全国的な事件の数々、昔の市長がもたらした悪弊が要因となっています。
上司の言いなりで何も考えることをせず、多くの職員が悪行に手を染めたのです。(悪行を成したのには市長も副市長も含まれます)
後継の首長は、周りをポチばかりにすることに徹していたのです。
そして、ポチはポチの再生産に励みました。
昔の市長の呪縛から解かれるのに、半世紀を要します。
半世紀ってとっても長いのです。
このマチは開基130年しか経っていないのです。(その前から先住者がいましたから、侵略130年が正しいのですが)
以上、#2303 昔の首長の遺(のこ)した”者(モノ)” 2017年5月6日投稿の再掲でした。
今では吉岡清栄元市長の直接の指導を受けた職員はほとんどいなくなりました。
でも、吉岡清栄元市長の薫陶を受けたポチ職員の影響を捨てきれずにいる、職員はいまだ存在します。
負の遺産の連鎖です。
滝川市の負の遺産(吉岡分)、まだまだ続きます。
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