大騒ぎをして探しましたが、本は出てきませんでした。
この件がどのような結末を迎えたのか、知りません。
大人気ないやり取りに嫌気がさしました。
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このNPO、地元の活動者は20人足らずでした。
人の出入りはあるものの、20年前と数は変わりませんでした。
札幌の支援者のほうが多いんです。
催しのたび、10人以上は手伝いにきてくれました。
その姿勢に地元民として敬意を払います。
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先にちょこっと記しましたが、最初の石蔵を清掃して酷い目にあった連中の中にもA・C・Tの会員になって活動してくれた人が2名いたんです。
うち一人は、文化教育部局の幹部職員でした。
きっと、このマチ随一の文化人です。
彼は例の石蔵事件の当時の"被害者"です。
石蔵を一所懸命掃除をし、資金調達に奔走したのでしょう。
でも彼はNPO発足から一貫して協力的でした。
まちの文化を高めようとの思いなのです。
(彼は本当の意味の職業人なのかもしれません。このマチの文化向上を切に願っているのが伝わります。他の連中が小人(しょうじん)に感じられます。現に彼は、彼らのことを「チンマイのう」と評していました。
もう一人は、ボクと同じ土木職職員なんだけど文化・芸術といったものへの造詣が深く、かつ、このマチの将来についての展望を考え得る人材でした。実直で深く物事を捉えられる人でした。
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このNPOの件については、使い古された言葉を借りれば、最初にボタンのかけ違いがあっただけなのかも知れません。ただすぐ後に、醜い反五十嵐風や反イノマタ風が吹き荒れ致命傷となりましたが。
そのことが文化や芸術にはそぐわない、軋轢(あつれき)、葛藤(かっとう)が続いてしまった原因となってしまいました。
滝川市の悪態、次回に続きます。