アナーキー小池の反体制日記

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#1072 早逝した友 ③ E・弘行くん

2012年09月25日 | 昔の思い出
高校の同級生です。
次回に予定しているA・徹くんも同じ同級生です。
この二人、大学に入学して仕事に就き、同じ埼玉県越谷市に住居を構えました。
そして平成13年に共に亡くなりました。
入った大学も就いた職業も違いますが、たった40数名のクラスメートが、本州の同じ県の同じ市に住んで同じ年に亡くなりました。
札幌や東京での出来事なら、そんなに不思議ではないのですが、北海道に住んでいると越谷市なんてどこにあるかも定かでないほどのところです。

E・弘行くん、平成13年3月14日に49歳の人生の幕を下ろしました。
がんを患って長年療養を続けていたのですが、とうとう亡くなってしまいました。

彼は柔道のちょっとした有名選手でした。
高校のとき、全道大会の軽量級で優勝したほどです。
小柄ですが、がっしりした体でした。

高校のとき、体育の授業に柔道がありました。
必ず真冬の寒い中での授業です。
ボクは柔道が嫌いでした。あの寒い中、靴下も履かず、冷たい畳の上で稽古をするのです。

柔道部員だった彼も、当たり前だけど柔道の授業を受けます。
一度、どんなに強いものか試したくて、ふざけて組んだことがあります。
両者組み合ったのだけど、押しても引いても一歩も動かせません。

彼が技をかけると言ったものだから、腰を引いて構えたのだけど、一瞬に持ち上げられ、畳に叩きつけられました。
彼の得意な背負い投げでした。
そして彼はボクに、「上手な受身だ」とお褒(ほ)めの言葉をかけたのです。

柔和な人でした。口数が少なくいつもニコニコしていました。

彼は柔道の特待生として本州の大学に入学しました。(大学名は記憶にありません。)
ところが1年か2年で退学してしまいました。
全国から強豪が集まる大学柔道部についていけなかったのでしょうか?そこのところは知りません。
そして兄か伯父の経営する工務店を手伝っていたのです。

子供たちを集めて野球のコーチをしてたようです。具合が悪くなっても続けていたとの事も聞きました。
葬儀に参列した同級生は、彼は地域社会に溶け込み、親しまれていたと伝えてくれました。
弘行くんらしい!、と思ったものです。




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