アナーキー小池の反体制日記

世界中のひとが 仲良く助け合い ほほえみながら 平和に暮らしていくために (イマジン)

#1073 早逝した友 ④ A・徹くん

2012年09月26日 | 昔の思い出
前回のE・弘行くんと同じ平成13年だけど5ヵ月後の平成13年8月7日に亡くなりました。A・徹くん、享年49歳か50歳でした。
高校2年のクラス替えで初めて会いました。様似町の出身で、明朗闊達な生徒です。

すぐに仲良くなり、お互いの家に泊まったりしました。彼の家庭は複雑なんだけど、そんなことも平気で言い合える仲です。
あの時代としては早熟な生徒で、いろいろな遊びを教わったものです。スポーツマンで成績もいいものだから、女子生徒にもてていました。

高校卒業時、彼は望む大学に入れず、札幌の予備校に行きました。
当時ボクも札幌でしたので、最初の頃はよく会って話をしたものです。でも彼は1年間遊びすぎたのでしょう。
翌年の入試では志望校どころか、前年度合格して入学を辞退した法政大学にも落ちてしまいました。結局、東洋大学に入学です。

大学時代は彼は東京でしたし、双方とも忙しかった?ので、交友はほとんどなく、2,3度会っただけでした。
楽しい学生生活を送っているようでした。
そして卒業し、丸紅系の商社に就職しました。彼はきっと、猛烈社員だったのだと思います。
電話で時々話していたのですが、やりがいを持って仕事に励んでいるようでした。

平成13年8月7日に自殺しました。年は49歳か50歳だと思います。
東京に勤める他の同級生は、彼がちょっと前から死を口にしていたといいます。
商社で貴金属を扱っていたのですが、バブル崩壊のあおりか、大きな損害を受けたらしいのです。
単に会社に損害を与えたのなら、なんら自死を選ぶ必要はありません。何か個人で責任を追わなければならない理由があったのでしょうか。

亡くなる6年前、彼から電話がありました。
その年、平成7年8月19日に、高校のクラス会が札幌でありました。そして幹事がその模様を撮ったVHSを参加者に配ってくれたのです。
ボクはそのVHSをダビングし、参加できなかった徹くんに送りました。
それを観て、徹くんからボクに電話があったのです。懐かしい話をいっぱいし、誰がどうしてるだとかの消息も伝えました。
そのとき彼は、確かに仕事に集中していることを言っていたと思うのです。

それから6年間、彼と話することがありませんでした。
ボクには何も語らず、死んでいったのです。

・・・
高校同級生の2人の旧友の命日、クラス会の開催月日はボクが記憶していたのではありません。
クラス会の幹事をしてもらっているS・敏(さとし)くんが、情報を手紙やはがきにして送ってくれるため、それが残っているのです。
敏(さとし)くんに感謝です。
この記事についてブログを書く
« #1072 早逝した友 ③ E・弘... | トップ | #1074 早逝した友 ⑤ M・邦... »

昔の思い出」カテゴリの最新記事